合掌
早いもので2月武専の日を迎えた。
岩見沢付近の吹雪はひどいものだ。
岩見沢市内の在住のひとが家から出られないとのこと。
砂川から国道12号線を走り漸く前方が見えない雪道を抜けた。
本部派遣教師は、菅野先生、東京成瀬道院長。
私は、武専研究院を担当した。武専研究院は本部教師が担当することになっています。
今回は、大山先生にお手伝い頂いた。というのも、先に本部において武専研修会において山﨑理事長が指導された技術内容からしてそれを理解できている人にしかお手伝いは無理だからである。
始めに内受突を前足の捌なしに行う意味を説明しながら相手をどんどん替えて乱捕り形式で体を温めながら行った。
攻者を踵に瞬間に体重移動させる事で倒すことを指導した。
これには、大山先生に更に懇切丁寧に学生諸子に指導していただいた。
他の科に比すると、よもや達人の世界に見えるのかもしれない。
私は、無いものをつかまさせる感覚を体感させることを指導した。
あるものを掴まえるということは、それ自体激突であり、攻者と一体となる吸収ではないことを指導した。
見る見るうちに学生諸子の動きから無駄な力が抜けていく感覚を持ったのではないだろうか。
2011年度の武専研究院の稽古で今回が最も充実した日であったと最後の挨拶で述べた。
神奈川武専感想文 研究科4年
1)「自身確立」という表現は「己の実現を優先し、自他共楽を忘れた状態」と捉えてよいだろうか?
池上回答:まったくその通りです。あなたも更にこの論理をあなたの見方で展開されたらよいと考えます。
「乱捕りから法形を考える」という指摘に多くの刺激を受けました。
2)朝から鎮魂行を実践してみたいと感じました。普段から自分のできることは自分で動けるように心がけて更に磨いていこうと思います。有難うございました。
乱捕り→法形については私も日頃から感じていることで、運用がきちんとできれば有用だと感じました。
3)「1000年に一度のでき事に今動かずしていつ動く、1000年後まで待つのか?」時にはリスクを覚悟で動くべきという事に普段の自分の覚悟不足を痛感しました。
巻き落としからの連続した固め技に感動しました。
4)確かに人は必ず死ぬというのは不動の心理であり、死ぬからどう生きるかという考えになるのだと思います。
今回は体の都合で参加できなかったので、ぜひまた神奈川武専に来てください。
5)毎日鎮魂行をしています。坐禅、動禅を日々続ける内での自己の内面の変化を楽しんでいます。志を大切に豊かな人生を構築していきたいと思います。
短時間の中で、素晴らしい稽古を体感させていただきました。ありがとうございました。
6)歩行禅を行う。鎮魂行を道場及び毎日行う。自己確立:自身確立ではない。座禅は一人で行う。
すばらしい技、色々な処で我々が良く理解できないことをわかりやすく指導して頂き、有難うございました。
7)神奈川からの手紙を思い出しました。開祖の志が直に伝わる指導者論でした。少林寺拳法設立時の熱い思いを伝える事の重要性を感じました。
基本でのあざやかな動きに感度しました。少林寺拳法がPracticalな格技である事が納得できました。少しでも近づきたいです。
8)鎮魂行は内修のスタート「魅力のない自己は無力なり」
9)毎朝鎮魂行を行うと毎日が変わってくるとのお話、ありがとうございました。大変勉強になりました。
閂を極めるときの入り方は大変参考になりました。また、天地拳第三を相対で練習する方法。法形を運用法に結びつけながら行う方法は取り入れていきたいと思います。
10)内修のスタートは「鎮魂行」からということを認識させられました。実践できるようにしたいです。
流れの中で固めに入る一連の動きが流石でした。少しでも近づけるように動きたいです。
11)鎮魂行を毎日されていると聞き驚きました。座禅ではなく歩行禅というものもあると初めて知った。地震のとき、お金も必要だが人がいかないとダメなことが多いというのはその通りだと思う。募金だけでは不十分なのだと思いました。
横転より起き上がりは、腹筋背筋も使うものと初めて知った。これから気をていきたい。
12)魅力のない自己は無力なりと先生に教えて頂き、たしかにそう感じました。金剛禅で修行している内修外修を生かして、今自分でできることをせい一杯行い、魅力ある自己を育てたいと思います。
受身で腹筋背筋を使い音がしない様に受身を行わないといけないということがよく分かりました。
13)毎日鎮魂行をなさっているというお話をお聞きして、自分自身におき換えてみた時努力が足らないと思い知らされました。魅力のない自己は無力なり、内修外修共に生涯修行を続けなくてはいけないと改めて痛感しました。
剛法柔法共に大変美しく勉強させて頂く事が沢山ありました。ありがとうございます。
14)現代の社会生活に結びつく金剛禅の修業のあり方(内修外修)
魅力のない自己は無力なり
15)少林寺拳法の拳士である為には人生を過ごす間は人々の為につくす事を忘れてはならない。人はいつ死を迎えるかわからない為、自他共楽の行動をしていきます。
基本は大変楽しかったです。古い話、技法のかけかたなどが大変良かったです。
16)自己確立→自身確立ではない、魅力のない自己は無力なり。信頼と責任感→命にかかわる時、逃げたら信用を失う。やるべき時にやらないでいつやるか!
以上提出された神奈川武専の感想文の紹介はこれで終了です。
合掌再拝 池上
2012年2月13日月曜日
2012年2月11日土曜日
インフルエンザ猛威を振るう。神奈川武専感想文研究科3年
合掌
兎に角今年の冬は、冬らしき冬である。
空知の豪雪指定地域を証明しているような冬である。
高齢化社会でこの冬を孤独に過ごすとしたら堪らない季節である。
ここ最近、灰谷健次郎先生の本を読み返してみた。
「海の図」「砂場の少年」、「太陽の子」
この3冊は北海道少林寺拳法連盟でJR研修センターで灰谷先生の講演をしていただいた時にサインをして頂いた。
亡くなられて久しいのだが、サインを見る度に懐かしく思い出される。
本当に惜しい人であった。
また、以前購入していた、「ズザンナさんの架けた橋」;日本とドイツの私の87年。
この本を読むと、滝川道院の美智子とグスタフの事を思いやることとなる。
グスタフは、小樽のある北海道ワインの技術者として浦臼に来ていて二人が恋に落ちたという拳士の物語である。
滝川道院と砂川道院の拳士同士の結婚が多いのが35年の道院の歴史を物語る。
この本を読み終えて灰谷先生の「兎の眼」を読んだ。寒い冬の日、読書もいいものだ。
神奈川武専感想文
研究科3年
1)毎朝の歩行禅、鎮魂行をいつかは死ぬという絶対事実のある中で生き生きと生きるための内修として行う。闘わない少林寺拳法は外修としては不充分。魅力のない自己は無力なり。信頼を得ること、責任感の大切さを教えられました。魅きよせられる語り口でした。ありがとうございます。
自分のものとするには時間がかかりそう。63歳の年齢を感じさせないシャープな自然な動きに圧倒されました。
2)鎮魂行を毎朝やらないかと呼びかけられ私も実行しようと思いました。又、筋トレも毎日しているとのことで、これもやろうと思いました。拳士として生きる言葉に重みを感じました。大変良かったです。
基本、受身は音をたてない。横転からの起き上がりでは腹筋背筋を使うなど、ふだん気づいていないことを教わりました。又、掛手のことなどもなるほどと思い、技の深さを感じました。
3)鎮魂行の重要さを解りやすく教えて頂いた。歩行禅(歩きながらの鎮魂行を行う)を私も実践してみたい。(「魅力のない自己は無力なり」)
基本を教授頂いた。横転より起き上がりのご指導は道場でも実践して行きたいと考えています。又、実戦的な動き(視線から外す)受けから攻者の逆をとる技など勉強になりました。
4)人間はやがて死ぬ、生きている間に生き生きとやりたいこと、悔いのない生き方をするべしという言葉が印象的でした。
様々な技をわかり易く解説してもらい勉強となった。
5)普段から金剛禅の修業に責任感をもって取り組んでいるか、自分がその魅力を十分に表せているか考えさせられた。
外修としての拳法はたたかうことを必要とすることも考えておく。
6)一人で座禅を組む=本尊 魅力のない自己は無力の人
何かを残す=伝えのこす
一人一人がやるべき事があるはずである。
剛法柔法の一体を見せていただいた!
7)先生の以前からの経験をたのしく聞くことが出来ました。
実践に向けての対応が勉強になりました。
8)具体的な事例を随所に入れた講義であり良く理解できました。
「歩行禅」「魅力のない自己は無力なり」新しい事象を学びました。
9)どこでも修行できることがわかりやすく身に入ってきました。ありがとうございました。
武専で得たことを道場での指導に役立てたいと思いました。ありがとうございました。
10)自分確立ではなく自己を確立するということ。魅力ある人になれるよう修行を続けたい。
横転よりおきあがりは、はじめて知った方法であった。
11)少林寺拳法の拳士としての役割は何なのか。
やる時にやらなかったらいつ人の為に役立つ事が出来るのか拳士として進んで行動出来なくてはならない。
以上が研究科3年です。次回は研究科4年。
明日12日は北海道武専、雪害がなければよいのですが。岩見沢市を抜けることが出来るかにかかっています。
自宅を6時に出るつもりです。
先日本部に行った際、少しの雪で混乱するのですが、こちら北海道の雪は生半可なものではありません。
でも、さっぽろ雪祭り の北海道武専。菅野先生が見えられるとのこと先日の本部で伺いました。
建物の中は暖房が行き届いていますので大丈夫です。
中村健蔵拳士が責任者として大雪像を引き渡したことを、宗由貴総裁にお伝えしたら、以前雪祭りに来たときに転んだことを思い出したとのことでした。
思い出や多くの夢を与える雪祭りです、未だ直接ご覧になられていない方は是非、札幌にお越しください。
帯広の氷祭り、旭川の雪祭りにも是非お越しください。
兎に角今年の冬は、冬らしき冬である。
空知の豪雪指定地域を証明しているような冬である。
高齢化社会でこの冬を孤独に過ごすとしたら堪らない季節である。
ここ最近、灰谷健次郎先生の本を読み返してみた。
「海の図」「砂場の少年」、「太陽の子」
この3冊は北海道少林寺拳法連盟でJR研修センターで灰谷先生の講演をしていただいた時にサインをして頂いた。
亡くなられて久しいのだが、サインを見る度に懐かしく思い出される。
本当に惜しい人であった。
また、以前購入していた、「ズザンナさんの架けた橋」;日本とドイツの私の87年。
この本を読むと、滝川道院の美智子とグスタフの事を思いやることとなる。
グスタフは、小樽のある北海道ワインの技術者として浦臼に来ていて二人が恋に落ちたという拳士の物語である。
滝川道院と砂川道院の拳士同士の結婚が多いのが35年の道院の歴史を物語る。
この本を読み終えて灰谷先生の「兎の眼」を読んだ。寒い冬の日、読書もいいものだ。
神奈川武専感想文
研究科3年
1)毎朝の歩行禅、鎮魂行をいつかは死ぬという絶対事実のある中で生き生きと生きるための内修として行う。闘わない少林寺拳法は外修としては不充分。魅力のない自己は無力なり。信頼を得ること、責任感の大切さを教えられました。魅きよせられる語り口でした。ありがとうございます。
自分のものとするには時間がかかりそう。63歳の年齢を感じさせないシャープな自然な動きに圧倒されました。
2)鎮魂行を毎朝やらないかと呼びかけられ私も実行しようと思いました。又、筋トレも毎日しているとのことで、これもやろうと思いました。拳士として生きる言葉に重みを感じました。大変良かったです。
基本、受身は音をたてない。横転からの起き上がりでは腹筋背筋を使うなど、ふだん気づいていないことを教わりました。又、掛手のことなどもなるほどと思い、技の深さを感じました。
3)鎮魂行の重要さを解りやすく教えて頂いた。歩行禅(歩きながらの鎮魂行を行う)を私も実践してみたい。(「魅力のない自己は無力なり」)
基本を教授頂いた。横転より起き上がりのご指導は道場でも実践して行きたいと考えています。又、実戦的な動き(視線から外す)受けから攻者の逆をとる技など勉強になりました。
4)人間はやがて死ぬ、生きている間に生き生きとやりたいこと、悔いのない生き方をするべしという言葉が印象的でした。
様々な技をわかり易く解説してもらい勉強となった。
5)普段から金剛禅の修業に責任感をもって取り組んでいるか、自分がその魅力を十分に表せているか考えさせられた。
外修としての拳法はたたかうことを必要とすることも考えておく。
6)一人で座禅を組む=本尊 魅力のない自己は無力の人
何かを残す=伝えのこす
一人一人がやるべき事があるはずである。
剛法柔法の一体を見せていただいた!
7)先生の以前からの経験をたのしく聞くことが出来ました。
実践に向けての対応が勉強になりました。
8)具体的な事例を随所に入れた講義であり良く理解できました。
「歩行禅」「魅力のない自己は無力なり」新しい事象を学びました。
9)どこでも修行できることがわかりやすく身に入ってきました。ありがとうございました。
武専で得たことを道場での指導に役立てたいと思いました。ありがとうございました。
10)自分確立ではなく自己を確立するということ。魅力ある人になれるよう修行を続けたい。
横転よりおきあがりは、はじめて知った方法であった。
11)少林寺拳法の拳士としての役割は何なのか。
やる時にやらなかったらいつ人の為に役立つ事が出来るのか拳士として進んで行動出来なくてはならない。
以上が研究科3年です。次回は研究科4年。
明日12日は北海道武専、雪害がなければよいのですが。岩見沢市を抜けることが出来るかにかかっています。
自宅を6時に出るつもりです。
先日本部に行った際、少しの雪で混乱するのですが、こちら北海道の雪は生半可なものではありません。
でも、さっぽろ雪祭り の北海道武専。菅野先生が見えられるとのこと先日の本部で伺いました。
建物の中は暖房が行き届いていますので大丈夫です。
中村健蔵拳士が責任者として大雪像を引き渡したことを、宗由貴総裁にお伝えしたら、以前雪祭りに来たときに転んだことを思い出したとのことでした。
思い出や多くの夢を与える雪祭りです、未だ直接ご覧になられていない方は是非、札幌にお越しください。
帯広の氷祭り、旭川の雪祭りにも是非お越しください。
2012年2月5日日曜日
本部にてコース制、武専教員研修
合掌
3日金曜日から本部に来ています。
金曜日午後5時から、コース制指導者認定講習に参加。
コース制は、高齢者向けに設定された、豊かで楽しむことのできる健康のためにという、ゆたらく コース、女性向けのコース等の指導者認定講習に参加。現在北海道においては野坂理事長が認定を受けています。武専で研究科1年の授業にこのコースが入っているために指導認定を受けていないと担当できないために、武専教師がこの資格を受ける必要があるために参加した次第。次年度4月から正式にこのコースに関わるものが始動することもあり、新井会長からも是非積極的に普及するために協力願いたい話された。
この講習中に砂川小学校の橘教師から電話があり、3月1日の小学校3年の少林寺拳法の体験授業についての当日のやり方をかなり心配された内容であった。まさに、参加者は小学校3年生と父母を合わせて100名になるとのことで、ちょうどこのコースの初心者のための内容に合致したもの。来週水曜日午後6時半に橘教師と事前打ち合わせすることとした。
学年担当のお母さんが、滝川砂川道院のホームページを見て、少林寺拳法が何か難しいものと思われたようで、敷居の高さのようなものを感じたとすれば、そういう不安を与えないような誰でもが参加できるコース制のような入り口は時代の要請であると意を強くした次第。
武専研修で師家(宗由貴総裁)の講話で、「武専は教養を身につけるところ」であるという話をされた。
私も常に入学式や各地の武専で、常に申し上げてきたように、「武専は教養を高める場であり、魅力ある人間になるべく最高の牙城、最上の修行の場である。」と伝えてきた。
拳士は、人としての品位、また特に日本人は恥を重んじる民族意識のDNAを持ち続けており、自ら自己責任を常に考える人間性を持ち得ていなければならない。
少林寺拳法の道院、道場はひとが集まってこそ楽しい場となり得、道楽につながる。道楽つまり道を楽しむということなのであろう。
コース制の果たす役割は、今後の少林寺拳法の普及の機軸にならなければならない。
師家はそうした活動に対し、強制ではないが協力を頂きたいと言われた。この改革によって、5年後の組織を見てもらいたいとも言われ、今回の組織機構改革が本来のあるべき姿を表現することになるのであろう。
手続き方法にまだ慣れていない拳士、父兄の方々も多いかと思われますが、4月時点の在籍確認のために、遅くても3月15日までに信徒会費の手続きが必要です。
信徒会費、信徒香資、個人会費と集中する手続きをスムーズに行くことを願う次第です。
入学時期も重なり、ご父兄の方には経済的ご負担になろうかと思い心苦しいのですが、真剣に指導するつもりですので本山本部からメールが届いていると思いますがよろしくお願いします。
手続き不慣れな方については代行しお手伝いいたします。
新年度の信徒会費、個人会費の100%登録が在籍拳士の最低条件であり、手続きの困難を感じて退会する悲劇があってはなりません。
北海道武専の在籍拳士が200名近くいた数年前に比較して2011年が140名程でありこの激減を何とか回避していく必要がある。
傘下道院の拳士初段から入学できる武専であり一人でも多く入学してもらいたいものである。
一年間の家計を考慮しても、少林寺拳法の活動に参加する価値を体感できるまた自ら見出せるものにしていかなければならない。
武専教師としての立場からも、普及布教の一翼を担っているのであり、遠慮することなく少林寺拳法を勧める活動をますます強くしていかなければならないと考える。
さて砂川小学校の3年生の皆さんに会うのは大変楽しみなことです。
達人?と紹介されている立場で、砂川市の生涯学習システムの一環である今回の授業のお手伝いをさせた頂く機会は実に有意義であり楽しみでもあります。
砂川小学校の100名の参加者に対して、少林寺拳法が理解しがたい怖いものと感じさせてはいけないことは明白です。
少林寺拳法は凄いものなんだと見せてきた演武だけの紹介では、もはや時代の流れにそぐわないものになっていると冷静に状況を正確に判断する目も養うことが大事になっている。
今回の授業は実に組織にとっても大いなる実験の場であることはお分かりのことと思います。
少林寺拳法に魅力を感じやってみようという気持ちを喚起する魅力ある人間になるためにも、大きな視野で豊かな教養ある人間になる修行が必要である。
そうした人間があらゆる戦いに対応できる心技体の人間力が必要とされている。
必要のない努力はないのである。
実は、このことを総裁にお話申し上げたところ、小学生向けのコースも提供できるようにしたいとのことであった。
合掌再拝 池上治男
3日金曜日から本部に来ています。
金曜日午後5時から、コース制指導者認定講習に参加。
コース制は、高齢者向けに設定された、豊かで楽しむことのできる健康のためにという、ゆたらく コース、女性向けのコース等の指導者認定講習に参加。現在北海道においては野坂理事長が認定を受けています。武専で研究科1年の授業にこのコースが入っているために指導認定を受けていないと担当できないために、武専教師がこの資格を受ける必要があるために参加した次第。次年度4月から正式にこのコースに関わるものが始動することもあり、新井会長からも是非積極的に普及するために協力願いたい話された。
この講習中に砂川小学校の橘教師から電話があり、3月1日の小学校3年の少林寺拳法の体験授業についての当日のやり方をかなり心配された内容であった。まさに、参加者は小学校3年生と父母を合わせて100名になるとのことで、ちょうどこのコースの初心者のための内容に合致したもの。来週水曜日午後6時半に橘教師と事前打ち合わせすることとした。
学年担当のお母さんが、滝川砂川道院のホームページを見て、少林寺拳法が何か難しいものと思われたようで、敷居の高さのようなものを感じたとすれば、そういう不安を与えないような誰でもが参加できるコース制のような入り口は時代の要請であると意を強くした次第。
武専研修で師家(宗由貴総裁)の講話で、「武専は教養を身につけるところ」であるという話をされた。
私も常に入学式や各地の武専で、常に申し上げてきたように、「武専は教養を高める場であり、魅力ある人間になるべく最高の牙城、最上の修行の場である。」と伝えてきた。
拳士は、人としての品位、また特に日本人は恥を重んじる民族意識のDNAを持ち続けており、自ら自己責任を常に考える人間性を持ち得ていなければならない。
少林寺拳法の道院、道場はひとが集まってこそ楽しい場となり得、道楽につながる。道楽つまり道を楽しむということなのであろう。
コース制の果たす役割は、今後の少林寺拳法の普及の機軸にならなければならない。
師家はそうした活動に対し、強制ではないが協力を頂きたいと言われた。この改革によって、5年後の組織を見てもらいたいとも言われ、今回の組織機構改革が本来のあるべき姿を表現することになるのであろう。
手続き方法にまだ慣れていない拳士、父兄の方々も多いかと思われますが、4月時点の在籍確認のために、遅くても3月15日までに信徒会費の手続きが必要です。
信徒会費、信徒香資、個人会費と集中する手続きをスムーズに行くことを願う次第です。
入学時期も重なり、ご父兄の方には経済的ご負担になろうかと思い心苦しいのですが、真剣に指導するつもりですので本山本部からメールが届いていると思いますがよろしくお願いします。
手続き不慣れな方については代行しお手伝いいたします。
新年度の信徒会費、個人会費の100%登録が在籍拳士の最低条件であり、手続きの困難を感じて退会する悲劇があってはなりません。
北海道武専の在籍拳士が200名近くいた数年前に比較して2011年が140名程でありこの激減を何とか回避していく必要がある。
傘下道院の拳士初段から入学できる武専であり一人でも多く入学してもらいたいものである。
一年間の家計を考慮しても、少林寺拳法の活動に参加する価値を体感できるまた自ら見出せるものにしていかなければならない。
武専教師としての立場からも、普及布教の一翼を担っているのであり、遠慮することなく少林寺拳法を勧める活動をますます強くしていかなければならないと考える。
さて砂川小学校の3年生の皆さんに会うのは大変楽しみなことです。
達人?と紹介されている立場で、砂川市の生涯学習システムの一環である今回の授業のお手伝いをさせた頂く機会は実に有意義であり楽しみでもあります。
砂川小学校の100名の参加者に対して、少林寺拳法が理解しがたい怖いものと感じさせてはいけないことは明白です。
少林寺拳法は凄いものなんだと見せてきた演武だけの紹介では、もはや時代の流れにそぐわないものになっていると冷静に状況を正確に判断する目も養うことが大事になっている。
今回の授業は実に組織にとっても大いなる実験の場であることはお分かりのことと思います。
少林寺拳法に魅力を感じやってみようという気持ちを喚起する魅力ある人間になるためにも、大きな視野で豊かな教養ある人間になる修行が必要である。
そうした人間があらゆる戦いに対応できる心技体の人間力が必要とされている。
必要のない努力はないのである。
実は、このことを総裁にお話申し上げたところ、小学生向けのコースも提供できるようにしたいとのことであった。
合掌再拝 池上治男
2012年2月2日木曜日
我が家に創価学会副会長浜名氏来訪、稲津衆議来訪 。きのとや社長 長沼君と電話で久し振りに話す。
合掌
皆さん、月と木星が接近した夕方の空が透き通るような美しさに醸し出されたときをご覧になられましたか?
金星も宵の明星として西の空に輝いていました。さらに、2年ぶりに地球に接近した火星も見ることのできた澄んだ夕空でした。
そうした中、地上では相も変わらず人間の生活が営まれています。
先日、東京の親類の関係で創価学会副会長、総北海道長 浜名正勝氏が来訪されました。
私の道場に地元の公明党市議と来られました。
総北海道長は少林寺拳法で言えば、北海道少林寺拳法連盟理事長或いは北海道教区長に相当するのであろうか。
氏は、北海道大学農学部出身とのことでした。
嘗ての大学時代の話題やまた当時の学生の名を挙げられたのですが存じ上げない方ばかりのようでした。私の記憶が悪いのでしょうか。
学部が違う事もあり、共通項はなかったようです。
私は、少林寺拳法の布教普及の道を歩み、浜名氏は創価学会の道を歩まれたのですから、直接交流する機会はなかったのも当然です。
政治の話も宗教概論について、他の団体の長と話す機会は有意義なものであることは言うまでもありません。
次回の衆議院議員選挙に、芦別市から稲津衆議が転出することで、この10区に一転動きが出てきているのです。
私は、稲津衆議が北海道議会議員初出馬するときから知っていたのですが、次回の選挙で10区小選挙区衆議院議員に出馬する勇気には敬意を表する次第です。
北海道議会議員に出るのであれば、将来は必ず赤絨毯を踏む努力をするように話したのを鮮明に覚えている。
今の10区は、過去の選挙において、熾烈な選挙の縮図の土地柄でした。ここでの勝ち負けが日本全体の流れを知ることができたといえる中選挙区であったのです。
渡辺省一代議士、高橋辰夫代議士、小平忠代議士等を輩出、中選挙区でバランスのとれていた地域に鳩山由紀夫氏が突然落下傘候補として現れました。
自民党の渡辺、高橋両氏の熾烈な戦いの場でありました。
そこに公明党の票の取り込みを、各陣営で争った構図でした。
地方議員もご他聞にもれずその影響を受けたのです。
時が流れ、政権が自公から民主へという中で、炭鉱の歴史を背景に労働組合の強い中に在り、自民が地元の出身の人材を出す事のできないもつれた中で、稲津氏のように芦別の医療関係の目立たない所から、人間個人の魅力を蓄えて今に至ったのであると感じました。
芦別市は、私たち北海道少林寺拳法連盟が親しく交流のある伊達忠一参議院議員の出身地です。
稲津氏は、北海道議会議員、比例衆議院議員であれば、氏の努力は基より、公明党関係者の多大な努力にその議席を得る事が出来たのでしょう。
しかし、10区地方区衆議院議員議席ともなれば、毅然とした国家観を機軸とした人間的魅力を持ったものでなければなりません。
2月に入り稲津久衆議が我が家を来訪され懇談した際にも、「大きな視野で立ち向かうことが、我々団塊の世代にとって期待し得るのである。」ことを伝えました。
北海道は気候もあらゆる産業構造においても日本の他の地域に比して劣悪な環境にあり、代議士たるもの、私利私欲を捨て政治に携わってもらわねばならない。
市議や北海道議会議員に当選した途端、何かカン違いする輩が多いのである。
それは、ただ単にどこかの組織の代表であるがために起こるカン違いなのである。
だから、議員を減らせという声があがるのである。
北海道のような地域にあっては、人間的魅力溢れた代表を少なくとも地域事情にあった数だけは出さなくてはならないであろう。
政治家の能力が余りにも低すぎるのは全くもって困る。
大学受験生にはセンター試験を課すのであるから、政治家にもあらゆる分野でのセンター試験を施すのが必要である。
大臣になっても全くのずぶの素人が、日本国の代表として国際的な活動をしようとしてもただただ混乱を呈すだけである。
東日本大震災の後、日本国は勿論、地球規模で政治をしてもらわねばなりません。
「政治は無くとも経済は動く」ことは自明の理、しかし、政治家がいる以上よき政治家が選出されねばいつの世にあっても政治に信頼は生まれることはないのは、人間社会にとって不幸なことである。
大学の同窓と言えば、最近読売新聞に きのとや の長沼社長が取り上げられていました。
早速、彼の携帯電話に久し振りに電話したところ、最初、池上教授と間違われたのですが、少林寺の話で私と判ったとのこと。
彼の現在の夢は、札幌駅前をパリのシャンゼリゼ通りのようなスイートロードにしたいとのこと。
北洋銀行の所にカフェを開いているので、まんざら夢で終わる事はないであろう。札幌スイーツの立役者なのであり、札幌のまちを変えることのできる男である。
そこで、同じゼミの同窓会をやろうということになりました。
函館の副市長に同窓生がいることを長沼君から初めて聞きました。
あいつが副市長というのは驚いた。
函館中部高校出身で大学卒業と同時に函館市役所に入った仲間である。当時私はかなり親密であった。
当時はあまり役所に入る学生がいなかった時代である。
長沼君が言うに、彼が副市長の在職中にやろうではないかということになった。
実現するのかどうかは定かではないが、私にセットしてもらいたいのだということ。
私が幹事長でやるのであれば実現は危ういのだが。
一度は死ぬ前にやろうという話になった。
私も少林寺拳法の指導で全国に行くときには、きのとや の「札幌農学校」という名のクッキーを持っていくことにしていると話しました。
きのと の意味は、乙=二番 であることから 常に一番を目指そうという信念から命名したものである。
彼の人間性が偲ばれる。
2月3日4日5日 本部武専研修のために出張。
土曜日の滝川の稽古、竹房拳士に主座をお願いしてあります。
参坐拳士協力してお願いします。
合掌再拝 池上治男
皆さん、月と木星が接近した夕方の空が透き通るような美しさに醸し出されたときをご覧になられましたか?
金星も宵の明星として西の空に輝いていました。さらに、2年ぶりに地球に接近した火星も見ることのできた澄んだ夕空でした。
そうした中、地上では相も変わらず人間の生活が営まれています。
先日、東京の親類の関係で創価学会副会長、総北海道長 浜名正勝氏が来訪されました。
私の道場に地元の公明党市議と来られました。
総北海道長は少林寺拳法で言えば、北海道少林寺拳法連盟理事長或いは北海道教区長に相当するのであろうか。
氏は、北海道大学農学部出身とのことでした。
嘗ての大学時代の話題やまた当時の学生の名を挙げられたのですが存じ上げない方ばかりのようでした。私の記憶が悪いのでしょうか。
学部が違う事もあり、共通項はなかったようです。
私は、少林寺拳法の布教普及の道を歩み、浜名氏は創価学会の道を歩まれたのですから、直接交流する機会はなかったのも当然です。
政治の話も宗教概論について、他の団体の長と話す機会は有意義なものであることは言うまでもありません。
次回の衆議院議員選挙に、芦別市から稲津衆議が転出することで、この10区に一転動きが出てきているのです。
私は、稲津衆議が北海道議会議員初出馬するときから知っていたのですが、次回の選挙で10区小選挙区衆議院議員に出馬する勇気には敬意を表する次第です。
北海道議会議員に出るのであれば、将来は必ず赤絨毯を踏む努力をするように話したのを鮮明に覚えている。
今の10区は、過去の選挙において、熾烈な選挙の縮図の土地柄でした。ここでの勝ち負けが日本全体の流れを知ることができたといえる中選挙区であったのです。
渡辺省一代議士、高橋辰夫代議士、小平忠代議士等を輩出、中選挙区でバランスのとれていた地域に鳩山由紀夫氏が突然落下傘候補として現れました。
自民党の渡辺、高橋両氏の熾烈な戦いの場でありました。
そこに公明党の票の取り込みを、各陣営で争った構図でした。
地方議員もご他聞にもれずその影響を受けたのです。
時が流れ、政権が自公から民主へという中で、炭鉱の歴史を背景に労働組合の強い中に在り、自民が地元の出身の人材を出す事のできないもつれた中で、稲津氏のように芦別の医療関係の目立たない所から、人間個人の魅力を蓄えて今に至ったのであると感じました。
芦別市は、私たち北海道少林寺拳法連盟が親しく交流のある伊達忠一参議院議員の出身地です。
稲津氏は、北海道議会議員、比例衆議院議員であれば、氏の努力は基より、公明党関係者の多大な努力にその議席を得る事が出来たのでしょう。
しかし、10区地方区衆議院議員議席ともなれば、毅然とした国家観を機軸とした人間的魅力を持ったものでなければなりません。
2月に入り稲津久衆議が我が家を来訪され懇談した際にも、「大きな視野で立ち向かうことが、我々団塊の世代にとって期待し得るのである。」ことを伝えました。
北海道は気候もあらゆる産業構造においても日本の他の地域に比して劣悪な環境にあり、代議士たるもの、私利私欲を捨て政治に携わってもらわねばならない。
市議や北海道議会議員に当選した途端、何かカン違いする輩が多いのである。
それは、ただ単にどこかの組織の代表であるがために起こるカン違いなのである。
だから、議員を減らせという声があがるのである。
北海道のような地域にあっては、人間的魅力溢れた代表を少なくとも地域事情にあった数だけは出さなくてはならないであろう。
政治家の能力が余りにも低すぎるのは全くもって困る。
大学受験生にはセンター試験を課すのであるから、政治家にもあらゆる分野でのセンター試験を施すのが必要である。
大臣になっても全くのずぶの素人が、日本国の代表として国際的な活動をしようとしてもただただ混乱を呈すだけである。
東日本大震災の後、日本国は勿論、地球規模で政治をしてもらわねばなりません。
「政治は無くとも経済は動く」ことは自明の理、しかし、政治家がいる以上よき政治家が選出されねばいつの世にあっても政治に信頼は生まれることはないのは、人間社会にとって不幸なことである。
大学の同窓と言えば、最近読売新聞に きのとや の長沼社長が取り上げられていました。
早速、彼の携帯電話に久し振りに電話したところ、最初、池上教授と間違われたのですが、少林寺の話で私と判ったとのこと。
彼の現在の夢は、札幌駅前をパリのシャンゼリゼ通りのようなスイートロードにしたいとのこと。
北洋銀行の所にカフェを開いているので、まんざら夢で終わる事はないであろう。札幌スイーツの立役者なのであり、札幌のまちを変えることのできる男である。
そこで、同じゼミの同窓会をやろうということになりました。
函館の副市長に同窓生がいることを長沼君から初めて聞きました。
あいつが副市長というのは驚いた。
函館中部高校出身で大学卒業と同時に函館市役所に入った仲間である。当時私はかなり親密であった。
当時はあまり役所に入る学生がいなかった時代である。
長沼君が言うに、彼が副市長の在職中にやろうではないかということになった。
実現するのかどうかは定かではないが、私にセットしてもらいたいのだということ。
私が幹事長でやるのであれば実現は危ういのだが。
一度は死ぬ前にやろうという話になった。
私も少林寺拳法の指導で全国に行くときには、きのとや の「札幌農学校」という名のクッキーを持っていくことにしていると話しました。
きのと の意味は、乙=二番 であることから 常に一番を目指そうという信念から命名したものである。
彼の人間性が偲ばれる。
2月3日4日5日 本部武専研修のために出張。
土曜日の滝川の稽古、竹房拳士に主座をお願いしてあります。
参坐拳士協力してお願いします。
合掌再拝 池上治男
2012年1月23日月曜日
神奈川武専感想文研究科2年
合掌
知り合いの人が滝川の民間病院に通院していたが、胃腸が悪いということだったが、我慢しきれない痛みが出てきて札幌の病院に行くように言われ行ったところ、肝臓癌からさらにリンパを通して全身に転移しており、末期である事が分かった。
大月拳士にそうした原因が判明する前に道場で尋ねたところ、痛みがひどいとなれば骨にも転移していてかなり悪化しているとのことだった。その通りであった。
煙草をかなり吸う人であり、通院中も喫煙をしており、札幌で検査したら末期というのは何とも言葉がない。かなり前から通院していたのであるからもっと早く病名が分かって然るべきではなかったと感じます。
いずれにしても、「生老病死の苦からは逃れる事ができない」のであるから、致し方のないことである。
私自身の父も弟も膵臓がんで他界したのであるから、いつでも覚悟しながら人生を送る以外にないのである。
神奈川武専研究科2年の感想文。
基本、各科技術も研究科2年を指導した。
89)「愛のない力は暴力なり」をもじって「魅力のない自己は無力なり」という教示が心に残った。その魅力とは内修と外修の調和のもとにあるものだとうこと。
払受系統の前髪捕、帯捕と2系統を教わった。
さすが大学の拳法部を指導しているだけあって新鮮な感じがした。特に乱取りへの導入が面白く心に残った・
90)大変理解しやすく金剛禅運動に再度のやる気を得ました。
技の理解度は千差万別であり、技の深さは測り知れない。再認識いたしました。
91)不思議なことで、まだ毎朝ではありませんが、朝の通勤時に鎮魂行を始めたところでした。電車の中で立っている時ですので、歩行禅とういうより、自分の場合は立禅に近いのかもしれません。いつ死ぬかもしれぬ心境を大事にしたいと思いました。
捕りの形を中心にまとめて整理することができました。連反攻のバリエーションの豊かさに大変受けました。内受も為になりました。
巻小手からの一連の固めのバリエーションは痛くも楽しく体験させていただきました。筋トレは今夜の食事後から早速はじめます。
92)池上先生の死ぬ迄の己の生き様をどうするのか?もう一度原点に帰り考察してみたいと思います。
基本もさる事ながら、少林寺拳法が護身術であるという原点は当道院でも指導されています。それに添った修練参考になりました。
93)外修内修の勉強の急務を感じました。
教員のわざとても勉強になりました。
94)内修外修は日々の鎮魂行から始まるものである事を新ためて自覚しました。
本日はありがとうございました。実践的な練習で楽しかったです。
95)駅まで徒歩20分を利用して鎮魂行(歩行禅)を行いたいと思います。
実戦にも通ずる練習方法を教えていただきました。道院でも試したいと思います。
技術だけでなく池上先生の言葉に感ずるところがありました。またご指導願いたいです。
96)内修としての鎮魂行はできる限り毎日おこなうように努めるのが望ましい。座禅を組んでいる自分の姿こそ本尊と相重なる姿なのである。外修としての少林寺拳法を修行することは実践、宗門の行として、実践に使える技をケイコすることである。
手首の殺し方再認識しました。
97)講義午後から参加で欠席
前がみ捕から上膊捕まで系統だてて教えていただき非常にわかりやすかったです。また金的はじめ実戦的な心構えの大切さを改めて感じました。ありがとうございました。
98)気持ちは原点に戻る様に努力し、日々の生活では常に前に進んでいくようにしてゆきたい。
送合掌も忘れたいたので思い出す事が出来て良かったです。
99)魅力のない自己は無力なり 魅力のある自己こそ 自己確立
払受地二、払受段突、伏虎地二 払受の対捌きが重要
100)ありがとうございました。
101)魅力のない自己は無力なり 自分で志を持って修行する事を教わりました。
北海道砂川道院池上治男先生。送合掌などで相手に技を掛ける時に力を入れずに脱力して掛ける事を教わりました。
102)自己確立に関して自身思い込みの自身確立にならないように注意を受けた。半ばは他人を思いやることが必要である。リーダーとして逆説的に、魅力のない自己は無力なりと言われた。内修外修として日々学ぶ事をおこたってはならない。
実戦=命がけの防御の動き→乱捕りがあって法形をみにつけるようにとのお話。
前髪取り、上膊取り、帯捕りと共通のくずし、動き、極めを教えていただいた。他にも視点の違う説明をいただき技の質の向上にいかしたい。
103)内修の実践について改めて考えさせられました。もう少し体験談を長く伺っていたかったです。
力の抜けたやわらかいかんじがもっと味わいたかったです。時間が短かったですね。
104)「魅力のない自己は無力である」という言葉に感銘を受けました。また、先生の毎朝の鎮魂行を行っているという習慣にも感銘を受けました。自分も頑張ってみようと思いました。
柔法の時の手の使い方のご指導にとても感動しました。全ての技に同じ動きが適用できるというとこらが、とても奥が深いなと思いました。
考え方や稽古の仕方がとても新しく面白いやり方で非常に充実した練習をさせて頂きました。ありがとうございました。
105)「人間いつ死ぬか分からない。」ということを念頭において、いいものを探し見つけて指導者として伝え、導ける者になって欲しいという思いを感じました。「魅力のない自己は無力なり」という言葉はなるほどと感じました。
柔法にて尺骨神経、とう骨神経を攻める方法をベースに送閂捕、前髪捕、帯捕を教わった。新たに知った方法であり、とてもためになりました。
使えない少林寺拳法であってはならないというのは私も同感です。本日はありがとうございました。
106)内修外修のすばらしさを理化し再認識できました。私も人生を豊かにしたいと思います。
池上先生の技に武としての技術のおもしらさをあらためて感じました。また神奈川に来てください。
以上、研究科2年 次回は研究科3年を紹介します。
今週の稽古はいつもの通りです。
火曜日晴見道場で学科。水金は砂川クラブの稽古、土曜は滝川クラブの稽古。春は近い、太陽の光も強くなって来ました。
稽古を休まずに頑張りましょう。
新しい仲間づくりにも力を貸してください。
合掌再拝 池上治男
知り合いの人が滝川の民間病院に通院していたが、胃腸が悪いということだったが、我慢しきれない痛みが出てきて札幌の病院に行くように言われ行ったところ、肝臓癌からさらにリンパを通して全身に転移しており、末期である事が分かった。
大月拳士にそうした原因が判明する前に道場で尋ねたところ、痛みがひどいとなれば骨にも転移していてかなり悪化しているとのことだった。その通りであった。
煙草をかなり吸う人であり、通院中も喫煙をしており、札幌で検査したら末期というのは何とも言葉がない。かなり前から通院していたのであるからもっと早く病名が分かって然るべきではなかったと感じます。
いずれにしても、「生老病死の苦からは逃れる事ができない」のであるから、致し方のないことである。
私自身の父も弟も膵臓がんで他界したのであるから、いつでも覚悟しながら人生を送る以外にないのである。
神奈川武専研究科2年の感想文。
基本、各科技術も研究科2年を指導した。
89)「愛のない力は暴力なり」をもじって「魅力のない自己は無力なり」という教示が心に残った。その魅力とは内修と外修の調和のもとにあるものだとうこと。
払受系統の前髪捕、帯捕と2系統を教わった。
さすが大学の拳法部を指導しているだけあって新鮮な感じがした。特に乱取りへの導入が面白く心に残った・
90)大変理解しやすく金剛禅運動に再度のやる気を得ました。
技の理解度は千差万別であり、技の深さは測り知れない。再認識いたしました。
91)不思議なことで、まだ毎朝ではありませんが、朝の通勤時に鎮魂行を始めたところでした。電車の中で立っている時ですので、歩行禅とういうより、自分の場合は立禅に近いのかもしれません。いつ死ぬかもしれぬ心境を大事にしたいと思いました。
捕りの形を中心にまとめて整理することができました。連反攻のバリエーションの豊かさに大変受けました。内受も為になりました。
巻小手からの一連の固めのバリエーションは痛くも楽しく体験させていただきました。筋トレは今夜の食事後から早速はじめます。
92)池上先生の死ぬ迄の己の生き様をどうするのか?もう一度原点に帰り考察してみたいと思います。
基本もさる事ながら、少林寺拳法が護身術であるという原点は当道院でも指導されています。それに添った修練参考になりました。
93)外修内修の勉強の急務を感じました。
教員のわざとても勉強になりました。
94)内修外修は日々の鎮魂行から始まるものである事を新ためて自覚しました。
本日はありがとうございました。実践的な練習で楽しかったです。
95)駅まで徒歩20分を利用して鎮魂行(歩行禅)を行いたいと思います。
実戦にも通ずる練習方法を教えていただきました。道院でも試したいと思います。
技術だけでなく池上先生の言葉に感ずるところがありました。またご指導願いたいです。
96)内修としての鎮魂行はできる限り毎日おこなうように努めるのが望ましい。座禅を組んでいる自分の姿こそ本尊と相重なる姿なのである。外修としての少林寺拳法を修行することは実践、宗門の行として、実践に使える技をケイコすることである。
手首の殺し方再認識しました。
97)講義午後から参加で欠席
前がみ捕から上膊捕まで系統だてて教えていただき非常にわかりやすかったです。また金的はじめ実戦的な心構えの大切さを改めて感じました。ありがとうございました。
98)気持ちは原点に戻る様に努力し、日々の生活では常に前に進んでいくようにしてゆきたい。
送合掌も忘れたいたので思い出す事が出来て良かったです。
99)魅力のない自己は無力なり 魅力のある自己こそ 自己確立
払受地二、払受段突、伏虎地二 払受の対捌きが重要
100)ありがとうございました。
101)魅力のない自己は無力なり 自分で志を持って修行する事を教わりました。
北海道砂川道院池上治男先生。送合掌などで相手に技を掛ける時に力を入れずに脱力して掛ける事を教わりました。
102)自己確立に関して自身思い込みの自身確立にならないように注意を受けた。半ばは他人を思いやることが必要である。リーダーとして逆説的に、魅力のない自己は無力なりと言われた。内修外修として日々学ぶ事をおこたってはならない。
実戦=命がけの防御の動き→乱捕りがあって法形をみにつけるようにとのお話。
前髪取り、上膊取り、帯捕りと共通のくずし、動き、極めを教えていただいた。他にも視点の違う説明をいただき技の質の向上にいかしたい。
103)内修の実践について改めて考えさせられました。もう少し体験談を長く伺っていたかったです。
力の抜けたやわらかいかんじがもっと味わいたかったです。時間が短かったですね。
104)「魅力のない自己は無力である」という言葉に感銘を受けました。また、先生の毎朝の鎮魂行を行っているという習慣にも感銘を受けました。自分も頑張ってみようと思いました。
柔法の時の手の使い方のご指導にとても感動しました。全ての技に同じ動きが適用できるというとこらが、とても奥が深いなと思いました。
考え方や稽古の仕方がとても新しく面白いやり方で非常に充実した練習をさせて頂きました。ありがとうございました。
105)「人間いつ死ぬか分からない。」ということを念頭において、いいものを探し見つけて指導者として伝え、導ける者になって欲しいという思いを感じました。「魅力のない自己は無力なり」という言葉はなるほどと感じました。
柔法にて尺骨神経、とう骨神経を攻める方法をベースに送閂捕、前髪捕、帯捕を教わった。新たに知った方法であり、とてもためになりました。
使えない少林寺拳法であってはならないというのは私も同感です。本日はありがとうございました。
106)内修外修のすばらしさを理化し再認識できました。私も人生を豊かにしたいと思います。
池上先生の技に武としての技術のおもしらさをあらためて感じました。また神奈川に来てください。
以上、研究科2年 次回は研究科3年を紹介します。
今週の稽古はいつもの通りです。
火曜日晴見道場で学科。水金は砂川クラブの稽古、土曜は滝川クラブの稽古。春は近い、太陽の光も強くなって来ました。
稽古を休まずに頑張りましょう。
新しい仲間づくりにも力を貸してください。
合掌再拝 池上治男
2012年1月20日金曜日
神奈川武専感想文:研究科1年 オリオン座が美しい
合掌
寒さが最も厳しい1月下旬。しかし、太陽の日照時間が毎日増えているのがわかる明るい朝である。
昨日の夜、オリオン座が冷涼な凛とした夜空に美しく輝いていました。
650光年離れているペテルギウスが左上に赤く輝いて見えました。
オリオン座を構成している星団には、oriと称されているものに110光年、470光年(リゲルから3つ目)、470光年離れたλori(一番右上にある540光年(右下のリゲルのすぐ上)。
オリオン座の一番左下にKori220光年がある。(リゲルが一番右下)
その他に、λoriのすぐ右下に110光年(ベラトリクス)、140光年(アルニタク)、から中央右方向へ、アルニラム(距離は分からない)、230光年(ミンタカ)と続く。
一番右下のリゲルが250光年。
オリオン大星雲、M42が輝いているのが見える。そうした中に人気のある罵倒ではなく馬頭星雲が輝いているはず。
昨日みたオリオン座で最も離れた場所の光はペテルギウス650年前に発せられた光である。
木星も4つの衛星を伴い美しく輝いている。
木星の4つの衛星を肉眼で見えるなら、それはあなたの目が澄んでいることに他ならない。
polarisつまり北極星はlittle dipper(小熊座)の柄の一番下で、470光年の距離にある。
意外と近いのだが、それでもいつも470年前の光を見ているのである。
北極星は私たち地球から見てもいつも同じ場所に見える。
じっとしている。昔の航海はこの星を頼りにしていたのである。
ぽらりすは、坐禅の境地みたいなものである。
神奈川武専の感想文も漸く研究科のものの紹介である。
神奈川武専研究科1年
83)「やるべき時にやらないで何時やるか」感銘を受けました。今の日本に足りないものだと思います。
対刃の動が大変参考になりました。
84)経験に基づいた話でとてもためになりました。
基本もう少し動きたかったです。
85)「ミリョクの無い自己は無力」と思い、日々を努力して行こうと思います。
技術楽しかったです。ありがとうございました。
86)技術:実践的な内容で興味深かったです。
87)一人一人の生きる意味:死の意味を感じ、しっかりした理念を元に内修と外修のバランスを取り、社会生活に結びつく修練を日々考えて行動して行かなければ、無駄な修行になってしまうと思いました。
足のさばき、等の動きにたいして、まだまだだと思いました。年だからといってごまかすのは少林寺拳法では通じないですね。
ありがとうございました。
88)現代社会に結びつく金剛禅の修業のあり方 内修・外修のあり方
さりげなく合谷を攻めているところがすてきでした。
次回の感想文は研究科2年、各科別に分かれた際に直接指導しました。
合掌再拝 池上治男
今日の稽古は、砂川クラブの稽古。大月拳士の研究成果(恐らく小手巻返);オリオン座の構成を参考にした動き、畳み方の成果があるやなしや!
寒さが最も厳しい1月下旬。しかし、太陽の日照時間が毎日増えているのがわかる明るい朝である。
昨日の夜、オリオン座が冷涼な凛とした夜空に美しく輝いていました。
650光年離れているペテルギウスが左上に赤く輝いて見えました。
オリオン座を構成している星団には、oriと称されているものに110光年、470光年(リゲルから3つ目)、470光年離れたλori(一番右上にある540光年(右下のリゲルのすぐ上)。
オリオン座の一番左下にKori220光年がある。(リゲルが一番右下)
その他に、λoriのすぐ右下に110光年(ベラトリクス)、140光年(アルニタク)、から中央右方向へ、アルニラム(距離は分からない)、230光年(ミンタカ)と続く。
一番右下のリゲルが250光年。
オリオン大星雲、M42が輝いているのが見える。そうした中に人気のある罵倒ではなく馬頭星雲が輝いているはず。
昨日みたオリオン座で最も離れた場所の光はペテルギウス650年前に発せられた光である。
木星も4つの衛星を伴い美しく輝いている。
木星の4つの衛星を肉眼で見えるなら、それはあなたの目が澄んでいることに他ならない。
polarisつまり北極星はlittle dipper(小熊座)の柄の一番下で、470光年の距離にある。
意外と近いのだが、それでもいつも470年前の光を見ているのである。
北極星は私たち地球から見てもいつも同じ場所に見える。
じっとしている。昔の航海はこの星を頼りにしていたのである。
ぽらりすは、坐禅の境地みたいなものである。
神奈川武専の感想文も漸く研究科のものの紹介である。
神奈川武専研究科1年
83)「やるべき時にやらないで何時やるか」感銘を受けました。今の日本に足りないものだと思います。
対刃の動が大変参考になりました。
84)経験に基づいた話でとてもためになりました。
基本もう少し動きたかったです。
85)「ミリョクの無い自己は無力」と思い、日々を努力して行こうと思います。
技術楽しかったです。ありがとうございました。
86)技術:実践的な内容で興味深かったです。
87)一人一人の生きる意味:死の意味を感じ、しっかりした理念を元に内修と外修のバランスを取り、社会生活に結びつく修練を日々考えて行動して行かなければ、無駄な修行になってしまうと思いました。
足のさばき、等の動きにたいして、まだまだだと思いました。年だからといってごまかすのは少林寺拳法では通じないですね。
ありがとうございました。
88)現代社会に結びつく金剛禅の修業のあり方 内修・外修のあり方
さりげなく合谷を攻めているところがすてきでした。
次回の感想文は研究科2年、各科別に分かれた際に直接指導しました。
合掌再拝 池上治男
今日の稽古は、砂川クラブの稽古。大月拳士の研究成果(恐らく小手巻返);オリオン座の構成を参考にした動き、畳み方の成果があるやなしや!
2012年1月18日水曜日
James先生からの新年の挨拶メール
合掌
岩見沢付近の大雪で南空知の歴史的観測が続いた。先日の武専の帰り岩見沢を抜けるのに1時間半程かかった。翌日は、終日JRも運休したようだ。岩見沢上空のみ雪雲に覆われるこの冬である。
センター試験は岩見沢教育大学で実施される。
今回は何とかなったようだが、このセンター試験実施時期更には大学入試時期を変更する国家的判断をした方が良いと考える。
国際的基準に合わせ秋の入学にすることで世界基準に合わせることの方が、北方圏である北海道の冬期の荒れた天候対策から考慮しても大いなる得策であろう。
センター試験というシステムが、少子化の日本に既にそぐわないものとなっているのではないか。各大学独自の世界基準に合わせた入試を実施した方が大学の特色を出せるのではないか。生き残る大学は限られて来るのは明らかな時代に入っている。
イギリスJAMES先生からのメールを紹介します。
Happy New Year!
イギリスと北海道の地方都市滝川・砂川との姉妹クラブの将来の交流は、大いに国際平和に貢献することであろうと考えます。
少林寺拳法の信条;愛民愛郷の精神に則り世界の平和と福祉に貢献せんことを期す。
交流の機会を得て、イギリスに行くことも大変良いことです。
自分自身にそうした投資をすることは、自己確立への道の一環にもなることでしょう。
そのために、日本にいる時には、英語の基礎的知識を身につけるために、学校においても真面目に地道に英語の勉強をしてほしいと思います。
さて、今日は砂川クラブの稽古日です。今日の稽古の際の技術の事前準備をして参坐するようにして下さい。
切返小手、燕返、千鳥返、中段返、三日月返を指導します。
少年部は小手抜、上受突。
いずれも、左右。
また、基本の稽古後、今日も大好きな乱捕りを総当りで1時間程実施しますので楽しみに。
合掌再拝 池上治男
岩見沢付近の大雪で南空知の歴史的観測が続いた。先日の武専の帰り岩見沢を抜けるのに1時間半程かかった。翌日は、終日JRも運休したようだ。岩見沢上空のみ雪雲に覆われるこの冬である。
センター試験は岩見沢教育大学で実施される。
今回は何とかなったようだが、このセンター試験実施時期更には大学入試時期を変更する国家的判断をした方が良いと考える。
国際的基準に合わせ秋の入学にすることで世界基準に合わせることの方が、北方圏である北海道の冬期の荒れた天候対策から考慮しても大いなる得策であろう。
センター試験というシステムが、少子化の日本に既にそぐわないものとなっているのではないか。各大学独自の世界基準に合わせた入試を実施した方が大学の特色を出せるのではないか。生き残る大学は限られて来るのは明らかな時代に入っている。
イギリスJAMES先生からのメールを紹介します。
Happy New Year!
Thank you for the email Sensei. Nakamura was a friendly person and good kenshi, we were happy to have him as our guest.
We held our kagami biraki last week and had our first renshu last Sunday. We will practice on Thursday when all my kenshi will be back at University after the holiday, it will be exciting!
I very much liked your website and am inspired by your tenchiken kata, it is excellent. We will soon update our website and I will email you the link.
Please say hello to your kenshi also!
I hope to see you soon.
Gassho
as always,
James
James 先生は、滝川砂川道院のホームページを見たようです。
ダラム大学は、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学と並ぶ名門大学である。
三つの大学を合わせて、ダックスブリッジと言われることからも分かります。
イギリスと北海道の地方都市滝川・砂川との姉妹クラブの将来の交流は、大いに国際平和に貢献することであろうと考えます。
少林寺拳法の信条;愛民愛郷の精神に則り世界の平和と福祉に貢献せんことを期す。
交流の機会を得て、イギリスに行くことも大変良いことです。
自分自身にそうした投資をすることは、自己確立への道の一環にもなることでしょう。
そのために、日本にいる時には、英語の基礎的知識を身につけるために、学校においても真面目に地道に英語の勉強をしてほしいと思います。
さて、今日は砂川クラブの稽古日です。今日の稽古の際の技術の事前準備をして参坐するようにして下さい。
切返小手、燕返、千鳥返、中段返、三日月返を指導します。
少年部は小手抜、上受突。
いずれも、左右。
また、基本の稽古後、今日も大好きな乱捕りを総当りで1時間程実施しますので楽しみに。
合掌再拝 池上治男
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