2011年7月30日土曜日

森副道院長からのメール紹介 2011年7月30日

合掌
 
ご無沙汰しております。
道院長はじめ道院の拳士のみなさんは元気に稽古に励んでおられることと思います。
 
エルパソに来て、一か月が過ぎました。英語と格闘している毎日です。
現在、30カ国38名の留学生と共に勉強しております。
来月から、全米から600人の上級職を執る米兵が来て、一緒に勉強します。
 
7月前半は諸々の手続き等を行い、中盤はテキサス大学から講師がきて、各種小論の書き方を
2週間みっちりやりました。現在は主にアメリカの政治、法律、米軍の制度等を学んでいます。
毎日課題がでて、大変です。
 
とにかく他国の留学生の英語を聞きとるのに大変苦労しています。
彼らはお互いに聞き取ることができるようで、自分の英語の勉強不足よりも根本的に日本人の脳の構造が
まったく異なっているのではないでしょうか。
日本で英会話のビジネスが流行る理由がわかりました。
 
ニュージーランド、フランス語なまりのカナダ人の英語、東欧、中東、アフリカ人のしゃべる英語にはついていけません。
とにかく彼らはよくしゃべります。授業中、静かなのはアジア人と南米ぐらいでしょうか。
アジアからは韓国、台湾、マレーシアから留学生が来ていますが、台湾人は何を言ってるかよくわかりません。
 
アリゾナの道場での稽古は平日行われているので、いまだに行っていません。(片道高速で6時間かかるため)
とにかく早く稽古がしたい今日ころごろです。まわりを見たらみんなでかいのでどうやったら投げられるか考えています
 
 
日本女子サッカーが優勝しましたが、日曜の昼、スポーツバーで現地日本人と観戦して盛り上がりました。
敵国アメリカで応援すると、かなりナショナリズムに火がつきます。
優勝した時の写真(たいしたものではありませんが)を添付しておきます。
ちなみに中央の日の丸を背負った女性は二段の拳士です(今は引退)
 
また、こちらでの少林寺拳法の知名度ですが、ほとんどないため説明するのに苦労します。空手、柔道、柔術はみんな知っているのですが。
軍の図書館でみつけた武道書には中野先生と山崎先生の古い稽古風景が写真でのっていましたが、空手の部類に扱われており、残念でした。
 
生活環境は基地の外に築3年のアパートを借りて一人で住んでいます。
たまに部屋の中にサソリがでて困ります。
 
とにもかくにも拳士としての誇りを忘れず、日本のために頑張りたいと思います。
 
 
                                                結手  森
 
 
 


2011年7月28日木曜日

2011年7月17日 北海道武専 伊藤先生が東村山から

合掌

北海道に何度となく来られている伊藤先生をお迎えしての北海道武専。
本部派遣教師は、午後1時半で指導終了の予定のところ、1時間以上越えて指導していただいた。
指導科目二つ残したのが気がかりだと言いながら東野幌体育館を後にされた。
新千歳発の17時の便に遅れてもいけないので、それを見越してお帰りいただいた。JR千歳線の事故もなく、かなり早く空港に着いてしまい、加藤先生に何か早く着きすぎて参ったと電話されたとの事。

北海道学生大会のときに小樽春香の田村先生曰く、
”池さん、早く帰れ帰れと言うもんだから帰ったわいいが早く着きすぎて時間を持て余して電話してきたらしい。”と。

いずれにしても事故もなく早く着いたのは良かったじゃないか。
7月の予定は本部派遣教師は午後1時半頃まで、早く帰して欲しいとのことが本部の方針だからいいんじゃないの。・・・・池上

私も7月の千葉武専は、叔父の葬儀もあった関係もあるが、16時まではいなかった。午後1時には退出させてもらった。

伊藤先生には、前回の北海道に来られたときに、鎮魂行の際、財団の巻物を渡してしまい、礼拝詞をやらない形式に戸惑いあせったとのことを、笑い話で言われた。
今回は礼拝詞の入った巻物だから心配後無用と鎮魂行に向かう廊下で話した。無事何事も無く終了。

飄々とした伊藤先生のことだから、私ともざっくばらんに終日対応させていただいた。先生の後輩が渡部先生であることをご存知の方も居られると思います。

私は午前中の昇格試験2段の技術試験を終えて後、午後は武専研究院の指導を担当した。今回は、技術の奥深いところまで掘り下げて指導したが、

さすがにこの武専研究院に入学して技術を学ぼうとしている若手の諸君は真剣みに富んでいる。
一般の道院長もうかうかしていると彼らに技術面で追い越されてしまうだろう。
この科の狙いもそうしたところにあるのではないか。
どうも、一般的に道院長の稽古不足研究不足が否めない。
特昇の際にも、甲斐先生も言われていたが、技術の研究が不足しており、一定水準に達していないのも稽古不足から来ているとの指摘全く持って同感である。道院長になった途端に運営に手間取り自分の修行が疎かになってしまうのはどこに問題があるのだろうか。
勿論、言わないまでも自己修練自己確立の道を徐々に忘れていく弱さが知らず知らずに生まれるのである。

ましてや、少林寺拳法の日々の修行から遠ざかれば、単に思い出の少林寺拳法に終わってしまうのである。
継続してのみ修行の本質を見出すことが出来るのである。

合掌再拝 池上

2011年7月25日月曜日

2011年8月予定

8月はお盆の12日13日は稽古休みますが他は略通常通りです。
尚、8月6日土曜日は昇級試験日です。

受験申し込み希望者は、各自のマイページから申し込んでください。

8月7日(日曜日)北海道武専 小野寺先生が派遣教師
                   私は、武専研究院の指導
8月7日は、砂川にて故勝浦秀雄先生(砂川道院副会長)の一周忌
       砂川パークホテル お参りしてから武専に急行します。
8月12日(金曜日)砂川クラブの稽古休みます。
8月13日(土曜日)の滝川の稽古はお盆休みのために休みとなります。

8月20日21日 全国中学生大会(多度津町総合体育館)
8月26日(金)から30日(火)まで北海道大学の夏季合宿(大雪青年の家)
   指導に行く予定。

道院長研修会 北海道 2011年7月9日10日

合掌
北海道にてこの夏道院長研修会が開催された。
東北北海道にとっては、涼しいところ、また本部に行くまでの経費の面からは大変助かります。
兎に角、交通費は毎月かかることが大変であることは避けられない。
私は、砂川なので北海道の中心であることから平均的な過疎地にて少林寺拳法の指導をしていることになります。
また、大学に指導に行くのに、17時からの稽古には午後2時には車で出かけることになります。

道東の指導者にとっては、札幌の開催の武専、その他行事に参加するためには、とてつもない交通費に悩まされることになります。
武専にいくだけで車で行くにも、前日から行くにも経費は莫大にかかります。
こうした状況で、道院長研修会が札幌で開催されることは、焼け石に水とは言わないまでも大いに助かることになります。

それだけに、研修が内容のある充実したものであることが期待されることになります。

今回の参加者の数を正確に数えてはみなかったが、東北北海道合わせて100名はいたのではないかと推測。本部は正確な数字をおさえています。

北海道における研修はある意味において絆の確認につながることは明白。
研修内容については、詳細を記すことはできませんが、各法人の代表が一堂に会しての研修は意義のあること。

誇り高く生きた開祖宗道臣!

埃まみれにならないよう、道院長も誇り高く生きていくことの再確認をする場であったと思ったのは私だけではないであろうと確信する。

宗由貴総裁の、東北の大震災に関わるつよい思いを皆心に刻み込み、被災地を訪れていない拳士が半日でもいいから現地に赴き活動をして欲しいという訴えをどう受け止めたのであろうか。
気になるところである。

総裁は、翌日福島武専開講のために朝早い便で発たれた。
福島の原発のさなか、総裁としての行動はどうあるべきかを自らの行動で示されている。
北海道の拳士は今後被災地復興に対してどう行動すべきかを試されている。試されている大地北海道。
金剛禅運動、幸福運動から、復興の「興」という文字は「幸」と置き換え
復幸運動の一助を担うことが課せられたことではないであろうか。

戦える少林寺拳法、敵は人ではなく、弱い心の我にある。

誇り高く生きようではないか。

2011年7月16日土曜日

2011年7月8日9日10日 特昇、道院長研修会

合掌
7月8日(金曜日) 
北海道NTT研修センターにて、道院長研修会開催前の金曜日に特別昇格試験を実施。
四段(7名)、五段(13名)七段(10名)。
本来本部にて受験すべきところを北海道にて開催。
私は、七段の口述審査、四段の技術審査を担当した。
七段の受験における口述審査は本山田村先生と二人での担当。
審査内容についてはここでは申し上げることはできないが、少林寺拳法の指導者であれば当然すらすら答えられなければならないことである。
すらすら答えられたかどうかは、受験当事者に感想を伺うとよいであろう。
どんな感想を述べることやら。

七段ともなれば、少林寺拳法の修行者の代表と同じ。
金剛禅運動の理念思想、とりわけ自身の実践行動規範、具体的な社会貢献活動の具体例を、自信と勇気と行動力を内包した答えが要求されることは言うまでもない。
たとえば今回の東日本の大震災において何を具体的に行動したのか。
被災地の現状を自分の目で確かめ、それを指導者としてどう行動を継続し、他に伝えていくのか等少林寺拳法の真髄を語ることが口述の中心でなければならない。
ただ単なる少林寺拳法の技術の修練だけではいけないのは明白。
人をひきつける魅力そして人を強力にひっぱる指導力それらを身につけて初めて七段の七段たる所以であろう。
魅力の無いことは無力なり!

目先だけ誤魔化すことなど容易に化けの皮をはがされる。
真皮の皮は金剛禅の教義、金剛禅運動の真理で包まれていなくてはならない。これらは、行動のみで造られていくのである
自分の力を中心に、仲間と協力をしながらつくりあげていくものである。

前進すること、何もせずに動こうとしないのは座して死するを待つと同じである。座して死するを開祖は望んだか、そうではない。
原点の思いに大きな違いがあったなら、それは、行動しようとする意欲が弱かったと言えるだけである。
道院長になるのが目的であったか、或いは社会に対する運動を大きな目的に置いたかが問われるのが今回の受験であったのではないか。
合格することから、これから何を成すかが問われていることを心に銘記すべきである。
金剛禅への深い帰依と少林寺拳法の技術を飽く無く追求しなくてはならない。

七段合格者に対しては、指導者として恥ずかしくない行動と今以上に貢献するべく行動を望むものである。
もし、そうした行動が見受けられなければ考試員として誠に残念なこととなる。

師家から允可されたその証は行動のみにて結実するのである。

期待して止まない。

札幌平和の斉藤拳士 合格したことをここに記す。
苫小牧の松村拳士   合格したことをここに記す。

合掌再拝 池上

次回、道院長研修会について

2011年7月11日月曜日

2011年7月3日 千葉武専 叔父の葬儀の2完

千葉武専の鎮魂行は、施設の関係か、礼拝詞は省略して行われた。
本部派遣教師としての私の紹介、そして挨拶。
挨拶は、千葉県連盟の被災者に対するお見舞い、海岸沿いは多く被災されている、広範囲の震災であることが分かる。陸前高田市での被害についても触れた。

講義の主題は、調和の思想の二、剛柔一体。
講義室は縦長でかなりの人数が入っていた。剛柔一体を体感すること難しいと思われがちだが、日常生活においてもその例は多くあることを示した。
その講義の感想文を見ると講義の理解度はかなり深いことが分かった。
そういう意味で、千葉武専の学生のレベル(修行度)はかなり高いといえる。
予科2年の感想文
日常生活で、剛:強力に何かを押し進める。
        柔:剛を実行するための十分な準備、不足を補完する。
本科1年の感想文
少林寺拳法の練習時は剛柔一体を心がけていたが、見方を変えると普段の生活にも応用できるのだと感じた。

日常生活の又社会の中でどう生かすか、どう生かすことができるのか考えさせられた。

高等科3年
全ての動き技の中に剛と柔が関わり合っている、基本をやりつつ乱捕りを行うのが大切。

高等科1年
「何かあったときに行動できる拳士」という言葉が身にしみました。頭で考えていてもなかなか出来ないことだとおもいますが。心がけたいと思います。

研究科2年
剛柔一体の活かし方、道場での指導法等、具体的な解説で分かりやすかった。最近の道場での練習をもう少し実戦的であるべきだと考えていた所でもあり、共感がありました。

研究院
剛法の中に柔法あり、柔法の中に剛法あり。
山登りという行為は剛で準備や段取りなど補完するものが柔。
目打ち(裏手打ち)は柔らかくしなやかに鞭のように柔法的に打つ。
剛柔一体を体感するためにも乱捕りも必要。

講義終了後
基本の指導を担当した。
楽しくできる乱捕りの効用を理解してもらう。
4回は相手を替えての乱捕り(空乱)
直接打撃することは避けながらやることを実際若い拳士を相手にどうやるのかを見せた。
特に高齢者、女性は積極的に行うことを勧めた。

始まったら、その様子は、誠に遠慮なく、汗をかき、且つ楽しく行っている。徐々に技術レベルは上がってきているのが目に見えるようになった。
拳士の戦えるその心に火がついた。
動くことの本能が目覚めたとも言える。
40分の時間を10分オーバーしたが、皆体が軽くなったことと心も鮮やかになったのではないか。
自信と勇気が漲ったのであろう。 体感とは動くことから感じるものか?

叔父の葬儀
93歳の天寿全う。
陸前高田で被災に遭われた青年の紹介をし、その突然の死に比べると、93歳の三姉妹に囲まれて苦しまずに逝った叔父は幸せだったと、親戚代表(葬儀委員長)として話した。

叔父に対する涙より、青年に対する涙が多かった。

忙しい7月の2日3日が終わった。

7月8日は特別昇格の考試員、9日10日は道院長・部長・監督研修会
8日は斉藤君が7段を受験合格するのか?
詳細は後日。

2011年7月4日月曜日

千葉武専から戻り、叔父の葬儀

7月2日(土曜日)滝川の稽古終了後、札幌伏古の亡くなった叔父の家に向かった。6月の中ごろから体調を崩し入院し、医師から今回はもう命は尽きるとの判断。
従姉からは、既に亡くなった叔母の葬儀委員長(親戚代表)を依頼されてから早五年が過ぎた。
通常町内会長にお願いしたりするのだが、請われて私にということで引き受けた。そして、叔父のときも頼むと言われ、勿論断る理由はない。

叔父の安らかな死に顔を見て新千歳空港に到着。
午後3時30分の便で羽田に5時頃到着。
羽田に、長女の一家が会いに来てくれた。可愛い盛りの孫娘二人を連れて、束の間の再会。

羽田から京浜急行で品川、jr横須賀線で東京、jr総武線で津田沼、宿泊はホテルメッセ津田沼。

翌朝、8時20分に千葉の拳士のお二人に車で出迎えていただいた。
前回来て頂いたお二人でした。
車中、千葉県でも被災に遭われた方がいることを聞いた。
私が陸前高田市に行ったことが7月の月刊誌に載っていたのだが、実に驚愕の事実を知らされた。

出迎えて頂いた拳士の道院長、井形先生のご子息が陸前高田で津波にのみこまれ亡くなったことを聞いた。
「何でまた?!」と尋ねた。
陸前高田の博物館勤務で、その日、学校でそうした勉強を生徒に教えに行ったときに地震に遭い、子供やその時勉強会に参加していたお母さん方から逃げようと言われたのだが、彼はどういうわけか海のほうに向かい、津波の犠牲者になったのだということを聞かされた。
今日井形先生は、池上先生をお迎えのために、体育館の玄関で今お待ちになっています。
朝出向かえて頂いた女性拳士が携帯で連絡を取っていたのが井形先生だった。
船橋総合体育館の玄関前に到着、井形先生がそこにいらした。
車から降りるや否や、私はすぐに井形先生にお悔やみを述べた。
陸前高田に行ったのだが、私は息子さんが津波の被害に遭われたなどとは全く知らなかった。本当に言葉も無いと心から伝えた。
先生は、1週間後に陸前高田に行った、遺体はすぐに見つかったと言われた。遺体だけでも見つかって良かったと言われた。気丈に振舞われる先生に言葉も無かった。

中に入ると理事長始め、萩原先生、小野寺先生、森先生と挨拶をした。
そのときも、井形先生は、気丈に事務局長の仕事を眼前でこなしておられた。私にも同年齢の子供がいるが、たった、たった25歳の人生を悲しまない親はいない。何と不条理なことか!

後でまたこの続きを書き込みます。
合掌再拝 池上

2011年7月2日土曜日

2011年7月3日 千葉武専 

合掌

7月1日金曜日 午後私のおじが亡くなった。92歳だった。私の母方の姉の夫で、おばは数年前に他界している。そのおばが亡くなったとき、従姉から葬儀委員長を頼まれた。普通、町内会長に依頼したりするのが田舎の慣例だが、彼女は是非わたしにということで引き受けた。札幌でのこと。
今回もこの先週くらいからもう危ない状況であり、万が一のときはまた葬儀委員長を依頼された。
6月25日26日は釧路での道東武専。
29日は北海道電力のヒグマからの警護
7月2日3日の千葉武専出張。
7月8日北海道において特別昇格試験
7月9日10日は北海道においての道院長研修会。

少林寺拳法の事業、行事を全て優先するのだが、もしかしてどれかに重なるのではないかという懸念があったが、おじは全て回避してくれた。

2日の土曜日は午前9時半から11時半まで滝川クラブの稽古。稽古終了後、札幌伏古のおじのお参りをしてから新千歳空港午後5時の飛行機で羽田へ向かうことにした。

千葉武専は7月の夏期日程は本部派遣教師は午前9時から午後1時までとなっている。
地元の予定として午後の補講1補講2の実技に参加するところだが、今回はおじの逝去に免じて予定通りの退出をさせていただくようにしたいと伝えるつもり。
千葉武専の池田先生には事前の打ち合わせではお世話になりました。
ただ、叔父が亡くなったという電話は打ち合わせの書類を頂いた後からであり、直接千葉に行ってから事情を話したいと考えている。
それだけに与えられた、講義:剛柔一体の主題、また技術しっかりと伝えなくてはならない。

退出後、3時の飛行機に変更して新千歳空港に戻り、高速道路を使い斎場に直接行くこととした。
万が一、通夜開始時間午後6時に遅れることがあれば斎場の担当者に開始の挨拶だけはしてもらうようにするつもりだ。

7月3日は私の長女の誕生日でもあり忘れられない7月の夏になりそうだ。

暑い夏、くれぐれも熱中症にならないように気をつけてください。
6月21日22日と北海道電力の警護に行ったが22日の日にやや熱さを甘く見て、熱中症気味になった。こまめにスポーツ飲料を取ることをお勧めします。筋肉の痙攣など大変な事態にならないようにするためにも十分気をつけましょう。

合掌再拝 池上