2012年7月5日木曜日

2011年被災地に一番乗りした二人の道院長

北海道連盟で被災地に一番に乗り込んだ松村道院長

左から宮末先生、右が福田道院長(松村道院長と行動を共)
宮末道院長と八甲田山を下山2011年5月1日04:39
2011年5月1日10:34 陸前高田への途中
2011年5月1日10:34陸前高田への途中
2011年5月1日
2011年5月1日
陸前高田の浜 岸壁はない
陸前高田道路清掃後
陸前高田道路清掃場所から津波の来た数キロ先を見る

今日、国会に昨年の福島第一原発事故調査委員会報告書が衆議院議長宛に提出された。
歯に衣着せぬ分析結果であったのではないか。
人災であった事、官邸の指導の不味さからの厳しい指摘がなされた。

今日、紹介している映像は、昨年いち早く被災地対応した 松村道院長、福田道院長、宮末道院長の紹介である。

誰から言われるとも無く積極的に少林寺拳法の指導者として当然のことをしたまでだということを本人たちから聞いたことを今でも鮮明に覚えている。
私は宮末先生と被災地を北から南下し、少林寺拳法の陸前高田の対策本部に到着したときには、丁度、松村、福田の両道院長は活動を終了し北海道の帰途に着く所であった。
二人とも、北海道少林寺拳法連盟の道院長という意識に関係なく連休の休みを利用して来たことを聞かされた。

今、この映像を紹介することの意味は、心ある拳士なら理解していただけるものと思う。

開祖の30周年記念全国大会のご挨拶でも触れられていたように、少林寺拳法の行動はいついかなる時にでも先頭を切って行動しようではないかとういうことである。
自信と勇気と慈悲心溢れる行動、これに優るものはないのである。

宮末先生と私は陸前高田から岩手の唐桑半島に向かい、柏木先生を訪問した際、津波の被害で何もかも失ったご家族の思いは計り知れないものであったことは以前にも紹介した。先の東北北海道道院長研修会で、再起を誓われていた柏木先生に再会する事ができました。

同志とはどうあるべきなのか今一度思い起こすことが必要な時代である。
政治不信が世の中を席巻し、信ずるに足るものを見失っているときこそ、行動を第一とする少林寺拳法の原点を忘れてはならない。

正義のない力は暴力なり、力のない正義は無力なり!

行動を伴わない指導者の言葉は無味なり。

人の難を見て見ぬ振りを決め込む指導者の存在は、なんとも情けない。

陸前高田で思いがけなく会った松村道院長、福田道院長、そしてこの後二度三度陸前高田を訪れた宮末道院長あなた方は本物の拳士だ。
そのことを私は伝えたかった。

映像は、被災から約2ヶ月程経っていたのであるが、手付かずの場所が殆どであり、人間の手で無ければ処理できないことだらけであった。この映像以上に悲惨なものがあることを付加しておきます。

人知を超えた津波は、人間の構造物をあっという間に破壊する力を持つものであることを、現場を見ると一目瞭然であった。

今年になって、中学生の修学旅行が、被災地を見るとした判断は大変的を得た教育の一環であった。
辛い、悲しいことに目を背けるのではなく直に見る事の意味を心に刻ませた教育的判断に対して心から敬意を表したい。

北海道少林寺拳法連盟の活動において、何事にも恥じることのない行動をもって範を示してもらいたいものである。

北海道少林寺拳法連盟の千葉会長は、学生少林寺拳法連盟に対しても、少林寺拳法の行動規範をいつも心配されています。

大会においても単なる大会に終わることなく、何かを成し得ることを期待しているのである。

北海道少林寺拳法連盟の歴史は、ひとりひとりの拳士の行動によってつくられてきたのであり、将来も行動力のある有意の拳士によってつくられていくのである。

被災地にまだ行っていない拳士は、一度でいいから訪問してもらいたいものである。

合掌再拝 池上

先日、中学高校の男子の拳士に圧法の実写映像を見せた。勿論、当身、気絶悶絶した映像であった。

その後、私の動きをいつとは無く注視するようになった。
何をカン違いしているのか、隙あらば私から当身の一撃を食らうのではないかと恐れているようである。




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