2012年6月27日水曜日

釧路武専 稽古風景 2012年 6月24日


早坂愛梨拳士初段准拳士允可2012年5月



 

                                    矢部道院長 連受の研究

 
連受けの研究

 
佐藤拳士 矢部道院長 連受の研究


 
連受の研究
  
 
深川 森井拳士 連受けの研究

 
佐藤拳士 矢部道院長 連受の研究

  
佐藤拳士 矢部道院長 流水受 壁際で
  
佐藤拳士 壁際に追い込む
 
流水受の体捌 運歩
                        
合掌

武専の稽古を動画で見ると、実際の稽古中の状況を自らの目で見る事の効果を実感する事ができます。
数十年前には在りえないことが今では誰にでもできる時代になった。

大会で父兄がビデオを撮り、審判の誰がどんな採点をしたかまで映像に撮られていることを考えると、撮られている審判にとってもこれはいい加減なことができないこととなる。
審判技術の向上は、ますます要求されることなる。
あらゆるプロスポーツの世界でもビデオでの再確認を正式に取り入れられることを考えると、アナログである審判行為はいい加減であっては、信頼を失う事となる。

合掌再拝 池上



2012年6月25日月曜日

釧路武専 学生稽古風景 段突

 
段突(裏)の指導 池上 矢部道院長

                               

                        矢部道院長・田中拳士 天地拳連受 捌きと逃げの違い 


基本の技術指導において、段突 連受の稽古。矢部拳士に手伝ってもらいながらの指導

釧路武専 2012年6月24日


 
田森先生、福田先生 小手投

 
福田先生 志賀先生 逆天一

宮末先生 田中拳士 木葉返

 
柴田先生 加藤先生 中段返

 

                          岡本先生と矢部先生 振捨表投* 竹田先生と石黒拳士 逆木葉投
                                                       


合掌
2012年6月24日サンライフ釧路において釧路武専が開講された。
加藤先生には前日の打ち合わせから大変お世話になりました。

今回の開祖法話テープは、1980年2月の道院新設のための講習会のためのものであり、この三ヵ月後に開祖は遷化されたのである。
この法話を聞いて思わず涙した。
学生の席の最後列で私も聞いた、そして、大平正芳先生についても、戦後の総理大臣で最も知的なひとであったことを詳細に亘り伝えた。
戦後最も知的な総理大臣であったとTVで話したのは、池上であった。
わたしも池上であるが、池上彰氏であることはお分かりであろうと思います。

間違えても、香川県の生んだ、和田村(観音寺市)出身 の「あー うー宰相」と言われた低次元の見方をする事は、万が一にもあってはならない、誤解しない様にと伝えた。
阿吽の呼吸の答弁とも見てもいいのかも知れぬが、当時は「香川の鈍牛」とも言われた

開祖が政治家はどうにもならぬと言われた当時の言葉を単に間に受けてはいけないものであろう。
本物の政治家が現出してもらわなければならぬのである。
開祖はひとづくり、大平先生は経済、外交、日本育英会の設立等に人生をかけた、同時代を生きられたのである。

大平正芳  先生 1910年(明治43年)3月12日~1980年(昭和55年)6月12日

開祖宗道臣先生 1911年(明治44年)2月10日~1980年(昭和55年)5月12日

今回は、指導する地元の先生方にも指導状況を映像として撮らせて頂いた。こうした映像を撮るときにはどうしても遠慮がちになるのであるが快く応じて頂いた。各人それなりに高齢になるにつれ独特な雰囲気を醸し出しているのである。

矢部道院長もこれから本格的に道院開設するのであるが、私からのアドバイスとして少林寺拳法の場があるところに矢部参坐と現れることが、多くの拳士の信頼を得る事ができる!
将来、そうした活動の結果として、学生指導員等の場で活躍できる ものであろう。
拳禅一如の拳とは、自らを律して活動することであり、禅は自らの活動の糧となるエネルギーなのである。
札幌在住の拳士が日本国の最北端の武専に参坐することの意義は誠に大きいのである。
私も少林寺拳法の場には必ず出向くように心掛けて来た。

今回の映像は一部であるが、映像は、稽古の一部分であるので誤解のないようにお願いします。




釧路武専からの帰り道、滝川道院森副道院長が成田に到着27日水曜日から稽古に参加する旨連絡があった。

道東武専は次回9月北見で開催される。是非北海道の拳士が或いは全国の拳士が参坐されることを期待したい。

合掌再拝 池上

2012年6月23日土曜日

釧路鶴舞道院長 加藤先生勤続30周年表彰

釧路鶴舞道院 加藤先生勤続30周年表彰 浦田代表と記念写真
合掌

今、釧路に来ています。
加藤先生と明日の釧路武専の打ち合わせをしました。
その際、先日、東北北海道道院長研修会にて加藤先生が勤続30周年表彰を受けられました。
そのとき浦田代表と記念撮影をされました。
映像は私の手元にあり、遅れましたが公開します。

加藤先生は釧路の地で長年ご苦労された根っからの拳士であります。
道東地域の少林寺拳法布教・普及に尽力された多大なご功績に対して表彰されました。
心からお祝い申し上げます。
少林寺拳法の活動がどうしても札幌を中心となる中、武専、昇格、大会等に積極的に参加されている先生の姿を道内の拳士諸氏は目の当たりにされていることでしょう。
先生の様な実直な人柄の拳士によってつくられた道東の少林寺拳法の歴史、北海道連盟の歴史は先生を抜きにしては語ることはできません。
先生にお会いした際、是非皆さんからお祝いを申し上げて頂きたいと思います。
今後も道東地域の少林寺拳法の発展また興味ある活動をつくり上げていくためにも先生のお力をお借りしなければならないと思います。
今後とも体に留意されますようにご祈念申し上げます。
合掌再拝 池上治男

今日、自宅に栃木県のM.F先生からDVDが届いたと連絡がありました。
興味深い過去の開祖の映像ではないかと思います。帰ってから早速拝見したいと思います。
私の所有しているものと重複していなければ何ものにもかえがたい宝物となるでしょう。
先生には心からこの場をお借りして早速お礼を申し上げたいと存じます。
ありがとうございました。
映像をクリックすると拡大されます。表彰内容を確認できます。

2012年6月21日木曜日

6月24日釧路武専です

合掌
北海道の武専は、札幌の他に北見地区、釧路地区、帯広地区の三箇所で開催しています。
これは北海道武専の補講の域を脱し、北海道の独自の気候条件、或いは経済状況を勘案したとき、実に現実的な活動であるといえます。
愛郷の精神そのものであります。ですから、その地域に在する拳士はこの武専に積極的参坐に心掛けなければなりません。押し付けられるのではなく、少林寺拳法の拳士であるなら参坐協力してこそ、当然の愛郷の心をつくる事ができます。
万難を排してこの日本の最北の武専活動に参坐することを期待したいし、一人でも多くの拳士が札幌地域から参坐するように切に望むものです。

私も経験の浅い若い頃は、どこにでも積極的に参坐し、多くのことを吸収するように努めたものです。特に北海道において、少林寺拳法を背負って立つ気概のある拳士が参坐し、北海道の少林寺拳法の強い絆を強固にすることを期待したいのである。

釧路の加藤先生の地域における努力に対し心から敬意を表する次第です。
道東の協力いただいている先生の名前を 列挙したいのですが、札幌地区の拳士ひとりひとりが、札幌の武専に道東の先生の協力を得ているのかを自ら知ってもらいたいものです。

加藤先生からメール添付された釧路武専の進行表です。今回野坂本部指導員が行く予定でしたが、用務のために、池上治男本部指導員が前回に引き続き赴きます。

 
2012年度6月北海道地区武道専門コース
進  行  表
     教師:砂川道院 池上 治男 先生
会場:サンライフ釧路(釧路市緑ヶ岡3-1-11)0154-42-3554      624日(日)
9:00
集   合

9:10
     
(指導担当者)
9:25
開 校 宣 言
   
 主 座  池 上 治 男   
 打 棒  竹 田 則 幸   講 師          
9:35
教 師 紹 介
点 呼 ・ 連 絡
池 上 治 男  先生   正範士七段    
10:00
(1時限)
指 導 者 論
『金剛禅の“調和の思想”その一 自己確立』
  池 上 治 男  先生                (講義50分)
10:50
休  
10分    休 憩
11:00
(2時限)
開 祖 法 話
開祖法話テープ視聴
グループ討議
11:50
昼  食
50分  昼休み
12:40
(3時限)
体 操・基 本
体 操(5分)
    基 本 修 練(45分)   池 上 先生
13:30
休  憩
10分    休 憩
13:40
(4時限)
技   術
各科に分かれて実技
14:30
休  
10分  休 憩
14:40
(5時限)
技   術
MY STEP ②
研究科1
研究科1年以外の学生
(各科に分かれて実技)
15:30
アンケート記入
各科講師のアンケート回収
15:40
     
池 上 治 男 先生
15:45
連 絡 ・ 報 告
閉 校 宣 言
次の武専は  7月8日(日) 東野幌体育館です。
15:50
     
  (指導担当者)
技術指導 池 上 治 男  教師(全体指導)
 予  科     本  科     高 等 科      研 究 科      武専研究院
志賀紀男        鈴木聖一          田森 清        宮末政則         池上治男
                         稲村徳弥        竹田則幸
                                            
                          

※ 進行内容、各科担当教師.講師.講師補は都合により変更することがあります。


大月拳士からの、自分の天地拳の映像を公開されたものに対するメールです。
あえてメールを紹介します。
大月拳士60歳、これだけ出来ればみごとなものでしょう。
医師としての識見を持ってさらに少林寺拳法の真髄に近づく事でしょう。

ブログの私の映像は冷や汗ものです.こんなへたなのかと反省しきりです.それにしても大樹君うまくなりましたね.「つよく,やさしく,うつくしく」という池上さんと同じことを云っている99歳の現役女子柔道家の本を読みました.少林寺拳法普及の参考になるかと,今度持って行きます.ただ,今週は福岡での学会のため来週行きます.

合掌再拝 大月康義

2011年の11月初雪の晴見道場
2012年 6月の初夏の晴見道場



最近この道場から2~3キロ付近に母子熊が出るという何とも北海道らしい風物詩!
気立てのよい北海道の人にとって、熊が出たって なんもさ! と 驚かないで こわがらないで
ほしい。
                怖い 恐い この文字の方がよほどこわい。

合掌再拝 池上










2012年6月17日日曜日

高校大会の考察 晴見の晴子さんをご紹介します

合掌
高校大会の様子を聞いた。
野坂理事長とも問題点について話した。勿論本部審判員としての立場からである。
全国大会へ繋がるものだけに、そのために努力した拳士にご苦労様といいたい。
先日も、佐藤孝利道院長から電話があり、北海道大会のに関して、自由組演武の自由の意味を履き違えている懸念があるということで私の意見を求めて来たのである。
佐藤道院長も本部考試委員であり拳歴の中で私と技術的判断が異なるはずもないのであり、自由組演武の何たるかを自信を持って指導するように伝えた。
法形の繋ぎの中で連反攻で思うがままに自由に演武する構成することで自由組演武の意義を見出せるのである。
これは自由単独演武にも言える。自由単独演武はあくまでも相がいることを想定していなければならない。
ただ単に、単独演武のみの構成は何ら意味をなさない。つまり、種々の法形を交えて構成されるべきである。一方方向を向いての演武では審判員は演武者の後姿だけを見て審判することとなり、公正な判断ができないのである。位置を変えて技術を審査しなければ正しい審査をすることはできない。昇格試験において肝心な部分は試験官が勿論見える位置に移動して試験をしているはずである。
指導する者の力量が指導を受ける拳士に投影されることとなる。
私の道院では勿論審判に対して各方向から見える演武構成を指導している。ほぼ正面、つまり主審に対してのみの演武構成では他の副審には適正な審査をすることは困難である。

全国大会予選への審判編成についても慎重に行わなければならない。
このことについては、前回の中学生大会後、野坂理事長にも強く要請をしておいた。
保護者等が見ている中にあって、審判員の一挙一動が保護者を始め演武を見ている多くの人から審査されるていることを決して忘れてならないのである。
少林寺拳法の拳士は、須らくまた等しく所属という概念からは離れて審査の対象とされなければならない。ひとつ事を誤るととんでもない禍根を残すこととなる。
つまり、例えば自分の子供を審査する際、正しい判断を下すことができなければ審判員として失格であろうし、指導者としてもどうかと思われても致し方ないであろう。
田村先生とも電話で単独演武の審査について詳細に話した。副審が後姿だけを見て審査するのは困難であり審査することに無理があるのではないかと反省会でも言ったとのことで、そのことに関しては意見が一致した。今後の課題である。

                       晴見の晴子4歳です。

さて話は変わるが、以前、専有道場の晴見道場に雌熊がいると書いたところ、女性拳士から「まさか私のことではないですよね?」と何人かの女性拳士に言われた。
晴見道場に来たら分かるのですが、彼女は静かに鎮座・坐禅しています。

現在、砂川こどもの国に母子熊が遊びに来ています。
キャンプ場もあり、大学の少林寺拳法の合宿もできる施設があります。
北海道立こどもの国の中にある少年自然の家で勇気をもって合宿をしてください。
大いに歓迎します。熊も私も!

少林寺拳法の拳士で自信と勇気のある自己確立のできていると自負していても、いざとなると逃げ出すようでは拳士の名がすたるというものです。

この20日21日に私は羆(ヒグマ)の巡視に行くことになっています。
 決して殺すのではなく人間社会から少し遠ざかってもらうのです。
我々人間の方が羆たちより後に、この地に来たのですから共生させていただく気持ちが大事なのです。
北海道の自然の中の羆たちは、気立てが良いのです。

熊手返の技はかからないかも知れませんね。
全国の拳士の皆さんやってみますか?

合掌 池上治男



2012年6月17日 父の日 ネ嘉男(よしお)

私の父の名前は漢字の辞書には見当たらない。嘉男 の左にネヘンがつく。膵臓がんで亡くなったのだが、死ぬ覚悟でこれら仏法の言葉を書いたものであろう。また自分自身の略歴を書いたのである。カムチャッカの占守島でロシアの捕虜になったとのこと。私にはあまり詳細を話さなかったが、捕虜のときにドイツ人捕虜の医師に盲腸の手術を麻酔なしに受けたことを聞いた。そのときの記念にドイツ人医師からナイフとフォークをもらったとも言っていた。それだけに後年、私の弟子となった グスタフ グリュン:北海道ワインの小樽工場の設置、浦臼の葡萄畑の指導に来ていて
砂川道院に入門したのである。同じ道院の松尾美智子と結婚して今ドイツにいる。
父はまだ結婚前のグスタフを可愛がったのも理解できる。浦臼ワインは原料に混ぜものがなくひとつの原料で造られているので非常においしいワインである。是非飲んでいただきたいものである
私の父が平成15年7月20日に亡くなった。その父が書いたものである。
父が亡くなる前に自分で書いた略歴を準備していた    


松村美憂拳士7級合格賞授与 滝川クラブの稽古

松村美憂拳士2012年5月5日7級合格 賞状授与
合掌

滝川クラブの稽古は、北海道高校大会初日のために参坐拳士が少なかったが、北海道大会に向けて初めて参加する小関拳士と田中拳士が規定単独演武の稽古を本格的に始めた。
初めてのことであり、戸惑うことも多い中でそれぞれが乗り越えてほしい障害がある。
それは、自分の心に巣食う壁であり稽古でしか取り除く事はできない。
小関拳士が単独演武の指導に主に当たってもらったが、自分の子供を指導することでもあり、指導する者もされる者も初めての経験である。
酒井、前田、村谷、竹房の大人は可也難しい技術の研究を行った。
空手出身の前田拳士にとっては、柔法は辛いものがある。どの技術も経絡に激しい痛みを伴うものであるだけに厳しい。しかし、持ち前の我慢強さが激痛を耐える稽古が続く。

高校大会の本選の日であるが、大会が公正な審判がなされ大過なく終わる事を期待するものである。大会で醸成される拳士それぞれの種々の思いが各人の人生観を決定づけていく。
高校3年生は今回で3年の役割を終えるのかも知れないが、少林寺拳法は他のスポーツとは異なり、終わりのない修行の連続である。
晴見道場に掲げられている「百錬剛」の額にあるように、若いうちは兎に角鍛えることである。
また、全国大会に選抜された北海道少林寺拳法連盟を代表となった高校拳士は、悔いのない稽古を積むことである。
大会参加の拳士は勿論、各高校少林寺拳法部や道院所属ではあるが、少林寺拳法の拳士であることに他ならないのであるから 選抜された意義を理解し不断の努力を発揮することである。




合掌再拝 池上治男

2012年6月16日土曜日

2012年6月15日 砂川クラブ稽古 高校大会の前日

大月拳士天地拳第一の自己チェック
精神科医である大月拳士は北大少林寺拳法部OBであり、少林寺拳法が心底愛している。
研究熱心で岩見沢から砂川道院へ毎週金曜日愛車のスバル・インプレッサ350馬力で欠かさず
稽古に参加している。大月拳士の後に早坂太樹拳士砂川高校の天地拳第一の単独演武



砂川クラブでの稽古

 
大会出場者の一斉稽古 だんだん演武に習熟して来ている。初めて参加する拳士は失敗を恐れずに参加することが大事。人は失敗を恐れることなく行動することが大事である。
少林寺拳法の修行は失敗を重ねながら日々を過ごすことで真の強さを身につけることができる。

2012年6月14日木曜日

2012年6月北海道高校大会のための稽古 北海道立子熊の国

 
小林優輔拳士と早坂太樹拳士
合掌
大会のための稽古が続きます。まだまだ十分ではないが必死に正しい攻防に気をつけながら稽古している。
小学校低学年から続けて高校生になって継続していることは大変素晴らしいことだ。
35年間の指導によるその歴史はこうして稽古する拳士によってつくられたきた。

大会に挑戦することで、稽古に邁進することができるのである。

最近北海道立こどもの国に親子熊が出没している。
すばらしいこどもの国先日散歩したが、人間の子供にとっても、熊の子供にとってもすばらしい環境であるのだ。

「北海道立 子熊の国」であっても仕方がない。
快適環境都市指定されている砂川市にとっては、ある意味で自然が豊か、野生の証明がなされたということである。熊は滅多にひとを襲うことはない。
子育ての6月に熊が出たと言ってあまり騒がないことだ。

私の道場にも熊がいる。彼女は坐禅を静かに組み、決して拳士を襲うことはない性格のいい雌熊である。

合掌 池上

2012年6月稽古の様子 金冠日食 奥村拳士の友人梅沢拳士入門 晴見道場での稽古

奥村匠拳士と友人の新入門の梅沢翔拳士
映像クリックすると拡大されます。


初めての北海道大会出場のための演武の稽古 
大会までに組み演武の稽古が如何に有意義か理解できるでしょう。
金冠日食を調べた山本雛乃拳士
映像をクリックすると拡大されます。
晴見専有道場早坂愛梨拳士足刀蹴を受ける竹房薫稀拳士
映像クリックすると拡大されます。
晴見専有道場鈴木貫太拳士 三浦広大拳士演武の稽古
映像クリックすると拡大されます。

2012年6月10日日曜日

2012年6月 東北北海道道院長研修会、道院長勤続35周年表彰

浦田代表と35周年表彰記念
合掌
金曜日から日曜日まで仙台、多賀城市に来ている。東北北海道地区道院長研修会参加のためである。初日の多賀城東北学院大学工学部基礎教育センターで研修の午前中終了後の昼休みに道院長勤続35周年の表彰を頂いた。映像は受賞後浦田代表とのものである。要するに道院長になって35年経ったということである。
嘗て北海道体育協会から表彰を頂いてから暫くぶりの受賞である。
今回敢えて映像を紹介するのは、35年は長いようで短いものではあるが、その間に種々の失敗やら思い出深いこと、或いは多くの人たちとの別れ(多くの人が他界された)等を思い出すことになるからである。私一人では辿りつけなかった35年である。この映像の横に開祖がいらっしゃるような気がするのである。道院開設の時、函館東道院の山崎勝先生と二人だけの道院長新設の講習を台風通過のときに行っていただいたことを昨日のことのように思い出される。山崎先生から先日本部で受賞されてきた事を先週の北海道武専で伺った。
35年前、開祖が本山の一番下の建物を建設中の指示をされていたときに、鈴木義孝先生がひざまづいた状態。開祖から私たち一人ひとりに声をかけていただいた。台風の中、北海道から青函連絡船、列車を乗り継ぎ宇高連絡船に乗り本山に講習の前日に到着するように北海道を発ったのであった。そのことを、開祖は「それこそこれから道院長として指導するに相応しい動きである。」と開祖から言葉をいただいたのあった
。多くの道院長が開祖と最初に交わした思い出は道院長それぞれの心にいまだに響いているはずである。
浦田代表との記念写真はそうした開祖の思いにも似たものがあるのである。

初日終了後、海に近いホテルでの宮城県連盟主催の復興感謝の集いに北海道少林寺拳法連盟全員が参加した。関東関西からも今回の研修会に参加されていた。陸前高田のボランテイアセンターに行ってから、また研修会終了後も陸前高田の寄ってから帰られる先生とも再会した。
被災地支援の活動に対して頭の下がる思いで一杯である。

http://www.ibaraki-shorinjikempo.com/volunteer.html
茨城県少林寺拳法連盟の、陸前高田支援チーム活動記録のアドレス。
このページ見ると、今でも継続して支援活動を続けていることが一目で判るでしょう。

2011年5月1日~5月5日の瓦礫処理の映像。3枚目の右端の白い長靴(釘踏み抜き防止用)が
です。顔はヘルメットを被っているので参加した人にしか判らないでしょう。

多賀城は多賀城柵にあるように歴史の深いまちである。征夷大将軍という言葉を歴史で学んだことがあるのだが、そうした時代からという言葉との関係で興味を持って書物を読むと多賀城という歴史を知ることができるはずである。

多賀城市長、塩竃市長、七ヶ浜町長のお礼の挨拶がそれぞれありました。少林寺拳法連盟の支援に対するものであった。多賀城に拠点をつくり活動したからである。
岩手の陸前高田とこの多賀城市の拠点を中心に瓦礫処理等の活動に対してである。

私は陸前高田に宮末北見道院長と参加したのである。今回宮末先生は車で来ているのだが、勿論帰りコースに陸前高田が入っている。
岩手の柏木先生にも再会した。ご家族はお元気とのことであった。
宮城の須藤先生のお礼の挨拶で感謝の集いは終えた。
この地域の被災状況はご承知のことであろうが、東北学院大学の体育館の天井も地震のために落ちたのであるが、真新しく改修されていた。復興はまだまだこれからである。

今回総裁が体調不良とのことで参加されていないのが残念であった。しかし、東北北海道の指導者が一同に介し催された研修会は意義深いものであった。いいことも悪いことも絆を強くすることに繋がればよい。

東大の副学長の映像による講義は団塊の世代を代表する人生観を表現する明るいものであった。日頃から、私も気をつけていることであるが、否定語を使わない相手の人生観特に体力を考慮する無理をしない関係構築に関わるものであり、造詣深い講義であった。
武闘派ではなく、武藤派へという含蓄はユウモア溢れる内容。
武藤先生私より一歳お若い方である。目線を少林寺拳法の指導者に下げて頂いた名講義であった。笑い笑いに繋がる、絆つくりの講義は、誠に高く評価されるものであろう。

さて、数年前に高松のANAホテルに宿泊した夜、眩暈症に私もかかったのであるが、三半規管のリンパの流れが悪いと起こるものである。最初何が起きたか分からなかったのであるが、目が回り歩行がままならないどうしようもないのである。
例えばスペインから成田までの頭を動かさない時間が長すぎた様な悪条件が引き起こすこともある。つまり、普段から獅子舞のように頭を動かすことリンパの流れを正常に保つのである。
めがまわるつまり眩暈症はある年齢に達するとおこるものである。
専務理事の斉藤道院長も最近かかったとのことである。皆さんもお気をつけられますように!

二日目の研修今から仙台から多賀城文化センターに行き午後の便で北海道に戻ります。

宮城県連に感謝!
北海道連盟の皆さんご苦労様。
滝川道院 砂川道院の皆さん留守中ありがとう!

合掌再拝 池上

2012年6月6日水曜日

三笠宮寬仁様ご逝去 身障者福祉に人生を捧げられた

右が勝浦秀雄先生 中央前列山口正直元砂川市長

砂川市経済訪中団帰国後 前列左から3人目勝浦先生
合掌
66歳、天皇陛下の従弟。
お父様である三笠宮様は開祖宗道臣先生が本山にお招きになられたことを知っている拳士もいるであろう。皇族が本山に来られたのは初めてであった。
殿下は1982年に皇席離脱宣言をされる等大きな話題となった。


私は以前北海道身体障害者協会砂川支部の相談役をしていました。
少林寺拳法の砂川道院の副会長に就任していただいていた勝浦秀雄先生がその障害者協会の会長でした。
少林寺拳法の開祖デイーで、勝浦先生に砂川海洋センターで講話をして頂いた事があります。
片方の足がないことを見せて頂いたり身障者とは何かを話して頂きました。
先生は既にご逝去されましたが、勝浦先生は三笠宮寛仁殿下と身障者スキー大会でいつもご一緒されていました。
今はなくなった砂川市民スキー場でも率先した殿下の活躍は多くの身障者の人々を力づけたものです。
ただ、形だけではなく、具体的に身障者の人々に接して来られたのです。
今日の訃報に多くの身障者の方々は 髭の殿下 に思いを馳せているでしょう。

皇族としてエリザベス女王の60周年記念式典がテレビで伝えられていますが、日本の三笠宮寛仁殿下の功績は非常に大である事を忘れてはならないでしょう。

私たち北海道少林寺拳法連盟の身体障害者車椅子マラソンに現在も協力をさせていただいている縁は、千葉英守会長と北海道身体障害者協会との関係、そして私が北海道連盟理事長在任のときの勝浦秀雄先生との絆であることを伝えておきたいと思います
北海道少林寺拳法連盟のホームページに、私がはまなす国体の表彰式に車椅子マラソンの表彰をしている映像があります。
これは、北海道身体障害者協会が私たち北海道少林寺拳法連盟が車椅子マラソン大会に協力をしていることに対する配慮からなされたものである。

上記映像は砂川市経済訪中団である。
1997年6月24日~7月2日に訪中し帰国後に会談したときのものである。
砂川市の蒼々たるメンバーである。
この当時はまだ中国が現在ほどの経済発展ではなく、砂川もいち早く中国に目を向けるべきという私の提言で実現したものであった。
既にこの中には、山口正直市長、勝浦秀雄先生、山田産業社長、櫻井会長、鬼籍に入られた方もいらっしゃいます。(いずれも当時の役職)
この訪中団は河南省少林寺も訪問しました。
滝川道院の今井克彦拳士参加していました。

この方々には、砂川市で北海道大会を開催した際に大変お世話になったのです。
大会開催時には、砂川市から北海道少林寺拳法連盟に100万円の補助金を頂きました。
大会開催で砂川市近辺への経済効果は非常に大であり、補助金に見合う以上のものがあったことは言うまでもありません。

勝浦先生の身障者協会の功績は、砂川市の歴史に燦然と輝いています。

三笠宮殿下と勝浦先生の強い絆を伝える事ができたことに対して、哀悼の誠を捧げたいと思います。

合掌再拝 池上

2012年6月3日日曜日

北海道武専2012年6月3日三沢道院石井悦雄先生

鎮魂行の主坐は石井悦雄本部派遣教師
 合掌
6月3日の朝の東野幌は初夏とは言えないほどの寒さであった。
先週の北見における道東武専に続き、あっという間の武専開講である。
道東地区からの参坐は誠に敬意を表するところである。札幌地区の学生諸君も是非道東に出向いてもらいたいものである。
ある意味において半ばは他人のためにという理念を行動に移してもらいたいものである。
 

毎朝の鎮魂行は修行の柱である。打棒は柴原講師

鎮魂行の主坐は本部派遣教師の石井悦雄先生にお願いした。瞑目に入ったところを映像にした。
実に良き朝の鎮魂行であった。
北海道の場合本部派遣教師は大変である。というのは、基本の指導を担当し、更に各科を全て一技ずつ指導して廻るので休む暇は無いのである。つまり、最も汗をかくハードな一日となる。
寒かった朝の体育館もあっという間に熱気で暑くなるのである。

私も10月21日に青森武専に出張する事になっている。石井先生はJRで青森から札幌まで来られたそうである。およそ7時間かかったとのこと。
以前、私が青森に出張の際函館本線で崖崩れのためにJRが止まり、バスで途中移動し青森に到着したのは真夜中になった経験がある。
移動手段の選択はなかなか難しいものである。北海道の武専学生の技術に対する意欲は非常に大であり、本部派遣教師の印象は概ね良好である。
兎に角、道院長を始め参坐学生は汗をかき有意義な武専を確立するように努めてもらいたい。
各種大会が近づいて来ており、各道院において力を合わせて良き道場の雰囲気をつくりあげたいものである。
合掌再拝 池上

2012年6月2日土曜日

村谷満拳士63歳初段准拳士允可 北海道大会に向けて

村谷満拳士63歳准拳士初段允可
合掌
2012年5月13日 村谷満拳士は2年の修行を経て准拳士初段を允可された。
還暦を過ぎてからの少林寺拳法の道は、本人だけでなく家族の協力があって成し得たものである。

今日も基本の稽古において、目打ち、上段、中段の突きを各20本、下段、中段、上段への蹴り上げ、回し蹴り。振り突き、手刀打ち、手刀切り、熊手突き、肘打ち、鉤突き、上受け、内受け、上中に対する連受け、振り突き中段に対する外押し受け、連受け。天地拳第一から第六、義和拳第一第二、竜王拳第一、白蓮拳第一、紅卍拳を休むことなく一気に行った。
その後、乱捕りを30分をこなせるまでになった。

昨日の、砂川の稽古に続き滝川クラブの稽古も乱捕りを中心に行った。下記の映像には、6月の北海道高校大会、7月の北海道大会出場予定者の一部拳士である。
 初めて演武デビューの拳士にとって思い出深い大会になる。

6月北海道高校大会、7月北海道大会出場予定拳士