2012年1月9日月曜日

神奈川武専感想文,稽古始め概観、攻者攻撃を無力に!

合掌
神奈川武専高等科1年感想文
51)魅力のない自己は無力なり→内修外修のあり方

52)試験においてやはり基本をきっちり押さえる必要性→釈尊について。気持ちの持ち方、姿勢
内修外修の共にあるもの。日々の修行の在り方、原点を見つめなおす。

受身横転からの起き上がり。基本、燕返、技に入る入り方。先の先。腕十字固からの変化について。
技の学びの基本、法形→(乱捕り)運用法のようにとらえてしまいがちだが(乱捕り)運用法があってどの様に対応するべきかという法形へと進むという流れもある。いざという時に動ける少林寺拳法を!

53)内修のスタートは鎮魂行のスタートであり外修は武器を持った、持った相手に対して実戦で使えるようにする。自分のできることは何か!内修外修とみなす、みなしてみる。原点にかえり考えて行動する。

受身大車輪横転より起き上がり義和拳第二系、白蓮拳第一系

54)毎日の生活の中で少林寺拳法の修行を取り入れていく。まず通勤時間の移動中に鎮魂行を明日から実践します・

法形が出来ても実践で使えるかどうかが問題であり、確認の為での乱捕りの重要性が分かった。

55)魅力のない自己は無力なり。自らを磨く上での目標にしたいと思います。走行禅を違う形でも何かできるようやり方を考えたいと思いました。

相手との接触面を柔らかくする点、非常に参考になりました。

56)心に残った言葉は魅力のない自己は無力である。自身確立になっていることもある。自分で自分の内面を見ることはできないので、他人から見た自分が魅力あるものとなるため修行していきたい。毎日鎮魂行を行います。

横転より起き上がり、正確な方法を理解できた。乱捕も日頃の練習に取り入れていきたい。

57)日々の時間と生命の大切さを実感させられるような修練と仲間のきずなを深める指導の必要性を再確認した。

体は脱力することでスムーズにかつスピードを生かせることを再確認した。

58)神奈川2名の手紙の件について、もう少し詳細が聞けたらと思います。自身確立にならぬ様努力したいと思います。宗教概論については不勉強の為、理解できませんでした。

私も年齢的に近いので、毎日の体力作りをしたいと思いました。

59)内修の方法にも、日常の中で生かして出来ることが、目からウロコでした。日々の生活で取り入れることで、自らの修行となることがわかり自分も実践していこうと思った。

相手のくずし方を考えて勉強したい。

60)魅力のない自己は無力なり・・・まさしくそんなのだなと思った。少林寺拳法を通してそれ以外にもより魅力的な人になりたいと思う。また、志を持って毎日少しずつでも成長していけるよう努力していきたい。

突天一の体のさばきがぎこちなかったので、乱捕りも含めて練習したい。

61)自分も朝に鎮魂行をやってみようと思います。

龍の投げに感銘を受け自分の道場でも行いたいと思います。

62)修行はもっと身近なところからでもやれることが発見できました。「魅力のない自己は無力」という言葉にハッとしました。その通りだと思います。心にきざみます。

法形からさらに実践的な動きへの発展がおもしろかったです。

以上が高等科1年の感想文。

感想文をみていると、修行の過程で何をなして来たかが重要であることが分かる。道場での修業の内容を互いに研究し合い、限られた時間(各自の人生に残された時間がどれほどあるのか誰にも分からない)を有意義に共有できたらよいのだが。

砂川クラブの稽古始めには、岩見沢から大月拳士、留萌から小山拳士そして勿論地元の拳士が有意義に時間を過ごせたのではないかと思う。

大月拳士の小手巻返の物理的なベクトルの方向、或いは点、線、面への動きを、一瞬、理想的な動きをしたこと等、遠く岩見沢から高速道路時速50キロ制限の中を来てその一瞬を自分のものとして手に入れたのならその危険な往復は至福の時間である。
アドバイスしている指導者としても至福の時間になる。
目先の動きではなく、攻者を攻者でない状態にすることこそ、真の護身である。」と言えるのであろう。
その道を求めることこそが我が少林寺拳法の修行の道である。
易筋行とは魅力の深いものである

大月拳士から、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という分厚い本を持って来てくれた。

酒井克彦拳士は、古本屋で少林寺拳法では廃刊となっている本をまた手に入れたと知らせてくれた。

稽古始め乱捕りを中心に一年の始めの体を暖める稽古にくれた。
それにしても、留萌の小山拳士は大量の汗をかく。
乱捕りは、冷や汗せもかいているのだろうから、内外ともによき易筋行となっているのだろう。
ただ、稽古終了後、留萌まで峠を越えて帰り、また翌日の滝川の稽古始めに参坐するというのであるから、今時貴重な存在である。

土曜日滝川クラブの稽古始め(09時半から12時まで)
名誉ある主稽古始めの主坐、酒井拳士。

小山拳士は朝早く留萌を出たようで既に参坐していた。
昔の私の稽古に対する思い入れを見ているようだ。


松林拳士も旭川からやって来た。まずはすぐに乱捕りの稽古でお手合わせ。小山拳士の運歩法、足先の向き、目線を含め八方目等指導。転籍以来少しづつ乱捕りにも慣れてきたようだ。

酒井拳士の左手の親指を、砂川での稽古始めの小林優輔拳士との乱捕りで怪我をしたとのこと。独特の構えが怪我を呼んだのだと伝えたが、構えは変わらない。わが道を行くようである。

その後、希望の法形の稽古、かなり多くの技を修練した。
稽古始めとしては充実の朝であった。


稽古中、森拳士からの電話着信が何度もあったようだが、すぐに切れたのか分からなかった。
IP電話からだとメールが入って来たので不明電話着信が森拳士からだと分かった。後からの電話も着信中いなかったのか、或いはすぐに切れたのか話すことはできなかった。
そういうことです。(森拳士へ)
自宅に、少林寺拳法のはがきで賀状を送付したあるので!

個人的には昨年8月義理の兄が亡くなったので喪中であるのだが、少林寺拳法関係者の皆さんには賀状を出したのですが、誰かが亡くなるという年代になっているのだと実感している。
他人事ではなく、自分も十分に三徳を兼ね備えた、つまり保健体育の一環である少林寺拳法の修行に邁進したい。つまり、筋トレも途切れることなく続けるようにしたい。
大月拳士もなかなかの体づくり、共に頑張ろうではないか!

合掌再拝 池上治男

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