2011年12月31日土曜日

神奈川武専感想文から

合掌
いよいよ2011年も終了。
人間社会にとって大変な365日でした。
多くの直接間接に関わるひとたちとの別れの年でありました。

感想文
本科1年
31)死についての話もかなりしていただきました。私は人間(魂)は死して終わらないと考えています。少林寺拳法の内修外修により本当の自己確立ができると思いました。

午前中の実技が難しかったがとても面白かった。練習してみます。

32)どんな人間でも最期には死を迎える。その中で、私利私欲を求める生き方はどうだろうか。教育的精神的な財産を残すために、内修外修の修行が重要である。

切小手の練習、攻撃をされた瞬間に当身を入れ掛手を中心に腰を動かしながら切小手の体勢に入る。

33)指導者からは口に出なかったですが、人間は何か特技を持っていた方が魅力で良いという事が分かりました。

一つ一つの動きが早くて分かりにくい部分があったが、受け方がとても良い勉強になった。

34)志を続けていくことは難しい。戦うための少林寺ではないが、「戦わない、戦えない少林寺」ではいけない。毎日鎮魂行を行うと良いよ。責任感を持って生きよう、やるべき時にやらずして何時やるのか?

35)「魅力のない自己は無力なり」という言葉が印象的だった。私も自分自身魅力をつけるように内修外修を両方修行していきたいと思います。

掛手のこつを教えていただき勉強になりました。

36)鎮魂行は内修のスタート。外修とsh義手の少林寺拳法は実戦的なもの。「魅力のない自己は無力なり」

技術とても参考になりました。

37)毎朝鎮魂行をやることで一日が変わる・・・行ってみようと思いました。
魅力のない自己は無力なり 今日できる事は何かを考え過ごしていこうと思いました。

受身(大車輪、横転より起き上がり)試験のポイントの説明がためになった。

本科2年

38)鎮魂行を一日のスタートにすると良いというお話があった。内修にあたり一日を心豊かな心で過ごすためにも良いことだと思う。少林寺拳法はもちろんのこと、色々な魅力を伝えて自分もしっかりしたものを認識することに注視する。

39)「仏教とは本来偶像崇拝はない。一人ひとりが坐禅を組んでいる姿こそが本尊である。」という話がとても印象に残りました。先生がくりかえし「人間はいつかは死ぬのだから、生きている今を悔いのないように過ごそう」と言われ、一日一日を大切にしなくてはと改めて思いました。

白蓮拳など、より実戦的な解説をしていただき、ためになりました。「戦えない少林寺拳法」を払拭するためにも法形の時も気を抜かずに力をこめて練習に臨もうと思います。

40)鎮魂行を毎日やっているというところに驚きを覚えたが、歩行禅というものを聞き、なるほどと思った。いつ死ぬかは分からない、いつかは死ぬ、生きている間に、など言葉に重みを感じられた。

巻小手~天秤固~続けて固技の練習がとても楽しかった。また、使える少林寺ということで行った燕返もおもしろみがあった。

穏やかな大晦日。2012年元旦まであと55分

合掌再拝 池上

2011年12月26日月曜日

神奈川武専感想文から

合掌
25日は大変な大雪で26日は朝からショベルローダーを借りて除雪のしどうしだった。隣近所の人の手ではかなわない雪の山を取り除く手伝いをした。
雪との戦いは本格的なものになってきた。
今も外は雪が降り続いている。

感想文 (原文のままに)
21)本科1年

池上先生、少々、いただけない面がある以下の如し。
毎日の習慣として鎮魂行を取り入れるとよい。これはその通り。しかし「みりょく(魅力)のある自己をめざす。」 「今現在、魅力のない人が居る」と考えている人の弁でごう慢。ある程度の歳になれば、自分の発言が常に自分に向いていることに気付くはず。残念。

技術、池上先生連日の働き、ごくろう様です。勉強になった。

池上からこの感想文にコメント!
さてさて、今回の神奈川武専の感想文の内でこれだけが頭から批判を加えたものであった。ただ、この感想文は神奈川武専の学生ではないことを教務に確認しました。
他の地区からの参加学生を含め提出の感想文にはこうした見方はただのひとつもありませんでした。
こうした見方は個人の判断です。実名で感想文を提出するのですからこれはこれでいいでしょう。

私の講義の内容は概略次の通りです。
開祖の法話において、
「魅力がなければ誰もついて来ないぞ。魅力ある人間になれよ!」と常に言われたことを多くの拳士は知っているであろうからそうした見解になることはないはずである。
内修、外修を通して修行することで自己確立を、生涯かけて理想境を目指す拳士の姿に、魅力のある豊かな精神性を追い続けるのは誰にとっても当然のことであろう!
私の年齢あるいは私の何たるかを含めて、この「魅力のない自己は無力なり」という主題を初めて今回の武専の講義を聴いてこれ程取り違えて聴くと言う学生のいることに正直驚きを隠せない。
青少年育成という大目的は魅力ある人づくりであり、理屈ではなく行動を起こせよという開祖の魅力に賛同し、私も指導者として35年を迎えた。そうした私が傲慢な人間であるという感想は、私を慕うまた多くの仲間をも否定する発言であるといったら言い過ぎであろうか。
また、どこかの武専で会うこともあるかもしれません。その時にまた本人と是非このことをいろいろ話してみたいものである。
余程の人物であることを期待したい。

この言葉は、私たち滝川道院・砂川道院のメインテーマスローガンとして位置づけているものであり、私自身を含め私たちの目指す人間像を象徴したものであり、布教普及のテーマであることを多くの人たちに理解されている。
開祖が我々に語りかけた「魅力ある人間になれよ。」ということを、経験を積んだひとりとして武専の学生諸氏に伝えているのである。
私の思いは変わることはないので、同士諸氏、ご心配ご無用!

魅力のないことは無力なり!絆を持って人間を愛そう!

今回の感想文のように受け止めるひともいることを知ったので今後その点を留意しながら講義をさらに熱いものにしたいと意を強くしている。

22)自己確立、自身確立ではないことを理解する大切さを学びました。「魅力のない自己は無力なり」という話を聞き、日々の生活の中で自己確立を進めていけるように努めていこうと感じました。

実践的かつ正確な指導が印象的でした。技の深さを改めて感じました。

23)内修外修について学んだ。人は必ず死ぬ、死ぬまで内修外修にはげむことです、という言葉が印象深かった。

24)北海道砂川池上先生、自己確立について、自身確立にならないようにと言うお話。毎朝鎮魂行を行っていらっしゃるということは素晴らしいと思います。歩行禅という面白い考え方で時間に余裕がない方にはピッタリだと思います。毎朝とはいかないにしても気付いたときにやってみようと思います。

白蓮拳と基本に変化形で色んな動きと固めにチャレンジ。法形があって乱捕りがあるのではなく乱捕りがあるという考え方。

25)内修の自己を確立して、しっかりと指導できるように自身だけでなく自己確立が必要であると学び、外修の役に立たない使えない少林寺拳法ではなく役に立つ少林寺をしたいと思います。「魅力のない自己は無力なり」は心に残りました。

基本科目はためになりました。道院に戻ってから指導に参考にしたいと思います。

26)正直、鎮魂行をしっかりやるということを学生が行っているかというと、ほとんどやっていない状況があると思います。しかし、心の健康を保てるというのはあるのだとろうと感じました。私もしっかり行い、そして内面も外面も魅力ある人になりたいです。

流れてすいつく受け、そして実践を考慮した動き、できるようになりたいです。

27)自己確立ではなく、自身の人が多い。人は何時、死ぬか分からないので、いつ死んでもいいように、一所懸命に生きていく

受身、音がでないようにする。突き、蹴り、受け方と技への応用

28)人はいつか死ぬ、という事が分かっていれば、日々の過ごし方や、いざという説きの行動が変わってくる。一人一人が坐禅を組んでいる姿そのものが本尊である。

天秤固からの変化に感動した。動画を見直して是非マスターしたい

29)毎朝鎮魂行をしていると聞き、驚きました。時間がかかるだろうと思ったのですが、歩きながらやっているとのこと。なるほどと思いました。3.11の震災関連のお話の行動力について見習いたいと感じました。

乱捕りに近い形での練習で、前後の出入りや固めへの連絡など勉強になりました。

30)内修としての鎮魂行→毎日やると人生が豊か、変わる是非やっていただきたい。神奈川からの2通の手紙(藤沢の女性、北里大)→開祖の話、原点に帰れ。我々の存在は思いがあるから、我思う故に我在り(デカルト)その我は死ぬことは明確である。その中で活き活きと生きるために内修鎮魂行が必要。鎮魂行は禅の一つ。人それぞれの禅があってよい。その人それぞれの世界だ。その人のものである。内修とはそういうものだ。(ブログ)われわれ少林寺の内修のスタートは鎮魂行である。年を経ると分かる。外修としての少林寺は斗に向いている。内修外修ともに自らが言っていることは、中から醸しだすように「魅力のない自己は無力」なりと。
東日本大震災、震災→お金も必要だが人でないとできないことあり。やるべきときにやらなかったらいつやるのか?
人それぞれの内修外修のストーリーあり。

池上コメント
一部原発関連の部分削除させていただきました。ブログを読んでいただき、また講義をきちんと理解詳細にわたる感想文心からお礼申し上げます。

合掌 再拝 池上

2011年12月25日日曜日

何年かぶりの大雪の朝除雪三昧。電車全て動かず麻痺、忘年会に行けない、プレス空知小林拳士の記事

合掌
朝起きたら50センチくらいの大雪。市の除雪車全く入らず。町内から道道に出ることかなわない。
滝川駅に迎えに出た車が道道の出口で埋まる。四輪駆動車が埋まるのだからその凄さがわかる。筒井君が大型除雪車が通りがかり、見かねてローダーで除雪し道路を確保、車を押してくれて事なきを得た。
数分前に市の維持係に電話したが今日は除雪車の出動はしないとのこと。昨日まで市内の排雪したためと今日が日曜日ということもあり、出動しないのだろう。
12月の25日日曜日特別な日なのにもかかわらず、車を出すことができない程の状況を除雪しない体制は如何なものか。
ついでに、町場のイルミネーションをせっかく飾ったにもかかわらず、12号線の道路から高い雪の壁のために全く見えない状況を市議会議員の諸氏はそういうことに目が行っていないのだろうか。生活道路確保が最優先すべきであり、排雪のみならず豪雪地帯における除雪体制を最優先にすべきではないのか。
朝早くから3時間ぶっとおしで除雪したが、私の自宅は道道に面していて後背地に多くの住宅があり、もし、救急搬送しなければならぬ命に関わ事態を想定した、さらに強く意識した体制を敷く必要がある。

いずれにしても北方圏の豪雪は人間生活を容易に破壊する。

今日は、札幌学院大学北翔大学少林寺拳法部の忘年会が札幌開催、残念ながら交通手段の麻痺で欠席することとした。残念であるが仕方がない。宮田主将にメールで欠席の連絡をした。

滝川市の除雪は今日動いていることを確認してから維持係りに電話したことを理解してもらいたい。まあ、砂川市の担当者にとってはどうしようもないことなのであろう。

こうしたときに市議会議員が、各町内を廻り、この大雪対策に力を注ぐことが大切だ。個人的な活動ではなく、このときとばかりに一生懸命動いてもらいたいものだ。

小林拳士の全国高校大会出場の記事がプレス空知に掲載された。24日土曜日の記事である。
次のような内容である。
原文記事を読むようにしてみて下さい。

☆砂川高の小林さん、少林寺で全国大会出場へ
 【砂川】砂川高校2年生の小林優輔さんが18日、倶知安町で行われた北海道高等学校少林寺拳法新人大会に出場し、自由単独演武の部で準優勝を果たした。3月に香川県で開かれる全国大会へ出場する。小林さんは「北海道代表として恥ずかしくない演技をしたい」と意欲をみせている。

さて、また雪がかなり積もってきた。
今年の札幌雪祭りは雪不足に悩まされることはないであろう。

森拳士はアメリカでの年越し、残された家族3人も20日からアメリカ。
みんな元気に2011年を終えて、新たな気持ちで2012年を迎えましょう。

2011年は、私の身近な人が他界したが、今生きている皆さん少しでも長く健康に頑張りましょう。
除雪は筋肉トレーニングのつもりで頑張るぞ!

合掌 池上治男

2011年12月24日土曜日

神奈川武専感想文から

合掌
12月24日(土)午前の滝川クラブの稽古2011年度最終の稽古を終了した。
今日も真冬日であった。北方圏の人にしかわからない厳しい寒さが続く。
さて、鎮魂行に続いての法話のテーマは神奈川武専の感想文の中から取り上げて話した。
魅力のない自己は無力なりについての神奈川武専の学生の受け止めについてである。
神奈川の武専学生のこのスローガンについての受け止めは実に素直に理解し自分自身を鎮魂行、そして易筋行の更なる努力を重ね魅力ある自己を確立しようという聴衆のものであった。
感想文を開示したものを見てもらえば一目瞭然である。
ただ残念なのは一枚だけが受け止め方他の人とは全く受け止め方が違っていた。
どうも教師である私が魅力に溢れ、学生の皆さんがそうした魅力を持たない、上から目線のスローガンであるという感想であったようだ。
魅力ある人間になろうと、そして社会の指導者になるために魅力ある人間になれというのが開祖の法話の根底をなしている。
神奈川からの2通の手紙の法話テープを拳士皆さんが聴いてみることが開祖の思いを知ることになるであろう。
自信と勇気と慈悲心を身につけた信頼のおける人間になるために武専という教養を高める場である。
他の地区からの聴講生であったようだが、今一度、「魅力のない自己は無力なり、絆をもって人間を愛そう!」という私のライフテーマを理解してもらいたいものである。
勿論、立場上経験したこと、学生の皆さんが知りえないことを伝えるということで講義に臨んでいることを理解していただきたい。
聴衆全員を満足させるのはこれは困難である。
あらゆる年齢層、環境の違いを乗り越えて受講をしてもらうことになり、致し方の無いことである。与えられた主題を教師自らの体験に基づき脚色のない話をしなければならない。
東京、大阪、名古屋、京都、東北、九州あらゆる地域に教師と派遣されたのであるが、どこに行っても経験を積むことで開祖の思いを感ずることの出来るのが武専である。
武専において、武勇伝やら自慢話をするつもりは到底ないのであり、事実に基づいたことを話すのみである。
今回の一枚の感想文は、事実そう感じたとすれば私の不徳の致すところとなるのか或いは当日参加した拳士の皆さんの判断に委ねるのがいいのか、いずれにしても今後の参考にしたいと考えます。

武専の学生は将来違った感性から指導者になり、自分の経験を伝える役割を担ってもらいたいものである。

ただ感想文は勿論実名で書くわけであるから、その内容については文責が発生することを認識しなければならない。

神奈川武専の皆さんの少林寺拳法の理念を深く理解しようとする意欲は非常に素晴らしいものであった。
魅力溢れる人間になる努力を共に重ねたいものである。

開祖の思いを自分の周りの人たちに伝える布教普及に邁進して行こうであはありませんか!
毎朝の鎮魂行を始められた拳士の皆さんにまた会いたいものです。

予科感想文
11)内修と外修 魅力のない自己は無力
   基本は、普段の練習へも取り入れたいです。

12)坐禅についての別のよい見方を学びました。
   「魅力のない自己は無力なり」考えさせられる言葉です。
   掛け手のやり方が少しですがわかりました。

13)内修としてのスタートは鎮魂行。毎朝やると気持ちが変わる。
   外修としての少林寺拳法は使い道がある。少林寺拳法の内修、外修
   の教えの中で1人1人自分の人生を色づけ生きていく。理念、知識を
   持って、自分のできることは何かを考えて、(いつ死んでもいいように)
   行動することが大切である。
  
   全体の基本練習の三分の二の時間は献血に行っていました。
   力を抜いて技をかけると簡単にかかる。力を抜くことが大切。

14)1日のスタートは鎮魂行。継続が一番大切。
   魅力のない自己は無力なり。
 
   力と力の衝突をさける。

15)自己確立への要点教わりました。

   ぶつかりのない形での相手の操作法。軸をぶらさない。

16)今できることが修行であり、常に何かを見つけ出そうとする心構えが重  
   要であると思った。毎日出社のための車中で鎮魂行をやってみたいと
   思う。

   動きが速くわからない点もあったが道院にもどって練習します。

17)鎮魂行は毎朝歩きながら出来る(歩行禅)。毎日すると自身が変わる
   少林寺拳法は使い道がある。→状況を想定して技を稽古する。
   魅力のない自己は無力である。中からかもし出されるもの。信頼感
   やるべきときにやる。

   受身 音をたてない。横転起き上がり=腹筋背筋を使うように
   掛けては柔らかく、手首をつかまない。
   固め:ねじりくも絡み、初めてで理解できませんでした。
   白蓮拳の運用法

本科1年
18)日々の練習で外修が中心なため、内修が足りていないと思う。
   自己確立のために内修にも、もっと力を入れていきたい。

   技術参考になり、日々の練習に生かしていきたいです。

19)講義おもしろい。責任を持った行動を取る。死について軽い口調で語  
   るのはどうかと思う、、。でも気持ちはとても伝わり元気が出ました。
  
   技術とても楽しそうで自分もできるようになりたいと思った。

20)歩行禅、歩きながら鎮魂行→毎朝やること推進。
   坐禅を組んでいる姿→内修の姿、ひとりひとりが本尊である。
   「魅力のない自己は無力なり。」生きている中で内修・外修。
   良いところを見つけていく。鎮魂行→心豊かな人生

   横転より起き上がり→腹筋背筋を使って転がる。ひじは曲げず手を伸 
   ばしたまま音を立てずに行う。

今日の感想文はここまでとします。

合掌再拝 池上

被災地の皆さんが寒さに負けないように祈ります。

2011年12月23日金曜日

2011年12月18日神奈川武専感想文から

合掌
神奈川武専近藤先生から感想文を送付頂いた。
丁度、届いたときは外が猛吹雪で目も開けられない激しい冬至翌日である。
除雪の手を休めて感想文を一枚一枚読んだ。神奈川武専の学生の講義、技術に対する真剣さが伺えるものであり、大変嬉しく拝見した。
それらの内容を原文のままに紹介し、私自身の参考にさせて頂き今後に反映したいと考えます。

一度に書き込むのは時間を要するので何度かに分けたいと考えます。

釧路鶴舞道院の加藤忍先生のご令室が逝去されました。
ここに慎んで哀悼の誠を捧げます。
先生には早速電話でお悔やみを申し上げました。
釧路武専の折に奥様があまり長くないというお話をされていました。
長年連れ添った奥様の逝去は悲しみの何ものでも在りません。
お参りに向う電車の野坂理事長と電話で話し、くれぐれも宜しくと伝えました。
空知教区からは供花、それぞれご香典を差し上げる旨、加藤先生にもお伝えし、お参りに行かない非礼をお詫びしました。

神奈川武専感想文
予科1年
1)内修と外修の話であったが、鎮魂行の重要性が良く理解できた。
  また、「魅力のない自己は無力なり」という言葉が心に響いた。
  基本が今まではあまり自分の中では理解できていないことがあり、深く 
  考えさせられた。

2)魅力=自負の強さと私はとらえました。自負の強さにより技はするどさを
  増します。それが力につながるものと、社会生活の中でも通じる話です
  ので納得しました。
  つばめ返しの注意点、巻き小手から固めの連反攻、横転のコツ 

3)内修のスタートとして鎮魂行を毎日毎朝歩きながらでも良いので行おう
  。自身確立ではなく、自己確立を。外修として実用となる事を身につける
  こと。魅力のない自己は無力である。
  指導論において語られたように外修として実用になるような白蓮拳や
  巻き小手からの固め等大いに参考になった。

4)鎮魂行は毎日すべし(坐禅をする自身が本尊)
  自己確立と自身確立は異なる。
  魅力のない自己は無力なり(内修も外修)

5)「やるべきときに、自分から行動しなければない。」ことが印象深かった。
  日々の意識のしかたが大切。
  巻小手の固め技の極め方は何通りもあり、場面により使い分けられる 
  ようにしたい。

6)道院等4つもかけもちで、且つお仕事もされているのにおどろきました。
  内修、外修を毎日されているとこうも違うものかと思い知らされました。
  いつ死ぬかわからないので全力でとり組みたいと思います。
  献血に行っていて最初の方を見逃し惜しいことをしました。
  天地拳第三の相対は演武で丁度やろうをしていたので参考になりまし
  た。巻小手からの龍固の変化技が面白かったです。

7)いろいろな例を出して教えていただきました。ハンターを例に信用などを
  教えていました。勉強になりました。
  技術:またちがうやり方で楽しかったです。

8)「魅力のない自己は無力なり」死ぬ前に自己を確立し魅力ある人間に
  なれるよう内修面、外修面を修行する。
  ちょっと難しい技がありましたが、もっと練習します。

9)実体験を交えてはなしてくれたので楽しく聞かせてもらえた。
  「リーダーとしての心構え、信頼されるためには」勉強になりました。

10)自分はまだ20代で、自分のことで精一杯です。明日、死ぬかもしれな 
   いなんて考えたこともなかったですが、年をとって、まわりに自分の経
   験を語れるようにがんばっていきたいと思いました。
   横転は腹筋を使うことを知りました。掛け手もちょっとコツをつかめば
   効果的なのだとわかりました。

一度に書き込むのは少し時間がかかりますので、10名くらいづつにしたいと思います。

今から滝川まで外出しなければなりませんのでここまでにしておきます。
予科の学生のここまでの皆さんに私の意とするところを素直に聞いていただき大変嬉しく思います。
開祖の魅力により、私たちはここまで来ました。
先輩や後輩、友人の指導者が他界していく中で我々残っている指導に当たるものの責務であると考えています。

北海道武専の指導に来られた先生で他界された思い出に残る先生

東京の澤田先生(道東武専補講に一緒に指導に当たりました。私の弟子が先生のところでお世話になりました。)

埼玉の小坂先生(私の一年後輩)いずれも魅力溢れていた拳士でした。

明日の滝川クラブの稽古、仏教徒である私はクリスマスの日ですが今年最期の稽古です。ふるって参加してください。

昨日の忘年会楽しく過ごすことが出来ました。
皆沢山食べましたか!
良い年を迎えてください。
冬至が終わりました。今日からまた太陽の出る時間が長くなります。
春は後100日待てばいいのです。

合掌再拝 池上治男

2011年12月19日月曜日

2011年12月18日の神奈川武専について

合掌  
神奈川武専で教師として感じたことを以下のように述べたいと考えます。
教師と学生との垣根は全く無く武専を楽しもうという雰囲気を感じさせるものであったのは、鎮魂行のときを共有した段階で感じることができた。
  
「現代の社会生活に結びつく金剛禅の修業のあり方」が今回の講義主題である。
宗教概念を理解しなければ宗教の講義をするにしても受けるにしてもなかなか大変なことである。
しかも時間が限られているのであるから聴いてもらうには、一気に私自身に集中してもらわなければならないのである。

   内修、外修についての講義主題は現代社会の時宜にかなっている。   

金剛禅の宗教概論の説明から入ったのである。
次の様な内容から開祖生誕100年に絡めた内容から開始したのである。
1979年夏の開祖の法話に出てくる神奈川県の
二人の手紙が少林寺拳法の今の組織に大きな影響を与えた。
開祖遷化の前年、最期のこの講義が神奈川の拳士で
あったことを認識してもらいたいということを強調した。

志を忘れずに、自覚と責任をもって今の人生つまり
社会生活を生きる。

絶対事実の概念を講義:
     われ思う故に我在り、
          思う我は死ぬ、
          人生における湧出事実=現代社会における人生

宗教概論の解説をしなければただ単に少林寺拳法は技術のみの組織に過ぎなくなる。

易筋行は勿論のこと、鎮魂行を毎朝しませんかという
問いかけをした。
鎮魂行をただのセレモニー程度と考えているようであれば、豊かな人生の礎をもつことはないのであるから、この問いかけはどこに行っても発信しているのである。   

外修内修一如が、自身確立ではなく真の自己確立への
修行の根幹をなす。

魅力のない自己は無力なり、絆をもって人間を愛そう!



     
基本の指導の他に研究科二年を担当した。
基本指導においては
   戦える少林寺拳法
   護身としての再認識をする場
   乱捕りのすすめ、
    乱捕りを無視した稽古は無意味、無味乾燥の道場となる
   筋トレの必要性。

究科二年の指導において
当身の五要素、経絡の意識による技術があって
法形乱捕りが一体になることを意識して指導した。

法乱一体の少林寺拳法!

戦わなくとも、護身として戦える少林寺拳法で
なくてはならないということを強調した。

払受の方法についても観点を変えて指導したのであるが、相手の受けの接触面を小さくするように且つ相手の足を地面に落とすベクトルを意識するように指導したが、激突方の受け方が容易に変えるのは難しいかもしれない。稽古あるのみである。



掛手の指導   
子供たち
肩揉みのやり方を指導しながら覚えると良い

 
 

 




掛手    
大人たち
掛手の仕方一般

掛手が護身の柱である
 
掴まれた際相手の力に負ける

 
相手の腕の体幹に掛けてはならぬ



 講 義は眠るものがでない内容に心がけたのであるが、
居眠りするものは誰一人なく、聞き入るその姿は
やる気に満ちていると見受けられた。

受講態度は非常によく講師に対する非礼のない態度が継続し、真剣な中に笑い在りと豊かな時間を共有できたことが嬉しい限りであった。

 技 術
私と同年齢の拳士も私に負けまいと一生懸命
稽古している姿を見て嬉しく思った。

戦える少林寺拳法の意識を開眼してくれたのなら嬉しい。




 
 
指導に当たったことが喜びとして感じることのできる
武専であったのであるが、特に今年の神奈川県少林寺拳法連盟は全国大会等の準備あるいは、開祖の志に思いを馳せる佐藤理事長の指導力を大いに感じた

講義にしても技術指導にしても時間が非常に足りない
ことを痛感した。





感想文関連については後日アップしましょう!
神奈川武専の関係各位、誠にありがとうございました。

武専代表教務の近藤先生は、私と同郷の生まれと初めて聞かされ
驚きました。
武専教師であるが、未だ北海道には指導に来たことがないとのこと。
早い機会に北海道武専指導担当なることを!

また、瀬谷の小川先生にもお礼を申し上げます。
また、釧路の道東補講の武専では帰路釧路空港までの短い間にあっという間の大雪に見舞われ、本州の人にとっては大変な経験をされました。
瀬谷道院の長身の拳士一生懸命でした。
先生には今一度、釧路或いは北見、帯広の開催の道東武専に来られますようにご期待申し上げます。

神奈川は私の弟が眠る地でもあり、私自身にとっても少林寺拳法の指導に入るスタート地点、第二の故郷でもあります。

体の続く限り私自身も豊かな人生を歩むべく日々稽古に励みたいと思います。

合掌再拝 池上治男 

北海道高校大会の報告(砂川高校)小林優輔拳士

合掌
神奈川武専の終了後、藤沢翔陵高校から藤沢駅への車中、小林優輔拳士のお父さんからの携帯電話の着信があったので、私が電話したところ、
倶知安高校(くっちゃんこうこう)で18日に開催された大会で「準優勝し全国高校大会に行くことになりました。」との電話が開催会場からありました。
昨年は入賞が果たせなかった中、今年は入賞したとの報告であった。
会場の表彰式か何か分からないがざわざわしている会場の物音が携帯電話を通して聞こえた。
手坂先生から先にメールがあった際、倶知安の高校大会に行くと言う内容が書かれていたのを思い出したので、手坂先生、野坂理事長にも会えたら宜しく伝えておいてと伝え電話を切った。
暫くしてから、電車で移動中に優輔拳士本人から同様の報告があった。
「今まで教えてくれてありがとうございました。」という電話であったが、電車移動中のため小声での応対しかできずにすぐに切ったのであるが、おいおいまだ大学に行って大会で活躍しなければならないのにと思いながら、まあ取り合えず本人にすれば大会開催中の今を精一杯の電話内容。

全国大会では、審判判定は最初からガラガラポンであるので、また精一杯稽古したらよいでしょう。

今、指導に行っている札幌学院大学・北翔大学の少林寺拳法部の部員激減も高校からの経験者が部活に入ることで新たな展開が期待される。
札幌学院大学、北翔大学の全日本学生大会での最優秀に輝いた歴史をもう一度取り戻す部活の活躍を期待するものである。
OB諸君にとっても同様の思いであろう。

だれにとっても、「いつでも青春時代に心をおいてある」のである

そういう目標を持つことも華の青春時代にはあっていいこと!

イギリス留学から戻った中村拳士にもそうした新しい仲間が入ることを見据え、大変な今の部活に活力を与える努力をしてもらいたいものである。

自身確立ではない、「真の自己確立の修行」はそうした普段の生活の中で醸し出すものである。

神奈川武専については、後日、書き込みたいと思います。
感想文を持って帰ることはできなかったので感想文を送られてきた内容を見て後、書き込みたいと思います。

神奈川武専の学生、またそれを支える運営担当者が学生の為に尽力されていることだけは敬意を表する次第です。
指導に行った私にとっても、「心から嬉しい、楽しい一日」であったことをここでまず言っておきます。

小林優輔拳士も再来年は、札幌学院大学の少林寺拳法部に入部するように期待します。
砂川高校には早坂大樹拳士も来年入学するので、我が母校の砂川南高校のつながりである砂川高校にきちんとしたクラブができれば、少林寺拳法経験者が入学するようになるのだが。

少林寺拳法の経験者の教員が、しっかりした少林寺拳法の理念を持ってクラブ設立の機会があれば、何をおいても先頭に立ってもらいたいものである。

「魅力のない自己は無力なり、絆を持って人間を愛そう!」 池上