2012年6月6日水曜日

三笠宮寬仁様ご逝去 身障者福祉に人生を捧げられた

右が勝浦秀雄先生 中央前列山口正直元砂川市長

砂川市経済訪中団帰国後 前列左から3人目勝浦先生
合掌
66歳、天皇陛下の従弟。
お父様である三笠宮様は開祖宗道臣先生が本山にお招きになられたことを知っている拳士もいるであろう。皇族が本山に来られたのは初めてであった。
殿下は1982年に皇席離脱宣言をされる等大きな話題となった。


私は以前北海道身体障害者協会砂川支部の相談役をしていました。
少林寺拳法の砂川道院の副会長に就任していただいていた勝浦秀雄先生がその障害者協会の会長でした。
少林寺拳法の開祖デイーで、勝浦先生に砂川海洋センターで講話をして頂いた事があります。
片方の足がないことを見せて頂いたり身障者とは何かを話して頂きました。
先生は既にご逝去されましたが、勝浦先生は三笠宮寛仁殿下と身障者スキー大会でいつもご一緒されていました。
今はなくなった砂川市民スキー場でも率先した殿下の活躍は多くの身障者の人々を力づけたものです。
ただ、形だけではなく、具体的に身障者の人々に接して来られたのです。
今日の訃報に多くの身障者の方々は 髭の殿下 に思いを馳せているでしょう。

皇族としてエリザベス女王の60周年記念式典がテレビで伝えられていますが、日本の三笠宮寛仁殿下の功績は非常に大である事を忘れてはならないでしょう。

私たち北海道少林寺拳法連盟の身体障害者車椅子マラソンに現在も協力をさせていただいている縁は、千葉英守会長と北海道身体障害者協会との関係、そして私が北海道連盟理事長在任のときの勝浦秀雄先生との絆であることを伝えておきたいと思います
北海道少林寺拳法連盟のホームページに、私がはまなす国体の表彰式に車椅子マラソンの表彰をしている映像があります。
これは、北海道身体障害者協会が私たち北海道少林寺拳法連盟が車椅子マラソン大会に協力をしていることに対する配慮からなされたものである。

上記映像は砂川市経済訪中団である。
1997年6月24日~7月2日に訪中し帰国後に会談したときのものである。
砂川市の蒼々たるメンバーである。
この当時はまだ中国が現在ほどの経済発展ではなく、砂川もいち早く中国に目を向けるべきという私の提言で実現したものであった。
既にこの中には、山口正直市長、勝浦秀雄先生、山田産業社長、櫻井会長、鬼籍に入られた方もいらっしゃいます。(いずれも当時の役職)
この訪中団は河南省少林寺も訪問しました。
滝川道院の今井克彦拳士参加していました。

この方々には、砂川市で北海道大会を開催した際に大変お世話になったのです。
大会開催時には、砂川市から北海道少林寺拳法連盟に100万円の補助金を頂きました。
大会開催で砂川市近辺への経済効果は非常に大であり、補助金に見合う以上のものがあったことは言うまでもありません。

勝浦先生の身障者協会の功績は、砂川市の歴史に燦然と輝いています。

三笠宮殿下と勝浦先生の強い絆を伝える事ができたことに対して、哀悼の誠を捧げたいと思います。

合掌再拝 池上

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