2011年12月26日月曜日

神奈川武専感想文から

合掌
25日は大変な大雪で26日は朝からショベルローダーを借りて除雪のしどうしだった。隣近所の人の手ではかなわない雪の山を取り除く手伝いをした。
雪との戦いは本格的なものになってきた。
今も外は雪が降り続いている。

感想文 (原文のままに)
21)本科1年

池上先生、少々、いただけない面がある以下の如し。
毎日の習慣として鎮魂行を取り入れるとよい。これはその通り。しかし「みりょく(魅力)のある自己をめざす。」 「今現在、魅力のない人が居る」と考えている人の弁でごう慢。ある程度の歳になれば、自分の発言が常に自分に向いていることに気付くはず。残念。

技術、池上先生連日の働き、ごくろう様です。勉強になった。

池上からこの感想文にコメント!
さてさて、今回の神奈川武専の感想文の内でこれだけが頭から批判を加えたものであった。ただ、この感想文は神奈川武専の学生ではないことを教務に確認しました。
他の地区からの参加学生を含め提出の感想文にはこうした見方はただのひとつもありませんでした。
こうした見方は個人の判断です。実名で感想文を提出するのですからこれはこれでいいでしょう。

私の講義の内容は概略次の通りです。
開祖の法話において、
「魅力がなければ誰もついて来ないぞ。魅力ある人間になれよ!」と常に言われたことを多くの拳士は知っているであろうからそうした見解になることはないはずである。
内修、外修を通して修行することで自己確立を、生涯かけて理想境を目指す拳士の姿に、魅力のある豊かな精神性を追い続けるのは誰にとっても当然のことであろう!
私の年齢あるいは私の何たるかを含めて、この「魅力のない自己は無力なり」という主題を初めて今回の武専の講義を聴いてこれ程取り違えて聴くと言う学生のいることに正直驚きを隠せない。
青少年育成という大目的は魅力ある人づくりであり、理屈ではなく行動を起こせよという開祖の魅力に賛同し、私も指導者として35年を迎えた。そうした私が傲慢な人間であるという感想は、私を慕うまた多くの仲間をも否定する発言であるといったら言い過ぎであろうか。
また、どこかの武専で会うこともあるかもしれません。その時にまた本人と是非このことをいろいろ話してみたいものである。
余程の人物であることを期待したい。

この言葉は、私たち滝川道院・砂川道院のメインテーマスローガンとして位置づけているものであり、私自身を含め私たちの目指す人間像を象徴したものであり、布教普及のテーマであることを多くの人たちに理解されている。
開祖が我々に語りかけた「魅力ある人間になれよ。」ということを、経験を積んだひとりとして武専の学生諸氏に伝えているのである。
私の思いは変わることはないので、同士諸氏、ご心配ご無用!

魅力のないことは無力なり!絆を持って人間を愛そう!

今回の感想文のように受け止めるひともいることを知ったので今後その点を留意しながら講義をさらに熱いものにしたいと意を強くしている。

22)自己確立、自身確立ではないことを理解する大切さを学びました。「魅力のない自己は無力なり」という話を聞き、日々の生活の中で自己確立を進めていけるように努めていこうと感じました。

実践的かつ正確な指導が印象的でした。技の深さを改めて感じました。

23)内修外修について学んだ。人は必ず死ぬ、死ぬまで内修外修にはげむことです、という言葉が印象深かった。

24)北海道砂川池上先生、自己確立について、自身確立にならないようにと言うお話。毎朝鎮魂行を行っていらっしゃるということは素晴らしいと思います。歩行禅という面白い考え方で時間に余裕がない方にはピッタリだと思います。毎朝とはいかないにしても気付いたときにやってみようと思います。

白蓮拳と基本に変化形で色んな動きと固めにチャレンジ。法形があって乱捕りがあるのではなく乱捕りがあるという考え方。

25)内修の自己を確立して、しっかりと指導できるように自身だけでなく自己確立が必要であると学び、外修の役に立たない使えない少林寺拳法ではなく役に立つ少林寺をしたいと思います。「魅力のない自己は無力なり」は心に残りました。

基本科目はためになりました。道院に戻ってから指導に参考にしたいと思います。

26)正直、鎮魂行をしっかりやるということを学生が行っているかというと、ほとんどやっていない状況があると思います。しかし、心の健康を保てるというのはあるのだとろうと感じました。私もしっかり行い、そして内面も外面も魅力ある人になりたいです。

流れてすいつく受け、そして実践を考慮した動き、できるようになりたいです。

27)自己確立ではなく、自身の人が多い。人は何時、死ぬか分からないので、いつ死んでもいいように、一所懸命に生きていく

受身、音がでないようにする。突き、蹴り、受け方と技への応用

28)人はいつか死ぬ、という事が分かっていれば、日々の過ごし方や、いざという説きの行動が変わってくる。一人一人が坐禅を組んでいる姿そのものが本尊である。

天秤固からの変化に感動した。動画を見直して是非マスターしたい

29)毎朝鎮魂行をしていると聞き、驚きました。時間がかかるだろうと思ったのですが、歩きながらやっているとのこと。なるほどと思いました。3.11の震災関連のお話の行動力について見習いたいと感じました。

乱捕りに近い形での練習で、前後の出入りや固めへの連絡など勉強になりました。

30)内修としての鎮魂行→毎日やると人生が豊か、変わる是非やっていただきたい。神奈川からの2通の手紙(藤沢の女性、北里大)→開祖の話、原点に帰れ。我々の存在は思いがあるから、我思う故に我在り(デカルト)その我は死ぬことは明確である。その中で活き活きと生きるために内修鎮魂行が必要。鎮魂行は禅の一つ。人それぞれの禅があってよい。その人それぞれの世界だ。その人のものである。内修とはそういうものだ。(ブログ)われわれ少林寺の内修のスタートは鎮魂行である。年を経ると分かる。外修としての少林寺は斗に向いている。内修外修ともに自らが言っていることは、中から醸しだすように「魅力のない自己は無力」なりと。
東日本大震災、震災→お金も必要だが人でないとできないことあり。やるべきときにやらなかったらいつやるのか?
人それぞれの内修外修のストーリーあり。

池上コメント
一部原発関連の部分削除させていただきました。ブログを読んでいただき、また講義をきちんと理解詳細にわたる感想文心からお礼申し上げます。

合掌 再拝 池上

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