2012年6月17日日曜日

高校大会の考察 晴見の晴子さんをご紹介します

合掌
高校大会の様子を聞いた。
野坂理事長とも問題点について話した。勿論本部審判員としての立場からである。
全国大会へ繋がるものだけに、そのために努力した拳士にご苦労様といいたい。
先日も、佐藤孝利道院長から電話があり、北海道大会のに関して、自由組演武の自由の意味を履き違えている懸念があるということで私の意見を求めて来たのである。
佐藤道院長も本部考試委員であり拳歴の中で私と技術的判断が異なるはずもないのであり、自由組演武の何たるかを自信を持って指導するように伝えた。
法形の繋ぎの中で連反攻で思うがままに自由に演武する構成することで自由組演武の意義を見出せるのである。
これは自由単独演武にも言える。自由単独演武はあくまでも相がいることを想定していなければならない。
ただ単に、単独演武のみの構成は何ら意味をなさない。つまり、種々の法形を交えて構成されるべきである。一方方向を向いての演武では審判員は演武者の後姿だけを見て審判することとなり、公正な判断ができないのである。位置を変えて技術を審査しなければ正しい審査をすることはできない。昇格試験において肝心な部分は試験官が勿論見える位置に移動して試験をしているはずである。
指導する者の力量が指導を受ける拳士に投影されることとなる。
私の道院では勿論審判に対して各方向から見える演武構成を指導している。ほぼ正面、つまり主審に対してのみの演武構成では他の副審には適正な審査をすることは困難である。

全国大会予選への審判編成についても慎重に行わなければならない。
このことについては、前回の中学生大会後、野坂理事長にも強く要請をしておいた。
保護者等が見ている中にあって、審判員の一挙一動が保護者を始め演武を見ている多くの人から審査されるていることを決して忘れてならないのである。
少林寺拳法の拳士は、須らくまた等しく所属という概念からは離れて審査の対象とされなければならない。ひとつ事を誤るととんでもない禍根を残すこととなる。
つまり、例えば自分の子供を審査する際、正しい判断を下すことができなければ審判員として失格であろうし、指導者としてもどうかと思われても致し方ないであろう。
田村先生とも電話で単独演武の審査について詳細に話した。副審が後姿だけを見て審査するのは困難であり審査することに無理があるのではないかと反省会でも言ったとのことで、そのことに関しては意見が一致した。今後の課題である。

                       晴見の晴子4歳です。

さて話は変わるが、以前、専有道場の晴見道場に雌熊がいると書いたところ、女性拳士から「まさか私のことではないですよね?」と何人かの女性拳士に言われた。
晴見道場に来たら分かるのですが、彼女は静かに鎮座・坐禅しています。

現在、砂川こどもの国に母子熊が遊びに来ています。
キャンプ場もあり、大学の少林寺拳法の合宿もできる施設があります。
北海道立こどもの国の中にある少年自然の家で勇気をもって合宿をしてください。
大いに歓迎します。熊も私も!

少林寺拳法の拳士で自信と勇気のある自己確立のできていると自負していても、いざとなると逃げ出すようでは拳士の名がすたるというものです。

この20日21日に私は羆(ヒグマ)の巡視に行くことになっています。
 決して殺すのではなく人間社会から少し遠ざかってもらうのです。
我々人間の方が羆たちより後に、この地に来たのですから共生させていただく気持ちが大事なのです。
北海道の自然の中の羆たちは、気立てが良いのです。

熊手返の技はかからないかも知れませんね。
全国の拳士の皆さんやってみますか?

合掌 池上治男



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