2012年3月11日日曜日

3月3日考試員審判員講習会、3月4日北海道武専

合掌
今日は東日本大震災から丁度一年が経ちました。この一年ひととしてどう生きてきたかが問われる一年であった。
原発事故の放射能漏れに対する初期対応の危うい危機管理対応は時の政治責任の最たるものであった。
水蒸気爆発やメルトダウンをむしろ日本国民が予測し、放射能汚染を外国が当事者よりも認識していたということだけで、統治能力がなかったことを重く受け止めなければならなかった。
東京都心をも廃墟と化すかもしれないほどの政治判断の不味さは日本国民にどれほどの不安を与えたか。言い訳に終始する政治家の無力は政治離れを加速する。一年経った今でも担当大臣の言い訳を聞くに付けそれほどまでにその職に固執することがどれほど人類に危険を齎すのかという事に気付かないのは不思議でならない。
国際的な信用失墜をますます増加させることは明らかである。
政治家という職に就くものに対しては、それなりの知識経験等を問う資格試験が必要である。政治家センター試験を課すべきである。

こうした中にあって、自らを被災地におき日本国民としての行動をとった日本人がいたことが唯一の救いであった。

使命感をもって非情な環境下で人命救助にあたった自衛隊の行動は、政治家諸氏に直接社会に貢献したかの差を歴然と痛感させた。
権力のあるかなきかは実に重要なのであるが、非常事態における政治権力者の無力さを思い知らされたのである。
また如何に、ITはアナログに比して無力なのであろうか。人間の力で対処できる範囲で人はこの地球と向き合うべきなのであろう。

自衛隊の存在云々の歴史的評価は、ここに非難の対象から敬意の眼差しのそれに変わったのである。
私の人生において関わってきた自衛隊の拳士には、その使命感にますます磨きをかけてもらいたいことを強く願うものである。
政治の遅れがたとえあったとしても政治は私たち人間社会になくてはならないだけに、有意の政治家の誕生を期待したい。

3月3日に考試員審判員講習会の講師を本部から依頼された。この資格無しには、昇級試験の試験官あるいは各地方大会のおける審判員をすることはできない重要な資格である。それだけに、普段武専に出てこない拳士も多数参加してくるのである。普段の武専にもこれだけの拳士が参坐するならそれだけでも活性するのであるが。
北海道の地理的なものを考慮するとそれもなかなか厳しいものであるが。
自己チェックの記述においてみな一様に苦労していた。審判判定においても極端な採点の差もなく無事終了した言える。

翌日の北海道武専は秋田の佐藤教師を迎えて、修了式の月である。
佐藤教師は実に真面目なひとである。短い時間であったが、当日の実施の技術においても持論を示しながら事前確認を行った。地元の講師にとっても有意義な時間であった。
この日は私は担当科が無かったので、各科を巡回した。
予科本科において希望者に技術を指導した。
予科2年に竹房拳士、大條拳士、本科の松林拳士、苫小牧中央の女性拳士等と技術を楽しんだ。
皆、技術向上に一生懸命であり頼もしい限りである。
巻小手はいろいろな方法で研究できる技術であり一義的に捉えることなくその方法を示した。
松林拳士と旭川南高校の技術映像やその解説に英語訳を付している等、イギリスのダラム大学の拳士が見れば大いに役立つと話した。

武専では手坂先生の道場兼用住宅が完成したことを知った。無落雪住宅はある程度余計に積もった雪だからこそ降ろさなければならないのだということをご指導申し上げた。
函館は降雪量が少ないので今年のような例外の年には雪降ろしをしないと新築の家も傷みがでることをご注意申し上げた。
ご本人はどれだけ耐えられるか今年は試しているのであると軽口をたたくのである。
私の住んでいる空知の豪雪指定地域は毎年雪との戦いである。

野坂先生の退官記念パーテイの準備が北大のメーリングリストで情報が流されており、着々と進んでいるようであるが、当初31日に出席のつもりであったが、稲津参議院議員が道場を訪問されることになり、同期の野坂先生の方を欠席することとしたと本人に伝えた。
ま、いつでも会えるのであるから。

今日は、札幌学院大学、北翔大学の追い出しコンパの日である。こちらは監督であるので勿論出席。

滝川道院砂川高校の小林優輔拳士の全国大会のゼッケンを林先生に一旦渡されたのであるが、直接砂川高校に送るようにしてもらった。
林先生から砂川高校の畑拳士(教員)に送られ、それを担任から小林拳士本人に渡されたようである。

昨日の滝川クラブの稽古において、小林拳士の足刀蹴の指導をした。
どうも本人は詳細なる知識が無く、カン違いをしていたようである。
私も皆の見てる前で足刀蹴を行いながら指導した。
どういうわけか私の蹴りもいつになくうまくいったのである。まだまだ筋トレや稽古をすれば、みごとな蹴りもまだまだいけるのではないかと一人悦に入った。

滝川クラブの稽古に前田拳士も元気に参坐した。
小関親子も今年は移動がなく滝川にいることとなった。
アメリカ出張中の森拳士が6月に帰国予定なので、また会えると喜んでいた。
村谷拳士も、5月に昇格試験を受験したいという希望を聞いた。
鈴木貫太拳士も最近かなりうまくなってきた。
松村美憂拳士も元気。
田中翔梧拳士も白蓮拳に磨きがかかってきた。
砂川の竹房拳士もいつも滝川の稽古に参加し、乱捕りを楽しんでいる。

早坂太樹拳士、藤野拳士も高校受験が終わりほっとして参坐。
それぞれの春が始まる。

合掌再拝 池上治男

2012年3月3日土曜日

砂川小学校三年生親子レクリエーション少林寺拳法を体験する

合掌
3月1日午後1時25分から45分間、砂川小学校において、生徒と保護者合わせて100名を対象に少林寺拳法を体験する授業に講師として呼ばれた。
橘教師と保護者代表のお母さん高橋さんにお世話になりました。

2011年度当初に高橋さんから、この企画に来ていただけるかと問い合わせがありました。
勿論、少林寺拳法の普及活動、地域との共生の観点からも喜んで行かせてもらう旨伝えたわけである。
そうして、今年に入り日時が近くなってから、橘教師からも電話があり、打ち合わせをしたのである。

丁度、先の本部において武専教員研修会の前日、コース制の認定講習を受講しているまさにその最中に、橘教師から打ち合わせの電話があったのである。

全く少林寺拳法を知らない小学校3年生とその保護者の皆さんに短時間の間に少林寺拳法の魅力を伝えなければならないのである。
凝縮した指導というより、兎に角、体験体感してもらわなければならない難しい時間であることは推察の通りであります。
お母さんの方が多い中、お父さん或いはお祖父ちゃんも参加するのではないかと思われ、そうした意味からコース制の、マイステップ、ゆたらくのコース制を参考にすることにつながるのではないかと思われた。

今回の授業企画は私にとっても有意義な時間であった。

滝川道院の小林優輔拳士(砂川高校2年)にも参加してもらった。
というのは、この3月に行われる高校全国大会の単独演武に北海道代表として出場することもあり、その演武を披露してもらうことにした。
事前打ち合わせにおいて橘教師からも彼の演武を是非皆に見せてもらいたいという強い希望があった。
小学校1年から少林寺拳法を始めた彼の拳歴は今回の授業に最適教材であることに違いないのである。

砂川小学校の校長先生と挨拶交わした後、早速、会場の体育館に案内された。入り口付近には保護者、中には既に整列している小学3年の子供たちがいたのである。
100名を越える人数であったので、実に心躍る時間の始まりとなった。

最初に紹介があり、そしてすぐに私に進行を任された。
まず、少林寺拳法とは何かを説明した。
灰谷先生の「天の瞳」の話に触れ、是非その小説の倫太郎の生き方を学んでもらいたいということを伝えた。
実は私自身も再度幼年期少年期を読み返して今回に臨んだのである。

すぐに呼吸法から入り、ゆっくり筋肉を動かす動作から、アップしていくようにつないでいった。
人数が多い事もあり、このときにはステージ上において動作を示した。

軽い目打ち(勿論目打ちとは言わないで高さの説明にとどめた)、拳を握り、上段、中段、蹴りを下段、中段、中段回し蹴り、上段回し蹴り(さすがにこのときは驚嘆の声が上がる。)これでもうお母さん方は汗をかいているようであった。

ステージから降りてから、手刀打ち(手刀打ちの言葉は使わないで)の動作に対して、吸収する受けの動きを行った。
コース制で実施しているものと同様の所作である。

少林寺拳法が怖いものではないことを、これでまず体感する事ができたようであることを、見ていて感じた。
概して、少林寺拳法のデモンストレーションはその凄さを伝えようとする傾向にある。恐怖に陥れてはいけないのであり、もし恐怖を植えつけてしまっては普及にはならないのである。

最初の一連のこうした動きの際に、橘教師が動作所作をマイクを通して伝えてくれた。
普段聞きなれた先生の協力は子供や保護者に安心感を与えたことは明らかであった。
これでこの後の動作所作の指示において、怖いというイメージの支障が取り除かれたのである。

次に基本的抜き技の体験、小手抜きから始めた。しかし、決して小手抜きとは言わずにである。掴まれた手を合掌するが如きにし、自分の肘をお母さんの肘の上に重ねるように回転するという指示だけである。
小林拳士と私が場内を回りながら少しずつ指導して廻るようにした。枝葉末節にこだわることなくである。

切り抜きに入った。これも技の名称を言うことなしに所作の説明を行った。

さて、この後すぐに、小林拳士に切り抜きの攻者になってもらい、わたしがやるのを見てもらった。そして、親指を切り抜く事を示した。そして再び皆さんに体験してもらった。
そして、いよいよ、切り抜きではなく、巻き小手を行い投げるのを見せたのである。
この瞬間、見ていた人たちの目が丸くなったのを感じたのである。
そして、橘教師に突然の参加を促した。
事前の打ち合わせはなかったことは言うまでもない。
巻き小手をいくらか早い速度で行った。
先生は柔道をやっていたそうで、投げられたときに受身をとったのであるから、その様子を見た参加者に与えたその技術の効果は倍増した。
体が頑丈で大きい先生が受身をとったその時、大きな歓声と拍手が起こった。
要するに、大いに「うけた」のである。
立ち上がってから、先生は、「わたしは学生時代柔道をやっていたので、今日覚悟していた。投げられたら受身をとろうと思っていた。」と、少林寺拳法を大いに持ち上げるためにそう言ってくれたのである。
先生は、兎に角、この企画を盛り上げることに、一生懸命なのである。 
よき先生である。

その後、少林寺拳法の技術を本格的に見せ、小林拳士も全国大会に出場する演武を披露した。少林寺拳法は凄いものだといことを見せたい衝動に駆られるのを押さえたのであるが。
この技術披露時には、恐怖を感じるのではなく、やさしいことから少しずつ始めれば誰にでも出来るという思いを持ってもらえたのではないかと、私には感じられたのは思い過ごしであろうか。

お母さんの中の何人かが、子供の頃、私の塾に来ていたということを後で知った。

あっという間の時間も終わりに近づき、そしてクールダウンを行いいい時間を終了したのである。短いけれど充実の時間を終えたのである。

参加者全員に配布できるようにと少林寺拳法の月刊誌を持参しておいたものを帰るときに手渡してもらった。書物から少林寺拳法の情報を得ることとなる。

砂川市の広報も取材に来ていて、広報誌に掲載してよいかと聞かれ勿論快諾。
一言で少林寺拳法は何ですかという広報の問に、「護身、楽しく命を守る」と回答した。広報誌を後で見て確認してみたい。

校長室において暫く歓談をしたのであるが、校長先生からも武道に、池上先生のように、勝ち負けのない、危険の少ない少林寺拳法の専門家に授業で教えてもらったらいいのではないかということにも言及された。いわゆる、中学校の武道の必修化に向けての話である。
また、地元の小学校、中学校、高校を教育の場として、今日のような保護者と生徒のふれあいの場としての一貫性を持ちながら、田舎においてもよき人材を育てたいものである事を話題としたのである。

辞した後、夜、橘教師から電話があり、その後の父母との懇談において、今日の授業は良かったということと、何よりも少林寺拳法を初めて知ったという話題であったことを伝えられたのである。
講師に対して最期まで気を使ってくれたのである。
思いやりのある配慮である。もし、また依頼されたら快諾することは至極当然である。

今回の企画をしていただいた砂川小学校3年生とその保護者会の皆さんに心から感謝申し上げたいと思います。有難うございました。
重ねて、橘先生、高橋さんにお礼を申し上げます。

また、コース制の担当者に、これをもって報告に代えさせていただきます。

小林拳士のお父さんがビデオ撮影をしていただき、感謝申し上げます。

合掌再拝 池上治男

2012年2月20日月曜日

2月北海道武専のこと!

合掌
2月武専のときに、函館手坂先生との会話
自宅と道場を新築中とのこと。念願の道場の感が強いのだと思う。
奥さんが生きているときに家を建てたらよかったのにと私が言ったら、「金がなかったから建てられなかった。」と朴訥に言われた。
いい奥さんだったが、数年前に残念ながら亡くなられたのである。
手坂先生の自宅跡地千代台に建設中とのこと。
北大の水産学部の学生が今先生のところで稽古しているとのこと。いい稽古をしているだろう。
手坂先生に、北大の夏合宿に今度参加しようと誘った。
ここの所、ずっと夏合宿に指導参加している。
手坂先生も北大水産学部の学生との縁ができたのであるから、北大の夏合宿に参加するのも人生いい思い出になるのだから。野坂、池上、手坂先生ほぼみな同期の桜である。
何とかまだ命持ちこたえている三人である。

手坂先生との話題で、「今の函館の副市長が中林君であると、きのとやの長沼君から聞いた、それで彼が副市長の間に大学の同じゼミの同窓の会を函館でやろうと思っている。」のだと言った途端、「あれ、中林はおれの高校の同期だ、函館中部の同期で仲がよかったんだ。今の市長は中部高校の一年後輩だ。」と手坂先生の驚き。
中林君は私が大学のときに特に親しかったのを覚えている。
函館で世話になった間柄である。彼は、当時としては珍しく地元の市役所に就職した。私たちの多くの殆どは、民間企業に就職した。
私は、極洋へ、長沼君は牧場を目指して!
まあ、二人とも今は全く違う道にいるのだが。
中林君と手坂先生との関係を全く知らないままに、2012年2月の武専で初めてそのことを知った。

2月担当本部派遣教師の菅野先生からお礼の手紙が届いた。
北海道の武専学生は素直で一生懸命に取り組んでいて大変よかったとのこと。
私から「遠慮しないで思った通りどんどんやってください。」と言われ、思いっ切り指導することができたと書かれていた。
気分良く帰られてよかった。

金曜日の稽古に久しぶりに大月拳士が稽古に参加した。
ご承知のように岩見沢は異常な積雪で如何ともし難い状況で、そんな中、稽古に来た理由は本部の武専での技術を体感したいからである。
相手を瞬時に体重を踵に移動させること、無いものを掴ませるが如くの動きをどう行うのかなど実に高度なものを希求する大月拳士の意欲が岩見沢から冬の高速道路をスバルの300馬力の車で来るのである。
通常では考えられない。
つい最近、大月拳士のお父さんが亡くなられたこともあり、暫く落ち着かない日々が続いた中で、武専を休まざるを得なかったようである。
次年度の武専も継続するように勧めた。
やはり、武専というものは拳士にとって有意義な場であり、教養ある拳士にも参加し、いい影響を与えて欲しいものである。

稽古が終わって、赤平の三浦広大拳士とお父さんが挨拶に来た。
広大拳士が昨年学校において、台車と壁に挟まれ足を骨折した経緯を報告しに来たのである。まだ、足が完全に治っていないとの事である。見稽古もあると話して、来れるときに来たらよいと伝えた。安心したようであった。

土曜日の稽古に久しぶりに前田剛拳士が参加した。防衛大出身のガッチリした男である。
柔道の有段者の村谷拳士との乱捕りは、見ものである。
私のアドバイス、相手の攻撃を吸収する受けを常に心がけるようにと。
63歳の村谷拳士とその半分の年齢の前田拳士、互いに遠慮のないところがいい。

私も前田拳士に乱捕り指導しながらの稽古中、受けた膝がまだ痛い。
歳は隠せないか。あちこち傷が痛む。まあ、心地よい痛みではあるが。
柔法の稽古において、前田拳士は、ものを掴ませるが如くの技術を稽古するに実によき拳士である。
彼は兎に角、真面目な男である。ただ、仕事が忙しいようで稽古に参坐するのが大変である。
前田拳士から、片胸落、小手巻返、両手押小手等激痛の走る技を教えてほしいとの希望が多く出され、相手をした鈴木貫太拳士、村谷拳士、竹房拳士も共に一生懸命痛さをこらえながら稽古した。人数は少ないが中身の濃い稽古であった。

留萌の小山拳士もこの冬の留萌峠を来るのは命懸けである。来年度から武専に入学する。メールで参坐ができないのですが、絶対に破門しないで
くださいと意味不明の内容。どうも昔かたぎの性格なのであろう。私に破門する権限は持ち得ていないのである。

ただ、次年度の更新手続き(信徒会費、個人会費の手続き)は今月中で
す。これを怠ると一旦休眠扱いとなりますので気をつけて下さい。

因みに、私も既に次年度の更新手続き支払いを終えました。私の場合、信徒会費7150円、個人会費は、大学の監督をしているので、3150円ではなく、5150円である。道院長の個人会費は3150円であるが、大学の監督を重複していた場合、高いほうの大学の監督の個人会費になるのは納得いかないと、苫小牧の甲斐先生が昨年よく言われていたのだが。

2月から3月にかけて、親子で稽古に来られている家庭、また、武専、そして、子供たちが入学進学を同時期に重なっている経済的負担は数万円になり、誠に高額になり、申し訳ない気持ちで一杯である。
それだけに魅力ある指導の場をつくらなければならないと思っています。

また、新年度に向かって、少林寺拳法の仲間づくりにも積極的に力を貸してください。拳士のそれぞれの体験から新しい仲間を一人でも多くしてもらうしかありません。
冬の厳しさももう少しです。頑張りましょう。

3月の20日春分の日に茨城武専に急遽行ってほしいと、武専本校の志村拳士から依頼の電話が、丁度屋根の雪下ろしをしているところにあった。
日曜日でなく祭日に行う武専は私は初めてである。
勿論、お受けした。
さて3月20日に向けて体つくりをしなくてはいけませんな。筋トレ筋トレ!
大月拳士が、効率のよい筋トレの本を金曜日に持って来てくれたので参考にしたい。

ここ、2週間ばかり、再度、灰谷先生の天の瞳の幼年期、少年期を読んだ。3月1日に砂川小学校において3年生の生徒保護者100人の皆さんと少林寺拳法の授業を開催することになっているからである。
最も難しい学年なのかも知れない。

さて、北海道の最も厳しい冬ももう少しである。
春の北海道は皆さんのこころのなかにあるのです。

合掌再拝 池上治男

2012年2月13日月曜日

神奈川武専感想文、北海道武専

合掌
早いもので2月武専の日を迎えた。
岩見沢付近の吹雪はひどいものだ。
岩見沢市内の在住のひとが家から出られないとのこと。
砂川から国道12号線を走り漸く前方が見えない雪道を抜けた。

本部派遣教師は、菅野先生、東京成瀬道院長。
私は、武専研究院を担当した。武専研究院は本部教師が担当することになっています。
今回は、大山先生にお手伝い頂いた。というのも、先に本部において武専研修会において山﨑理事長が指導された技術内容からしてそれを理解できている人にしかお手伝いは無理だからである。
始めに内受突を前足の捌なしに行う意味を説明しながら相手をどんどん替えて乱捕り形式で体を温めながら行った。

攻者を踵に瞬間に体重移動させる事で倒すことを指導した。
これには、大山先生に更に懇切丁寧に学生諸子に指導していただいた。
他の科に比すると、よもや達人の世界に見えるのかもしれない。

私は、無いものをつかまさせる感覚を体感させることを指導した。
あるものを掴まえるということは、それ自体激突であり、攻者と一体となる吸収ではないことを指導した。
見る見るうちに学生諸子の動きから無駄な力が抜けていく感覚を持ったのではないだろうか。
2011年度の武専研究院の稽古で今回が最も充実した日であったと最後の挨拶で述べた。

神奈川武専感想文 研究科4年
1)「自身確立」という表現は「己の実現を優先し、自他共楽を忘れた状態」と捉えてよいだろうか?

池上回答:まったくその通りです。あなたも更にこの論理をあなたの見方で展開されたらよいと考えます。

「乱捕りから法形を考える」という指摘に多くの刺激を受けました。

2)朝から鎮魂行を実践してみたいと感じました。普段から自分のできることは自分で動けるように心がけて更に磨いていこうと思います。有難うございました。

乱捕り→法形については私も日頃から感じていることで、運用がきちんとできれば有用だと感じました。

3)「1000年に一度のでき事に今動かずしていつ動く、1000年後まで待つのか?」時にはリスクを覚悟で動くべきという事に普段の自分の覚悟不足を痛感しました。

巻き落としからの連続した固め技に感動しました。

4)確かに人は必ず死ぬというのは不動の心理であり、死ぬからどう生きるかという考えになるのだと思います。

今回は体の都合で参加できなかったので、ぜひまた神奈川武専に来てください。

5)毎日鎮魂行をしています。坐禅、動禅を日々続ける内での自己の内面の変化を楽しんでいます。志を大切に豊かな人生を構築していきたいと思います。

短時間の中で、素晴らしい稽古を体感させていただきました。ありがとうございました。

6)歩行禅を行う。鎮魂行を道場及び毎日行う。自己確立:自身確立ではない。座禅は一人で行う。

すばらしい技、色々な処で我々が良く理解できないことをわかりやすく指導して頂き、有難うございました。

7)神奈川からの手紙を思い出しました。開祖の志が直に伝わる指導者論でした。少林寺拳法設立時の熱い思いを伝える事の重要性を感じました。

基本でのあざやかな動きに感度しました。少林寺拳法がPracticalな格技である事が納得できました。少しでも近づきたいです。

8)鎮魂行は内修のスタート「魅力のない自己は無力なり」

9)毎朝鎮魂行を行うと毎日が変わってくるとのお話、ありがとうございました。大変勉強になりました。

閂を極めるときの入り方は大変参考になりました。また、天地拳第三を相対で練習する方法。法形を運用法に結びつけながら行う方法は取り入れていきたいと思います。

10)内修のスタートは「鎮魂行」からということを認識させられました。実践できるようにしたいです。

流れの中で固めに入る一連の動きが流石でした。少しでも近づけるように動きたいです。

11)鎮魂行を毎日されていると聞き驚きました。座禅ではなく歩行禅というものもあると初めて知った。地震のとき、お金も必要だが人がいかないとダメなことが多いというのはその通りだと思う。募金だけでは不十分なのだと思いました。

横転より起き上がりは、腹筋背筋も使うものと初めて知った。これから気をていきたい。

12)魅力のない自己は無力なりと先生に教えて頂き、たしかにそう感じました。金剛禅で修行している内修外修を生かして、今自分でできることをせい一杯行い、魅力ある自己を育てたいと思います。

受身で腹筋背筋を使い音がしない様に受身を行わないといけないということがよく分かりました。

13)毎日鎮魂行をなさっているというお話をお聞きして、自分自身におき換えてみた時努力が足らないと思い知らされました。魅力のない自己は無力なり、内修外修共に生涯修行を続けなくてはいけないと改めて痛感しました。

剛法柔法共に大変美しく勉強させて頂く事が沢山ありました。ありがとうございます。

14)現代の社会生活に結びつく金剛禅の修業のあり方(内修外修)
魅力のない自己は無力なり

15)少林寺拳法の拳士である為には人生を過ごす間は人々の為につくす事を忘れてはならない。人はいつ死を迎えるかわからない為、自他共楽の行動をしていきます。

基本は大変楽しかったです。古い話、技法のかけかたなどが大変良かったです。

16)自己確立→自身確立ではない、魅力のない自己は無力なり。信頼と責任感→命にかかわる時、逃げたら信用を失う。やるべき時にやらないでいつやるか!

以上提出された神奈川武専の感想文の紹介はこれで終了です。

合掌再拝 池上

2012年2月11日土曜日

インフルエンザ猛威を振るう。神奈川武専感想文研究科3年

合掌
兎に角今年の冬は、冬らしき冬である。
空知の豪雪指定地域を証明しているような冬である。
高齢化社会でこの冬を孤独に過ごすとしたら堪らない季節である。

ここ最近、灰谷健次郎先生の本を読み返してみた。
「海の図」「砂場の少年」、「太陽の子」
この3冊は北海道少林寺拳法連盟でJR研修センターで灰谷先生の講演をしていただいた時にサインをして頂いた。
亡くなられて久しいのだが、サインを見る度に懐かしく思い出される。
本当に惜しい人であった。

また、以前購入していた、「ズザンナさんの架けた橋」;日本とドイツの私の87年。
この本を読むと、滝川道院の美智子とグスタフの事を思いやることとなる。
グスタフは、小樽のある北海道ワインの技術者として浦臼に来ていて二人が恋に落ちたという拳士の物語である。

滝川道院と砂川道院の拳士同士の結婚が多いのが35年の道院の歴史を物語る。

この本を読み終えて灰谷先生の「兎の眼」を読んだ。寒い冬の日、読書もいいものだ。

神奈川武専感想文
研究科3年
1)毎朝の歩行禅、鎮魂行をいつかは死ぬという絶対事実のある中で生き生きと生きるための内修として行う。闘わない少林寺拳法は外修としては不充分。魅力のない自己は無力なり。信頼を得ること、責任感の大切さを教えられました。魅きよせられる語り口でした。ありがとうございます。

自分のものとするには時間がかかりそう。63歳の年齢を感じさせないシャープな自然な動きに圧倒されました。

2)鎮魂行を毎朝やらないかと呼びかけられ私も実行しようと思いました。又、筋トレも毎日しているとのことで、これもやろうと思いました。拳士として生きる言葉に重みを感じました。大変良かったです。

基本、受身は音をたてない。横転からの起き上がりでは腹筋背筋を使うなど、ふだん気づいていないことを教わりました。又、掛手のことなどもなるほどと思い、技の深さを感じました。

3)鎮魂行の重要さを解りやすく教えて頂いた。歩行禅(歩きながらの鎮魂行を行う)を私も実践してみたい。(「魅力のない自己は無力なり」)

基本を教授頂いた。横転より起き上がりのご指導は道場でも実践して行きたいと考えています。又、実戦的な動き(視線から外す)受けから攻者の逆をとる技など勉強になりました。

4)人間はやがて死ぬ、生きている間に生き生きとやりたいこと、悔いのない生き方をするべしという言葉が印象的でした。

様々な技をわかり易く解説してもらい勉強となった。

5)普段から金剛禅の修業に責任感をもって取り組んでいるか、自分がその魅力を十分に表せているか考えさせられた。

外修としての拳法はたたかうことを必要とすることも考えておく。

6)一人で座禅を組む=本尊 魅力のない自己は無力の人
何かを残す=伝えのこす
一人一人がやるべき事があるはずである。

剛法柔法の一体を見せていただいた!

7)先生の以前からの経験をたのしく聞くことが出来ました。

実践に向けての対応が勉強になりました。

8)具体的な事例を随所に入れた講義であり良く理解できました。

「歩行禅」「魅力のない自己は無力なり」新しい事象を学びました。

9)どこでも修行できることがわかりやすく身に入ってきました。ありがとうございました。

武専で得たことを道場での指導に役立てたいと思いました。ありがとうございました。

10)自分確立ではなく自己を確立するということ。魅力ある人になれるよう修行を続けたい。

横転よりおきあがりは、はじめて知った方法であった。

11)少林寺拳法の拳士としての役割は何なのか。
やる時にやらなかったらいつ人の為に役立つ事が出来るのか拳士として進んで行動出来なくてはならない。

以上が研究科3年です。次回は研究科4年。

明日12日は北海道武専、雪害がなければよいのですが。岩見沢市を抜けることが出来るかにかかっています。
自宅を6時に出るつもりです。
先日本部に行った際、少しの雪で混乱するのですが、こちら北海道の雪は生半可なものではありません。
でも、さっぽろ雪祭り の北海道武専。菅野先生が見えられるとのこと先日の本部で伺いました。
建物の中は暖房が行き届いていますので大丈夫です。

中村健蔵拳士が責任者として大雪像を引き渡したことを、宗由貴総裁にお伝えしたら、以前雪祭りに来たときに転んだことを思い出したとのことでした。

思い出や多くの夢を与える雪祭りです、未だ直接ご覧になられていない方は是非、札幌にお越しください。
帯広の氷祭り、旭川の雪祭りにも是非お越しください。

2012年2月5日日曜日

本部にてコース制、武専教員研修

合掌
3日金曜日から本部に来ています。
金曜日午後5時から、コース制指導者認定講習に参加。
コース制は、高齢者向けに設定された、豊かで楽しむことのできる健康のためにという、ゆたらく コース、女性向けのコース等の指導者認定講習に参加。現在北海道においては野坂理事長が認定を受けています。武専で研究科1年の授業にこのコースが入っているために指導認定を受けていないと担当できないために、武専教師がこの資格を受ける必要があるために参加した次第。次年度4月から正式にこのコースに関わるものが始動することもあり、新井会長からも是非積極的に普及するために協力願いたい話された。

この講習中に砂川小学校の橘教師から電話があり、3月1日の小学校3年の少林寺拳法の体験授業についての当日のやり方をかなり心配された内容であった。まさに、参加者は小学校3年生と父母を合わせて100名になるとのことで、ちょうどこのコースの初心者のための内容に合致したもの。来週水曜日午後6時半に橘教師と事前打ち合わせすることとした。
学年担当のお母さんが、滝川砂川道院のホームページを見て、少林寺拳法が何か難しいものと思われたようで、敷居の高さのようなものを感じたとすれば、そういう不安を与えないような誰でもが参加できるコース制のような入り口は時代の要請であると意を強くした次第。

武専研修で師家(宗由貴総裁)の講話で、「武専は教養を身につけるところ」であるという話をされた。
私も常に入学式や各地の武専で、常に申し上げてきたように、「武専は教養を高める場であり、魅力ある人間になるべく最高の牙城、最上の修行の場である。」と伝えてきた。
拳士は、人としての品位、また特に日本人は恥を重んじる民族意識のDNAを持ち続けており、自ら自己責任を常に考える人間性を持ち得ていなければならない。
少林寺拳法の道院、道場はひとが集まってこそ楽しい場となり得、道楽につながる。道楽つまり道を楽しむということなのであろう。
コース制の果たす役割は、今後の少林寺拳法の普及の機軸にならなければならない。
師家はそうした活動に対し、強制ではないが協力を頂きたいと言われた。この改革によって、5年後の組織を見てもらいたいとも言われ、今回の組織機構改革が本来のあるべき姿を表現することになるのであろう。

手続き方法にまだ慣れていない拳士、父兄の方々も多いかと思われますが、4月時点の在籍確認のために、遅くても3月15日までに信徒会費の手続きが必要です。
信徒会費、信徒香資、個人会費と集中する手続きをスムーズに行くことを願う次第です。
入学時期も重なり、ご父兄の方には経済的ご負担になろうかと思い心苦しいのですが、真剣に指導するつもりですので本山本部からメールが届いていると思いますがよろしくお願いします。
手続き不慣れな方については代行しお手伝いいたします。
新年度の信徒会費、個人会費の100%登録が在籍拳士の最低条件であり、手続きの困難を感じて退会する悲劇があってはなりません。

北海道武専の在籍拳士が200名近くいた数年前に比較して2011年が140名程でありこの激減を何とか回避していく必要がある。
傘下道院の拳士初段から入学できる武専であり一人でも多く入学してもらいたいものである。
一年間の家計を考慮しても、少林寺拳法の活動に参加する価値を体感できるまた自ら見出せるものにしていかなければならない。
武専教師としての立場からも、普及布教の一翼を担っているのであり、遠慮することなく少林寺拳法を勧める活動をますます強くしていかなければならないと考える。

さて砂川小学校の3年生の皆さんに会うのは大変楽しみなことです。
達人?と紹介されている立場で、砂川市の生涯学習システムの一環である今回の授業のお手伝いをさせた頂く機会は実に有意義であり楽しみでもあります。
砂川小学校の100名の参加者に対して、少林寺拳法が理解しがたい怖いものと感じさせてはいけないことは明白です。
少林寺拳法は凄いものなんだと見せてきた演武だけの紹介では、もはや時代の流れにそぐわないものになっていると冷静に状況を正確に判断する目も養うことが大事になっている。
今回の授業は実に組織にとっても大いなる実験の場であることはお分かりのことと思います。
少林寺拳法に魅力を感じやってみようという気持ちを喚起する魅力ある人間になるためにも、大きな視野で豊かな教養ある人間になる修行が必要である。
そうした人間があらゆる戦いに対応できる心技体の人間力が必要とされている。
必要のない努力はないのである。

実は、このことを総裁にお話申し上げたところ、小学生向けのコースも提供できるようにしたいとのことであった。

合掌再拝 池上治男

2012年2月2日木曜日

我が家に創価学会副会長浜名氏来訪、稲津衆議来訪 。きのとや社長 長沼君と電話で久し振りに話す。

合掌
皆さん、月と木星が接近した夕方の空が透き通るような美しさに醸し出されたときをご覧になられましたか?
金星も宵の明星として西の空に輝いていました。さらに、2年ぶりに地球に接近した火星も見ることのできた澄んだ夕空でした。

そうした中、地上では相も変わらず人間の生活が営まれています。

先日、東京の親類の関係で創価学会副会長総北海道長 浜名正勝氏が来訪されました。
私の道場に地元の公明党市議と来られました。
総北海道長は少林寺拳法で言えば、北海道少林寺拳法連盟理事長或いは北海道教区長に相当するのであろうか。
氏は、北海道大学農学部出身とのことでした。
嘗ての大学時代の話題やまた当時の学生の名を挙げられたのですが存じ上げない方ばかりのようでした。私の記憶が悪いのでしょうか。
学部が違う事もあり、共通項はなかったようです。
私は、少林寺拳法の布教普及の道を歩み、浜名氏は創価学会の道を歩まれたのですから、直接交流する機会はなかったのも当然です。

政治の話も宗教概論について、他の団体の長と話す機会は有意義なものであることは言うまでもありません。

次回の衆議院議員選挙に、芦別市から稲津衆議が転出することで、この10区に一転動きが出てきているのです。

私は、稲津衆議が北海道議会議員初出馬するときから知っていたのですが、次回の選挙で10区小選挙区衆議院議員に出馬する勇気には敬意を表する次第です。
北海道議会議員に出るのであれば、将来は必ず赤絨毯を踏む努力をするように話したのを鮮明に覚えている。

今の10区は、過去の選挙において、熾烈な選挙の縮図の土地柄でした。ここでの勝ち負けが日本全体の流れを知ることができたといえる中選挙区であったのです。
渡辺省一代議士、高橋辰夫代議士、小平忠代議士等を輩出、中選挙区でバランスのとれていた地域に鳩山由紀夫氏が突然落下傘候補として現れました。
自民党の渡辺、高橋両氏の熾烈な戦いの場でありました。
そこに公明党の票の取り込みを、各陣営で争った構図でした。
地方議員もご他聞にもれずその影響を受けたのです。

時が流れ、政権が自公から民主へという中で、炭鉱の歴史を背景に労働組合の強い中に在り、自民が地元の出身の人材を出す事のできないもつれた中で、稲津氏のように芦別の医療関係の目立たない所から、人間個人の魅力を蓄えて今に至ったのであると感じました。
芦別市は、私たち北海道少林寺拳法連盟が親しく交流のある伊達忠一参議院議員の出身地です。

稲津氏は、北海道議会議員、比例衆議院議員であれば、氏の努力は基より、公明党関係者の多大な努力にその議席を得る事が出来たのでしょう。
しかし、10区地方区衆議院議員議席ともなれば、毅然とした国家観を機軸とした人間的魅力を持ったものでなければなりません。

2月に入り稲津久衆議が我が家を来訪され懇談した際にも、「大きな視野で立ち向かうことが、我々団塊の世代にとって期待し得るのである。」ことを伝えました。
北海道は気候もあらゆる産業構造においても日本の他の地域に比して劣悪な環境にあり、代議士たるもの、私利私欲を捨て政治に携わってもらわねばならない。
市議や北海道議会議員に当選した途端、何かカン違いする輩が多いのである。
それは、ただ単にどこかの組織の代表であるがために起こるカン違いなのである。
だから、議員を減らせという声があがるのである。

北海道のような地域にあっては、人間的魅力溢れた代表を少なくとも地域事情にあった数だけは出さなくてはならないであろう。

政治家の能力が余りにも低すぎるのは全くもって困る。
大学受験生にはセンター試験を課すのであるから、政治家にもあらゆる分野でのセンター試験を施すのが必要である。
大臣になっても全くのずぶの素人が、日本国の代表として国際的な活動をしようとしてもただただ混乱を呈すだけである。

東日本大震災の後、日本国は勿論、地球規模で政治をしてもらわねばなりません。

「政治は無くとも経済は動く」ことは自明の理、しかし、政治家がいる以上よき政治家が選出されねばいつの世にあっても政治に信頼は生まれることはないのは、人間社会にとって不幸なことである。

大学の同窓と言えば、最近読売新聞に きのとや の長沼社長が取り上げられていました。
早速、彼の携帯電話に久し振りに電話したところ、最初、池上教授と間違われたのですが、少林寺の話で私と判ったとのこと。

彼の現在の夢は、札幌駅前をパリのシャンゼリゼ通りのようなスイートロードにしたいとのこと。
北洋銀行の所にカフェを開いているので、まんざら夢で終わる事はないであろう。札幌スイーツの立役者なのであり、札幌のまちを変えることのできる男である。

そこで、同じゼミの同窓会をやろうということになりました。
函館の副市長に同窓生がいることを長沼君から初めて聞きました。
あいつが副市長というのは驚いた。
函館中部高校出身で大学卒業と同時に函館市役所に入った仲間である。当時私はかなり親密であった。
当時はあまり役所に入る学生がいなかった時代である。
長沼君が言うに、彼が副市長の在職中にやろうではないかということになった。
実現するのかどうかは定かではないが、私にセットしてもらいたいのだということ。
私が幹事長でやるのであれば実現は危ういのだが。
一度は死ぬ前にやろうという話になった。

私も少林寺拳法の指導で全国に行くときには、きのとや の「札幌農学校」という名のクッキーを持っていくことにしていると話しました。

きのと の意味は、乙=二番 であることから 常に一番を目指そうという信念から命名したものである。
彼の人間性が偲ばれる。

2月3日4日5日 本部武専研修のために出張。
土曜日の滝川の稽古、竹房拳士に主座をお願いしてあります。
参坐拳士協力してお願いします。

合掌再拝 池上治男