7月2日(土曜日)滝川の稽古終了後、札幌伏古の亡くなった叔父の家に向かった。6月の中ごろから体調を崩し入院し、医師から今回はもう命は尽きるとの判断。
従姉からは、既に亡くなった叔母の葬儀委員長(親戚代表)を依頼されてから早五年が過ぎた。
通常町内会長にお願いしたりするのだが、請われて私にということで引き受けた。そして、叔父のときも頼むと言われ、勿論断る理由はない。
叔父の安らかな死に顔を見て新千歳空港に到着。
午後3時30分の便で羽田に5時頃到着。
羽田に、長女の一家が会いに来てくれた。可愛い盛りの孫娘二人を連れて、束の間の再会。
羽田から京浜急行で品川、jr横須賀線で東京、jr総武線で津田沼、宿泊はホテルメッセ津田沼。
翌朝、8時20分に千葉の拳士のお二人に車で出迎えていただいた。
前回来て頂いたお二人でした。
車中、千葉県でも被災に遭われた方がいることを聞いた。
私が陸前高田市に行ったことが7月の月刊誌に載っていたのだが、実に驚愕の事実を知らされた。
出迎えて頂いた拳士の道院長、井形先生のご子息が陸前高田で津波にのみこまれ亡くなったことを聞いた。
「何でまた?!」と尋ねた。
陸前高田の博物館勤務で、その日、学校でそうした勉強を生徒に教えに行ったときに地震に遭い、子供やその時勉強会に参加していたお母さん方から逃げようと言われたのだが、彼はどういうわけか海のほうに向かい、津波の犠牲者になったのだということを聞かされた。
今日井形先生は、池上先生をお迎えのために、体育館の玄関で今お待ちになっています。
朝出向かえて頂いた女性拳士が携帯で連絡を取っていたのが井形先生だった。
船橋総合体育館の玄関前に到着、井形先生がそこにいらした。
車から降りるや否や、私はすぐに井形先生にお悔やみを述べた。
陸前高田に行ったのだが、私は息子さんが津波の被害に遭われたなどとは全く知らなかった。本当に言葉も無いと心から伝えた。
先生は、1週間後に陸前高田に行った、遺体はすぐに見つかったと言われた。遺体だけでも見つかって良かったと言われた。気丈に振舞われる先生に言葉も無かった。
中に入ると理事長始め、萩原先生、小野寺先生、森先生と挨拶をした。
そのときも、井形先生は、気丈に事務局長の仕事を眼前でこなしておられた。私にも同年齢の子供がいるが、たった、たった25歳の人生を悲しまない親はいない。何と不条理なことか!
後でまたこの続きを書き込みます。
合掌再拝 池上
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