2012年2月2日木曜日

我が家に創価学会副会長浜名氏来訪、稲津衆議来訪 。きのとや社長 長沼君と電話で久し振りに話す。

合掌
皆さん、月と木星が接近した夕方の空が透き通るような美しさに醸し出されたときをご覧になられましたか?
金星も宵の明星として西の空に輝いていました。さらに、2年ぶりに地球に接近した火星も見ることのできた澄んだ夕空でした。

そうした中、地上では相も変わらず人間の生活が営まれています。

先日、東京の親類の関係で創価学会副会長総北海道長 浜名正勝氏が来訪されました。
私の道場に地元の公明党市議と来られました。
総北海道長は少林寺拳法で言えば、北海道少林寺拳法連盟理事長或いは北海道教区長に相当するのであろうか。
氏は、北海道大学農学部出身とのことでした。
嘗ての大学時代の話題やまた当時の学生の名を挙げられたのですが存じ上げない方ばかりのようでした。私の記憶が悪いのでしょうか。
学部が違う事もあり、共通項はなかったようです。
私は、少林寺拳法の布教普及の道を歩み、浜名氏は創価学会の道を歩まれたのですから、直接交流する機会はなかったのも当然です。

政治の話も宗教概論について、他の団体の長と話す機会は有意義なものであることは言うまでもありません。

次回の衆議院議員選挙に、芦別市から稲津衆議が転出することで、この10区に一転動きが出てきているのです。

私は、稲津衆議が北海道議会議員初出馬するときから知っていたのですが、次回の選挙で10区小選挙区衆議院議員に出馬する勇気には敬意を表する次第です。
北海道議会議員に出るのであれば、将来は必ず赤絨毯を踏む努力をするように話したのを鮮明に覚えている。

今の10区は、過去の選挙において、熾烈な選挙の縮図の土地柄でした。ここでの勝ち負けが日本全体の流れを知ることができたといえる中選挙区であったのです。
渡辺省一代議士、高橋辰夫代議士、小平忠代議士等を輩出、中選挙区でバランスのとれていた地域に鳩山由紀夫氏が突然落下傘候補として現れました。
自民党の渡辺、高橋両氏の熾烈な戦いの場でありました。
そこに公明党の票の取り込みを、各陣営で争った構図でした。
地方議員もご他聞にもれずその影響を受けたのです。

時が流れ、政権が自公から民主へという中で、炭鉱の歴史を背景に労働組合の強い中に在り、自民が地元の出身の人材を出す事のできないもつれた中で、稲津氏のように芦別の医療関係の目立たない所から、人間個人の魅力を蓄えて今に至ったのであると感じました。
芦別市は、私たち北海道少林寺拳法連盟が親しく交流のある伊達忠一参議院議員の出身地です。

稲津氏は、北海道議会議員、比例衆議院議員であれば、氏の努力は基より、公明党関係者の多大な努力にその議席を得る事が出来たのでしょう。
しかし、10区地方区衆議院議員議席ともなれば、毅然とした国家観を機軸とした人間的魅力を持ったものでなければなりません。

2月に入り稲津久衆議が我が家を来訪され懇談した際にも、「大きな視野で立ち向かうことが、我々団塊の世代にとって期待し得るのである。」ことを伝えました。
北海道は気候もあらゆる産業構造においても日本の他の地域に比して劣悪な環境にあり、代議士たるもの、私利私欲を捨て政治に携わってもらわねばならない。
市議や北海道議会議員に当選した途端、何かカン違いする輩が多いのである。
それは、ただ単にどこかの組織の代表であるがために起こるカン違いなのである。
だから、議員を減らせという声があがるのである。

北海道のような地域にあっては、人間的魅力溢れた代表を少なくとも地域事情にあった数だけは出さなくてはならないであろう。

政治家の能力が余りにも低すぎるのは全くもって困る。
大学受験生にはセンター試験を課すのであるから、政治家にもあらゆる分野でのセンター試験を施すのが必要である。
大臣になっても全くのずぶの素人が、日本国の代表として国際的な活動をしようとしてもただただ混乱を呈すだけである。

東日本大震災の後、日本国は勿論、地球規模で政治をしてもらわねばなりません。

「政治は無くとも経済は動く」ことは自明の理、しかし、政治家がいる以上よき政治家が選出されねばいつの世にあっても政治に信頼は生まれることはないのは、人間社会にとって不幸なことである。

大学の同窓と言えば、最近読売新聞に きのとや の長沼社長が取り上げられていました。
早速、彼の携帯電話に久し振りに電話したところ、最初、池上教授と間違われたのですが、少林寺の話で私と判ったとのこと。

彼の現在の夢は、札幌駅前をパリのシャンゼリゼ通りのようなスイートロードにしたいとのこと。
北洋銀行の所にカフェを開いているので、まんざら夢で終わる事はないであろう。札幌スイーツの立役者なのであり、札幌のまちを変えることのできる男である。

そこで、同じゼミの同窓会をやろうということになりました。
函館の副市長に同窓生がいることを長沼君から初めて聞きました。
あいつが副市長というのは驚いた。
函館中部高校出身で大学卒業と同時に函館市役所に入った仲間である。当時私はかなり親密であった。
当時はあまり役所に入る学生がいなかった時代である。
長沼君が言うに、彼が副市長の在職中にやろうではないかということになった。
実現するのかどうかは定かではないが、私にセットしてもらいたいのだということ。
私が幹事長でやるのであれば実現は危ういのだが。
一度は死ぬ前にやろうという話になった。

私も少林寺拳法の指導で全国に行くときには、きのとや の「札幌農学校」という名のクッキーを持っていくことにしていると話しました。

きのと の意味は、乙=二番 であることから 常に一番を目指そうという信念から命名したものである。
彼の人間性が偲ばれる。

2月3日4日5日 本部武専研修のために出張。
土曜日の滝川の稽古、竹房拳士に主座をお願いしてあります。
参坐拳士協力してお願いします。

合掌再拝 池上治男

1 件のコメント:

  1. ★前原さん(嫁はパソナ創価)が合流した「希望の党」と創価の関係まとめ。
    http://www.twitlonger.com/show/n_1sq8irs

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