合掌
7月8日(金曜日)
北海道NTT研修センターにて、道院長研修会開催前の金曜日に特別昇格試験を実施。
四段(7名)、五段(13名)七段(10名)。
本来本部にて受験すべきところを北海道にて開催。
私は、七段の口述審査、四段の技術審査を担当した。
七段の受験における口述審査は本山田村先生と二人での担当。
審査内容についてはここでは申し上げることはできないが、少林寺拳法の指導者であれば当然すらすら答えられなければならないことである。
すらすら答えられたかどうかは、受験当事者に感想を伺うとよいであろう。
どんな感想を述べることやら。
七段ともなれば、少林寺拳法の修行者の代表と同じ。
金剛禅運動の理念思想、とりわけ自身の実践行動規範、具体的な社会貢献活動の具体例を、自信と勇気と行動力を内包した答えが要求されることは言うまでもない。
たとえば今回の東日本の大震災において何を具体的に行動したのか。
被災地の現状を自分の目で確かめ、それを指導者としてどう行動を継続し、他に伝えていくのか等少林寺拳法の真髄を語ることが口述の中心でなければならない。
ただ単なる少林寺拳法の技術の修練だけではいけないのは明白。
人をひきつける魅力そして人を強力にひっぱる指導力それらを身につけて初めて七段の七段たる所以であろう。
魅力の無いことは無力なり!
目先だけ誤魔化すことなど容易に化けの皮をはがされる。
真皮の皮は金剛禅の教義、金剛禅運動の真理で包まれていなくてはならない。これらは、行動のみで造られていくのである。
自分の力を中心に、仲間と協力をしながらつくりあげていくものである。
前進すること、何もせずに動こうとしないのは座して死するを待つと同じである。座して死するを開祖は望んだか、そうではない。
原点の思いに大きな違いがあったなら、それは、行動しようとする意欲が弱かったと言えるだけである。
道院長になるのが目的であったか、或いは社会に対する運動を大きな目的に置いたかが問われるのが今回の受験であったのではないか。
合格することから、これから何を成すかが問われていることを心に銘記すべきである。
金剛禅への深い帰依と少林寺拳法の技術を飽く無く追求しなくてはならない。
七段合格者に対しては、指導者として恥ずかしくない行動と今以上に貢献するべく行動を望むものである。
もし、そうした行動が見受けられなければ考試員として誠に残念なこととなる。
師家から允可されたその証は行動のみにて結実するのである。
期待して止まない。
札幌平和の斉藤拳士 合格したことをここに記す。
苫小牧の松村拳士 合格したことをここに記す。
合掌再拝 池上
次回、道院長研修会について
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