合掌
このブログの主たる製作は、現在旭川南高校教員の松林拳士に負うところが多い。
同校の高(たか)拳士(教員で本部研修受講済み)の二人が同好会の生徒を伴い23日の休日の日にやって来た。
当初、この日は砂川道院休日休みの予定であったが、松林拳士からの砂川道院での出稽古の希望があり、急遽受け入れる旨即答した。
18時半から開始した稽古。
少林寺拳法初心者に対する護身の極意とも言うべきものを体験させることができれば幸い。両教員が三段受験の際、二人で砂川道院に出稽古にやって来たその時の体験を生徒に体感させたい希望であることは明白であった。
初心者の指導においては、身近な先生の技を見るだけでなく、他の指導者とその門下生の技術をも含め、実際にその技術を直接かけられることで一気に物事は進むものである。
さらに、興味を増加させることになる。
私にもその経験があり、そうした積み重ねから今があると言える。
砂川道院、滝川道院の拳士の全国大会出場者或いは北海道大会最優秀の演武を披露したこともいい影響を与えたものと信じるものです。
当日演武した、小林拳士、鈴木拳士、三浦拳士等の演武は影響を与えたものと思う。
当日参加した旭川の拳士に感想を聞くことで、いい結果の感想であれば我が道院にとっても非常にありがたい事です。
今後、柔道でオリンピックで金メダルを多く輩出している柔道の名門旭川南高校を訪問し、少林寺拳法の指導ができれば嬉しい限りです。
倉本先生の思い出
「昨日悲別で」の撮影。
砂川駅裏のモーテルの前で冬の夜、ロケを敢行したときのことである。
俳優大滝秀治さん、女優五月みどりさんが二人で歩くシーンを撮影したのであるが、倉本先生が現場に立会い、寒い中、時間をかけて撮影したのである。
そのモーテル入り口の真ん前での撮影時間は真夜中過ぎ迄続いた。
先生はヘビースモーカーで、しゃがみ込みながら、ふかしていたのを記憶している。
しかも寒い雪のなかである。多くのスタッフも勿論寒さを忘れての撮影であった。
夕方から真夜中過ぎ迄かかったことで、モーテル利用者が出るに出られない状況であったことは言うまでもない。
ずっと付き合った私も寒かった記憶が残っている。
今思うと、私は34歳のときのことである。若かった!
埼玉武専
久しぶりの埼玉武専で、深谷市を訪れた。
10月2日、日曜日深谷市総合体育館での開催である。
深谷市にある埼玉工業大学は、私の甥が卒業した大学であることを知った。
住んでいたマンションの一階の、深谷ねぎを焼いて食べさせる居酒屋でアルバイトをしていたとのことである。ねぎ何とかという店のようだ。
多店舗化してうまくいっているとのこと。
本人は現在、京セラの名古屋支店に勤務している。
彼の親、つまり私の弟の三回忌は今年である。
神奈川県警勤務58歳で他界してしまった。
絶対事実である「思う我は死ぬ」の通り、先に逝って早くも3回忌である。
湧出の甥は、今の所元気であることが何よりと言いたいが、喫煙が心配である。
さて、先月北海道の武専に指導に来られた、菊地先生が埼玉グランドホテル深谷に、午前8時40分の約束の時間に若い門下生を伴って来られた。
深谷総合体育館は、ビッグタートルという名の通り、丸い甲羅の亀をイメージした非常にすばらしいデザインの建物である。
そばに古墳があるからではないかと、大野木理事長に尋ねたところ、古墳はなく、そうではないとのことであった。
朝、大野木先生、倉田健治先生、矢島隆禅先生、赤崎義昭先生、小宮山宣司先生の皆さんにご挨拶申し上げた。
いわゆる埼玉を代表するそうそうたる先生方である。
被災地でお会いした、大活躍の林先生は朝はまだおみえではなかった。
埼玉の林先生には頭の下がる思いである。
ダンプを持ってきて瓦礫処理の先頭に立たれていたのである。
ダンプのような実物がなければ、頭の思いだけでは何にもならないのである。
被災地から遠くにいるだけでは何にもならぬのである。
この被災を眼前にして、開祖宗道臣先生ならどうされるだろうか!
もちろん、先頭に立たれていることであろう。
開祖の思いは、今被災地の真っ只中にあると言えるのではないか!
宗由貴総裁が先頭に立って被災地に行かれていることを思えば、拳士ひとりひとりが一度ならずとも被災地において、自分確立・自身確立から
真の自己確立を果たすべきではなかろうか。
それぞれの事情はあろうが、一度は実物に触れることが少林寺拳法の拳士として大事ではなかろうか。
千年に一度のことである。
今行かなければ千年後に行ける由もなし。
思いと行動は全く別である。
午前中の講義 金剛禅の「調和の思想」 その五 組手主体
参禅とは、坐禅に参った。自己が自己を自己する。
坐禅する自己が本尊であり、真の仏教は偶像崇拝ではないことを理解するべきである。
坐禅中、決して邪魔をすることなく、坐れる環境をつくるべきである。
坐禅は自己確立にあって、とてもとても大事なものなのである。
坐禅が一旦始まったならば、ゆめゆめ じゃまはなさらぬよう!
じゃまにならぬようただ坐禅に参った自己を本尊として見つめればよいのである。
絶対事実 我思うゆえに我あり。
思う我は死ぬ
湧出事実において、金や名誉やいわゆる名利に関わらぬ、
如何に真に豊かな人生をおくるか。
そうした人生において、単なる自分・自身ではない、真の自己を通しての組手主体を理解することこそ、少林寺拳法の修行である。
単なる練習ではなく稽古であることの意義を理解すべきものである。
自他共楽の精神を土壌とした組手主体を、普段の稽古を通して、できるならば乱捕りを恐れず嫌わず、日々の稽古に取り入れようではないか!
埼玉武専については更に次回に続く。文章の間違いニュアンスの違いがあれば後で訂正します。
まずは、埼玉武専においてお世話になったことを先にお礼申し上げます。
ブログを見て頂いている埼玉県連の皆さん本当にお世話になりました。
4日火曜日から羆に対する警護のために山に入ります。
羆には遭遇したくないものですが。
参禅・稽古には影響ないものと思います。
合掌再拝 池上治男
女子二人とジャージ姿の小学生を乗せて帰りましたが、稽古時間があっという間に感じて、楽しかったと言っていました。小学生は旭川北道院にでも通って欲しいです。男子生徒は動きが良くなってきたように感じています(もちろんまだまだですが)。
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