2012年7月29日日曜日

第32回少林寺拳法北海道大会 開祖生誕100年記念

 開祖生誕100年記念鎮魂行 主坐 前田北広島道院長
 

  開祖生誕100年記念 打棒 成田直彦宮の森道院長 
  

鎮魂行中の出場拳士

 緊張の面持ちの出場拳士


大会出場拳士の勇姿

北海道少林寺拳法連盟北海道大会審判団
北海道少林寺拳法連盟千葉英守会長
中華人民共和国駐札幌総領事館 張領事
長谷川岳参議院議員                                                                                   

 
披露演武 青木道院長 田村拳士


千葉会長を中心に歴代北海道連盟理事長


 2012年7月29日真駒内セキスイハイムアリーナで北海道大会が開催された。

鎮魂行首坐は前田北広島道院長、打棒は成田直彦札幌宮の森道院長。
光明寺道院青木道院長と旭川中央道院田村拳士による演武が披露。

青木道院長はどうも腰の状態が良くない中で迫真の剛柔一体の演武を披露した。

長谷川岳参議院議員がその演武に感激のコメントを寄せた。

千葉英守会長が挨拶に立たれ、「開祖生誕100年を記念したこの大会」に寄せる思いを会場に集まった拳士、保護者、観客に語られた。

この大会に出場した拳士のひとりひとりの思い、また、保護者の支えは少林寺拳法を修行する者、或いは指導者にとってこの上ない喜びである。

滝川道院の小林優輔拳士は、初二段の単独演武優秀賞最優秀賞は、札幌学院大学次期主将になる中村拳士であった。北翔大学の宮田拳士も女子初二段の単独演武優秀賞であった。

大会の進行中、光明寺の青木道院長が同日に行われている全国高校大会に単独演武に出ている息子さんが5位入賞したと報告を受けた。
青木道院長も先の高校大会に出ていた小林優輔拳士がかなりうまかったのにという話もあったのだが、高校大会に出場すれば北海道大会には出場できないというジレンマに陥ったこととなる。

今回出場した滝川道院、砂川道院の拳士も良く稽古に励んだと思う。
函館の手坂道院長から、自分が担当審査した小林幸拳士が非常にうまかったとお褒めの言葉があった。
私も手坂先生には「あの子は基本に忠実であり、あれほどのうまい子は久し振りで入賞できないかったのは誠に不思議である。」と互いに話した。 
単独演武は、非常に難しく突き蹴りが武的要素のあるものを見極められないとすれば、単独演武の何たるかを知り得ていない事となる。
観戦していた大月拳士からもかなりの高得点がついてもおかしくないとメールがあった。
手坂先生の函館亀田道院には、北大水産学部の移行生が転籍お世話になっている。乱捕りの稽古に定評があるので北大少林寺拳法部にとっても意義深い事である。私も北大の夏合宿に指導に行くのは例年の行事になっているのだがさて今年は!

審判の審査向上については、審判講習会、考試員講習会等の機会をみて、実際にそれら演武の詳細を指導説明をしてもらう事にしたいと考える。ベテランの道院長にはもっと積極的に審判員として最も重要なこの大会に参加してもらわなければならないことは緊急課題であろう。
佐藤審判委員長もそうした武的な技術のレベル低下を悩んでいるとのことであった。


本選終了後、アトラクションとして、道院長在任50年(西内一千歳道院長)、35年(山﨑勝函館東道院長と私滝川道院長)、30周年(加藤釧路鶴舞道院長)、20周年(野坂政司大麻麻の実道院長)。20周年勤続の野坂道院長が北大少林寺拳法部古川拳士を相手に演武の後、35周年の私が演武をした。
私は保坂拳士島谷拳士森滝川道院副道院長砂川道院中野拳士(札幌学院大学OB)を相手に演武を披露した。
二人同時一瞬に巻小手と諸手逆小手を行った。通常の稽古ではあまり見た事のないものであったことだろう。

森拳士と中野拳士が護身の演武を行ってもらった。
森拳士は嘗て坂東先生の圧法で失神させられた経験を持っている。森拳士は今年6月まで日本を代表してアメリカ合衆国に語学研修生として1年半滞在した。その間、少林寺拳法の拳士として演武或いは技術を披露する機会を得た。少林寺拳法の黒帯に対する畏敬の念に驚いたと帰国後道院の拳士たちに報告があった。

札幌学院大学OB、現在北海道警察砂川署勤務の中野拳士相手に、今回圧法を行った。

彼等二人とも心底の護身の拳士である。
概して、自分に自信がなければ軽薄な演武に陥るのであるが、
彼等にはそうしたことは毛頭見当たらない。
この映像は手元にないのでアップする事はできない。

来週は、北海道武専である。また、元気な顔を見たいものである。

合掌再拝 池上治男 

この大会に関する資料が手に入れば逐一ご紹介したい



2012年7月25日水曜日

北海道大学少林寺拳法部第2回学生大会記念写真

第2回少林寺拳法学生大会 北大少林寺拳法部
合掌
写真の裏に記載されているものによると
昭和46年十一月三日、第二回少林寺拳法全道学生大会。
総合第二位、総合組演武二位、団体乱取三位、団体演武三位とあった。

私は、一年後輩の伊藤誠君と演武を組んだ。組演武の結果は最高点であったと記憶している。(ただ単なる思い出であるのでご容赦)

乱捕りでは、左待気構から蹴で相手の金的に入り、相手が立ち上がった後10秒くらいで倒れ込みそれで続行不可能となった。相手はかなり長身であったことを記憶している。いつも、そのことを申し訳なく思い続けていた。

しかし、その後私の道院の歴史での中盤、外国人との乱捕りではいつも金的蹴を使わせてもらった。190センチの大男を相手に金的蹴りが最もよき技術であった。その結果入門してきたようだ。
今、シカゴのブランチマスターのマイケル イーストウッド 拳士もその内の一人であったと記憶している。彼も長く私の道院に在籍していた。

35年前の道院開設した頃、道場破りと称してやって来た空手の初心者(流派は敢えて伏せる)との、まあ稽古であったが。
甲での下段蹴りに対しては前足底による下段蹴でのお返し、或いは勿論ベアーナックル(グローブ等なかったので)での稽古であり、上段への当身そして軽く金的蹴も大いに使わせて頂いた。
体育館全体を隈なく使い、記憶によると相手のまいったという言葉にも耳をかさず 乱捕りを継続した。

未熟な乱捕りで前歯は差し歯という拳士が多いのではないか。私もご他聞にもれない。
今では考えられないが、田舎で始めた少林寺拳法に対抗してきた若者が結構いたのである。自分は空手をやっているのだが他の武道と乱捕りをしたいと申し出てきた若者がやって来たのである。
つまり、一般に言う道場破りである。道院開設時は、負けられない実戦の日々が続いた。
暴走族の解散等実際に実力行使で成し遂げたこともある。

彼等の中から数名が少林寺拳法に入門して来た。その中には、四段まで昇格した者もいたと記憶している。いつだったか、その拳士が当時の私に稽古が荒っぽかったとインターネットに書き込みしたのを偶然見た事がある。
始めた当時は、柔法等の高度な技術力を持っていなかったので、三時間の稽古の大半は乱捕り。始めた当時は女性はいなくて、若い男連中ばかりであった。
肋骨を折った等というのは日常茶飯事であったように記憶している。今では考えられないが怪我はつきもの、下受けによるあおたん、あざだらけを得意気にしていた時代だったようだ。

当時は、現在の演武のように華麗或いは速度を極めるものではなく、法形のひとつひとつが実戦さながらのものであったように思う。
上段突において大きな違いがあるようだ。いわゆる単なる手突きになっていては護身では使えないことに気がつくべきである。怪我をしないように安全にということを、稽古と言う意味においてはきちがえているからであろう。

私自身がまだまだ指導者として未熟であった若いときに田舎において指導を始めたのであるから、今思うと当時の拳士に対してただ申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

それでも当時から今に至るまで、「闘わなくとも闘える少林寺拳法を護身として身につける稽古に明け暮れた35年」であったかもしれない。

この映像に野坂、池上がいます。大月君もいるかもしれない。大月拳士は今五段を当面の目標に砂川道院所属で毎週金曜日砂川に岩見沢から稽古に来て理論を極めようと奮闘努力している。

合掌再拝 池上

2012年7月23日月曜日

少林寺拳法第43回北海道学生大会

北海道学生少林寺拳法連盟会長木本由孝先生ご挨拶
北海道少林寺拳法連盟会長千葉英守先生祝辞
北海道少林寺拳法連盟理事長野坂政司先生
審判長北見道院宮末政則先生

第43回北海道学生大会披露演武
 



 
北海道大学 大塚拳士 田村拳士
 


2013年度北海道学生連盟大原委員長基本



北海学園大学 波岸拳士 佐野拳士



函館大学吉田拳士(女性)と 北大東坂拳士

 合掌
近藤迪子実行委員長の下第43回学生大会が札幌学院大学で開催された。43年もの歴史を辿ったこの大会の意義は大きい。近藤迪子拳士は北海道学生連盟の二人目の女性i委員長である。
この一年多いに努力を重ねてきたことであろう。
木本会長のご挨拶では、社会に向って身心共にバランスのとれた人間形成のために、汗を流して努力している姿をみたいと学生を激励された。

千葉会長はひとは何においても誠意に応えなくてはならない。学生拳士としてただ単にマニュアル通りではない、マニュアル通り通じないのが社会である事を忘れてはならない。少林寺拳法の運動の本質を見極めてもらいたいと激励された。

上の最初の動画は、関東、東北の学生による披露演武である。下の動画は北海道大学の動画である。来賓席から撮ったものであり、隣席の野坂理事長から北大の学生のことを聞いた。昨年の主将は知っているが、もう一人は岩見沢東高校少林寺拳法部出身とのことであった。

次回、第2回大会の貴重な写真映像を載せたいと思う。野坂政司ではなく、たしか政史ではなかったかと思うのだが髭のない若き童顔を見る事ができます。乞うご期待!

2012年7月21日土曜日

北海道少林寺拳法連盟初代理事長 西内一先生

2009年1月18日 宗由貴総裁・西内一先生
合掌
この映像は、北海道武専に来られた宗由貴総裁北海道少林寺拳法連盟初代理事長西内一先生である。
千歳道院長である西内先生は今年50周年表彰を受けられた道内最高齢の道院長である。

この映像から、先生の結手構が長年の少林寺拳法の風格を醸し出されていると思われないであろうか。

私も初段試験を千歳道院で受験した記憶がある。
道内の初期の多くの拳士が受験されたのではないか。
開祖宗道臣先生が御逝去されたときに、一早く私にお電話頂いたことを昨日のことの様に覚えている。

先生は最近奥様を亡くされ、お通夜にお参りに行った際、最期のご様子を詳しく話していただいた。ご心痛のことと心よりご冥福をお祈り申し上げます。

私は道院長35周年を迎えたのであるが、先生の長きにわたるご苦労を思うと気の遠くなる思いである。

明日は、北海道学生大会、来週は北海道大会である。
北海道大会では、35周年を迎えた事で記念演武等を行って欲しいと、担当の伊藤先生から依頼があった。今日も電話があり、打ち合わせをした。
滝川道院の森副道院長、砂川道院の中野拳士(札幌学院大学OB)、札幌のデモンストレーションの拳士にも相手をしてもらうことにしている。演武といっても事前の稽古をすることなく ぶっつけ本番ということになる。

合掌再拝 池上

2012年7月18日水曜日

追悼 灰谷健次郎先生

灰谷健次郎先生(左)
先生に記念のサインを頂いた。
合掌
1996年5月2日、東北北海道の道院長研修会の講師としてお招きした際にお願いした記念写真である。

この当時、私の先生に対する知識は皆無と言っていい状態であった。
先生が自ら私はフィリッピン人に似ている云々のくだりは後に先生の作品で知ったのだが、今の仕事は沖縄で漁師として楽しんでいるとのことであった。

真っ黒に海焼けしている貴重な写真である。
講演の前に北海道連盟理事長としてお相手をさせて頂いた際、三度仕事を変える人生を推奨している。」という様な話をされたことを思い出した。

天の瞳の少林寺拳法に対する造詣の深さ等知る由もなかった。
この頃の私は「書を捨て街に出でよ。悪と闘うのだ!」の日々の生活だったと思う。

「太陽の子」「砂場の少年」「海の図 」の単行本を事前に持って行きサインを頂いたのは私だけだった。今となっては貴重なものとなった。先生の作品は道場の図書として全て置いてある。

先生の作品が現状の教育現場にある立場の人の反発を買うことも多い中で、真の教育とは何かをライフワークとした先生の生き方は、少林寺拳法の運動に相通じるものがあるのは拳士として理解できるのではないか。

また、いじめ自殺の大津市の問題が大きく取り上げられたことで、再び教育現場の慌てぶりが露出してきた。

いじめた側の人格への尊厳への軽薄さ、いじめられた側の物言えぬ辛い時間の流れ。
気がつかぬ周囲の 情けなさ。
宇宙の中でたったひとつの命を自ら絶つことへのやるせない思い。

教育現場にある者の言い訳として、「私は知らなかった。」は済まされないし許されない。
「忙しくて手が廻らない教育現場を援けてください。」が如きの情けない教員には大事な大事な命は任せることはできない。
片田舎に住んでいる私は少林寺拳法の運動の一環として少林寺拳法の定着のためにそれなりに戦ってきたが、まだまだ真の教育とは何か、そのための具体的行動について日々葛藤している。
教職にある少林寺拳法の拳士にとって、教育現場は戦いの場である。その場を思いやりの場に変えることができるのも現場の教員だけであるというのは言いすぎか。

少林寺拳法の布教普及活動は、灰谷先生の描いた「少林寺拳法の倫太郎」を一人でも多く育てることであろうと再び意を強くした。

少林寺拳法の関係者で灰谷作品にまだ触れていない人は、是非読んでもらいたいものだ。
子供たちにも作品に触れてもらい、生徒教師が真に一体となって学校生活をよきものにしてもらいたい。
少林寺拳法の道場は、戦わなくとも闘える真の強さを引き出したいものである。

追悼 灰谷健次郎先生
合掌再拝 池上

2012年7月16日月曜日

1978年函館東道院長山崎勝道院長嵩山少林寺山門で奉納演武

1978年10月嵩山少林寺山門前で演武クリックすると拡大
合掌
この映像は1978年訪中時、函館東道院・山崎勝道院長と池上との嵩山少林寺山門前の奉納演武である。右が山崎勝先生である。
道院長になって間もない頃の映像である。

貴重映像であることは、日本人として国交正常化後すぐの訪中であり、山崎道院長の後ろの赤い僧衣の人は徳禅和尚であることからお分かりいただけるのではないか。

当時の嵩山少林寺は荒れ果てており、現在の面影はない。
演武を見ている中国の人は殆どが近隣の農民である。


函館東道院と滝川道院は同じ歴史を辿ったのである。
今年共に35周年を迎えたのである。
山崎勝道院長は私より年齢は上であるが、手坂先生の後輩に当たり拳士歴も私の方がやや古いのである。二人とも頭に注目していただくと頭は真っ黒である事に気付かれるのではないでしょうか。
私の家族が函館訪問した際、食べ切れない程の蟹をご馳走になったことを私の4人の子供たちの間で、未だに語り草になっている。

これから少しずつこうした少林寺拳法の歴史写真を紹介して行きたいと思います。
映像をクリックすると拡大されます。

合掌再拝

次回はいじめ自殺問題が再び大問題になっています。
海の日の今日、灰谷先生の「天の瞳」 成長偏のⅡとあすなろ偏のⅡを読み返してみた。
灰谷先生が北海道で講演して頂いた時の私と記念撮影映像を紹介いたします。

2012年7月15日日曜日

イギリスダラム大学との交流

2007年11月池上自宅前
2007年11月札幌学院大学にて
2007年11月 ウッドワード先生と札幌学院大学学長
左:森滝川道院副道院長・ウッドワード先生
2007年11月札幌学院大学にて稽古前のストレッチ
2007年11月我が家での朝食準備

合掌
昨日、辻野光華拳士が13時44分に砂川駅に到着した。自宅に寄ってから旭川空港に15時40分頃待ち合わせの人が沖縄から来るという事で車で送った。
車中で大学卒業後の様子を聞いた。
札幌学院大学の現状と彼女の卒業後のイギリスダラム大学との姉妹クラブ提携の話題に及んだ。
ハリーポッターの撮影地であるダラム大学は世界遺産の名門大学である。

ダックスブリッジと言われているのは、三つの大学の頭文字をとっているのである。
ラム大学、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学は名門大学である。
この大学には、姉妹クラブ提携の際に私は訪問した。当時の映像を辻野拳士の世代は知らない事もあり映像を紹介する。
こうした国際交流を通じての少林寺拳法のクラブ活動には底知れぬ魅力が隠されていることを知るべきではないか。
この後、ダラム大学の拳士はJAMES先生と数回北海道に来られている。昨年は札幌学院大学の中村拳士3年がイギリスに短期留学した際、ダラム大学を訪問した。大歓迎された。

合掌 池上

2012年7月14日土曜日

道南の仏(鬼) 手坂道院長 ・札幌学院大学OG辻野拳士

2006年7月19日の北海道武専
合掌
この映像は、函館の英雄 手坂世志雄道院長である。
道南では知る人ぞ知る元学校長である。
悪童のいる学校に派遣され風通しの良い校風を齎す少林寺拳法の達人である。
私も、学生時代ずいぶんとお世話になったものである。
今も北大水産学部の移行生が亀田道院にお世話になっている。
亡くなられた奥様も大変素晴らしい人であった。私の家族も函館に行った際、宿泊させて頂いた。先生は今年、道場を建設された。私と同世代で今から道場建設は勇気のいることである。
どこぞのように、何道院がお金を出し合って間借りの専有道場とは訳が違う、気概の道場である。
まだ私も行っていないのだが、近隣の拳士は大いに訪問すべし!

昨日、羆の巡視で山に行って来た。
起伏の激しい処であったが、風もあり割と過ごしやすい日ではあった。しかし、山歩きは絶対に油断してはならない。水分塩分不足で山中で倒れ、羆の餌になってはお話しにならない。

夜は砂川の稽古である。
高校時代砂川に稽古に来ていた女性拳士の子供さんが入門した。年はめ~ぐり、また~!

追記
羆の巡視中に、1981年生まれの北海道学生連盟委員長を張った、札幌学院大学OGの辻野拳士からメールが届いた。稽古終了後電話があった。明日数年振りに北海道に来るという事で砂川の自宅に来る事になった。懐かしい限りであり訪問は監督冥利に尽きる。


2012年7月5日木曜日

2011年被災地に一番乗りした二人の道院長

北海道連盟で被災地に一番に乗り込んだ松村道院長

左から宮末先生、右が福田道院長(松村道院長と行動を共)
宮末道院長と八甲田山を下山2011年5月1日04:39
2011年5月1日10:34 陸前高田への途中
2011年5月1日10:34陸前高田への途中
2011年5月1日
2011年5月1日
陸前高田の浜 岸壁はない
陸前高田道路清掃後
陸前高田道路清掃場所から津波の来た数キロ先を見る

今日、国会に昨年の福島第一原発事故調査委員会報告書が衆議院議長宛に提出された。
歯に衣着せぬ分析結果であったのではないか。
人災であった事、官邸の指導の不味さからの厳しい指摘がなされた。

今日、紹介している映像は、昨年いち早く被災地対応した 松村道院長、福田道院長、宮末道院長の紹介である。

誰から言われるとも無く積極的に少林寺拳法の指導者として当然のことをしたまでだということを本人たちから聞いたことを今でも鮮明に覚えている。
私は宮末先生と被災地を北から南下し、少林寺拳法の陸前高田の対策本部に到着したときには、丁度、松村、福田の両道院長は活動を終了し北海道の帰途に着く所であった。
二人とも、北海道少林寺拳法連盟の道院長という意識に関係なく連休の休みを利用して来たことを聞かされた。

今、この映像を紹介することの意味は、心ある拳士なら理解していただけるものと思う。

開祖の30周年記念全国大会のご挨拶でも触れられていたように、少林寺拳法の行動はいついかなる時にでも先頭を切って行動しようではないかとういうことである。
自信と勇気と慈悲心溢れる行動、これに優るものはないのである。

宮末先生と私は陸前高田から岩手の唐桑半島に向かい、柏木先生を訪問した際、津波の被害で何もかも失ったご家族の思いは計り知れないものであったことは以前にも紹介した。先の東北北海道道院長研修会で、再起を誓われていた柏木先生に再会する事ができました。

同志とはどうあるべきなのか今一度思い起こすことが必要な時代である。
政治不信が世の中を席巻し、信ずるに足るものを見失っているときこそ、行動を第一とする少林寺拳法の原点を忘れてはならない。

正義のない力は暴力なり、力のない正義は無力なり!

行動を伴わない指導者の言葉は無味なり。

人の難を見て見ぬ振りを決め込む指導者の存在は、なんとも情けない。

陸前高田で思いがけなく会った松村道院長、福田道院長、そしてこの後二度三度陸前高田を訪れた宮末道院長あなた方は本物の拳士だ。
そのことを私は伝えたかった。

映像は、被災から約2ヶ月程経っていたのであるが、手付かずの場所が殆どであり、人間の手で無ければ処理できないことだらけであった。この映像以上に悲惨なものがあることを付加しておきます。

人知を超えた津波は、人間の構造物をあっという間に破壊する力を持つものであることを、現場を見ると一目瞭然であった。

今年になって、中学生の修学旅行が、被災地を見るとした判断は大変的を得た教育の一環であった。
辛い、悲しいことに目を背けるのではなく直に見る事の意味を心に刻ませた教育的判断に対して心から敬意を表したい。

北海道少林寺拳法連盟の活動において、何事にも恥じることのない行動をもって範を示してもらいたいものである。

北海道少林寺拳法連盟の千葉会長は、学生少林寺拳法連盟に対しても、少林寺拳法の行動規範をいつも心配されています。

大会においても単なる大会に終わることなく、何かを成し得ることを期待しているのである。

北海道少林寺拳法連盟の歴史は、ひとりひとりの拳士の行動によってつくられてきたのであり、将来も行動力のある有意の拳士によってつくられていくのである。

被災地にまだ行っていない拳士は、一度でいいから訪問してもらいたいものである。

合掌再拝 池上

先日、中学高校の男子の拳士に圧法の実写映像を見せた。勿論、当身、気絶悶絶した映像であった。

その後、私の動きをいつとは無く注視するようになった。
何をカン違いしているのか、隙あらば私から当身の一撃を食らうのではないかと恐れているようである。




2012年7月1日日曜日

森副道院長アメリカより帰国稽古再開 釧路武専映像

 
宮末道院長 田中拳士 下段返



合掌
釧路武専の残りの映像を公開します。映像は実にそのときを再現してくれます。
最近送って頂いたDVDを見たが、開祖の懐かしい姿を見る事ができました。ひとの命の終わりをどうすることもできないのであり、その姿を映像の中に見るしかありません。
限られた生命の息吹を垣間見る事ができる映像は実に意義深いものがあります。
釧路における武専稽古風景は後に光り輝くときを迎えることでしょう。
合掌再拝 池上

追記 
大月拳士へ。いつも稽古の度に研究した事を開示し試すその努力は拳士に少なからずもよい影響を与えるものです。
圧法の実際に気絶をした姿から驚きを隠せなかった中高生の男子にとって、少林寺拳法の技術の奥深さを何とはなしに感じたものと思います。
心配された審判の問題については暫く様子をみたいと考えています。本部指導員の私にとっても審判の編成等技術の向上、公平さ等についても今後の課題であることは言うまでもありません。
 これら、担当者が責任ある行動を取ることができなければ解決し得ないことです。
指導力不足が否めない今回のそれぞれの捉え方は、その場その場を都合よく大過なく済めばいいという程度でしか捉えていないのかも知れません。