2011年12月31日土曜日

神奈川武専感想文から

合掌
いよいよ2011年も終了。
人間社会にとって大変な365日でした。
多くの直接間接に関わるひとたちとの別れの年でありました。

感想文
本科1年
31)死についての話もかなりしていただきました。私は人間(魂)は死して終わらないと考えています。少林寺拳法の内修外修により本当の自己確立ができると思いました。

午前中の実技が難しかったがとても面白かった。練習してみます。

32)どんな人間でも最期には死を迎える。その中で、私利私欲を求める生き方はどうだろうか。教育的精神的な財産を残すために、内修外修の修行が重要である。

切小手の練習、攻撃をされた瞬間に当身を入れ掛手を中心に腰を動かしながら切小手の体勢に入る。

33)指導者からは口に出なかったですが、人間は何か特技を持っていた方が魅力で良いという事が分かりました。

一つ一つの動きが早くて分かりにくい部分があったが、受け方がとても良い勉強になった。

34)志を続けていくことは難しい。戦うための少林寺ではないが、「戦わない、戦えない少林寺」ではいけない。毎日鎮魂行を行うと良いよ。責任感を持って生きよう、やるべき時にやらずして何時やるのか?

35)「魅力のない自己は無力なり」という言葉が印象的だった。私も自分自身魅力をつけるように内修外修を両方修行していきたいと思います。

掛手のこつを教えていただき勉強になりました。

36)鎮魂行は内修のスタート。外修とsh義手の少林寺拳法は実戦的なもの。「魅力のない自己は無力なり」

技術とても参考になりました。

37)毎朝鎮魂行をやることで一日が変わる・・・行ってみようと思いました。
魅力のない自己は無力なり 今日できる事は何かを考え過ごしていこうと思いました。

受身(大車輪、横転より起き上がり)試験のポイントの説明がためになった。

本科2年

38)鎮魂行を一日のスタートにすると良いというお話があった。内修にあたり一日を心豊かな心で過ごすためにも良いことだと思う。少林寺拳法はもちろんのこと、色々な魅力を伝えて自分もしっかりしたものを認識することに注視する。

39)「仏教とは本来偶像崇拝はない。一人ひとりが坐禅を組んでいる姿こそが本尊である。」という話がとても印象に残りました。先生がくりかえし「人間はいつかは死ぬのだから、生きている今を悔いのないように過ごそう」と言われ、一日一日を大切にしなくてはと改めて思いました。

白蓮拳など、より実戦的な解説をしていただき、ためになりました。「戦えない少林寺拳法」を払拭するためにも法形の時も気を抜かずに力をこめて練習に臨もうと思います。

40)鎮魂行を毎日やっているというところに驚きを覚えたが、歩行禅というものを聞き、なるほどと思った。いつ死ぬかは分からない、いつかは死ぬ、生きている間に、など言葉に重みを感じられた。

巻小手~天秤固~続けて固技の練習がとても楽しかった。また、使える少林寺ということで行った燕返もおもしろみがあった。

穏やかな大晦日。2012年元旦まであと55分

合掌再拝 池上

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