2012年7月18日水曜日

追悼 灰谷健次郎先生

灰谷健次郎先生(左)
先生に記念のサインを頂いた。
合掌
1996年5月2日、東北北海道の道院長研修会の講師としてお招きした際にお願いした記念写真である。

この当時、私の先生に対する知識は皆無と言っていい状態であった。
先生が自ら私はフィリッピン人に似ている云々のくだりは後に先生の作品で知ったのだが、今の仕事は沖縄で漁師として楽しんでいるとのことであった。

真っ黒に海焼けしている貴重な写真である。
講演の前に北海道連盟理事長としてお相手をさせて頂いた際、三度仕事を変える人生を推奨している。」という様な話をされたことを思い出した。

天の瞳の少林寺拳法に対する造詣の深さ等知る由もなかった。
この頃の私は「書を捨て街に出でよ。悪と闘うのだ!」の日々の生活だったと思う。

「太陽の子」「砂場の少年」「海の図 」の単行本を事前に持って行きサインを頂いたのは私だけだった。今となっては貴重なものとなった。先生の作品は道場の図書として全て置いてある。

先生の作品が現状の教育現場にある立場の人の反発を買うことも多い中で、真の教育とは何かをライフワークとした先生の生き方は、少林寺拳法の運動に相通じるものがあるのは拳士として理解できるのではないか。

また、いじめ自殺の大津市の問題が大きく取り上げられたことで、再び教育現場の慌てぶりが露出してきた。

いじめた側の人格への尊厳への軽薄さ、いじめられた側の物言えぬ辛い時間の流れ。
気がつかぬ周囲の 情けなさ。
宇宙の中でたったひとつの命を自ら絶つことへのやるせない思い。

教育現場にある者の言い訳として、「私は知らなかった。」は済まされないし許されない。
「忙しくて手が廻らない教育現場を援けてください。」が如きの情けない教員には大事な大事な命は任せることはできない。
片田舎に住んでいる私は少林寺拳法の運動の一環として少林寺拳法の定着のためにそれなりに戦ってきたが、まだまだ真の教育とは何か、そのための具体的行動について日々葛藤している。
教職にある少林寺拳法の拳士にとって、教育現場は戦いの場である。その場を思いやりの場に変えることができるのも現場の教員だけであるというのは言いすぎか。

少林寺拳法の布教普及活動は、灰谷先生の描いた「少林寺拳法の倫太郎」を一人でも多く育てることであろうと再び意を強くした。

少林寺拳法の関係者で灰谷作品にまだ触れていない人は、是非読んでもらいたいものだ。
子供たちにも作品に触れてもらい、生徒教師が真に一体となって学校生活をよきものにしてもらいたい。
少林寺拳法の道場は、戦わなくとも闘える真の強さを引き出したいものである。

追悼 灰谷健次郎先生
合掌再拝 池上

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