合掌
砂川から車で往復およそ665キロの長旅でした。久しぶりの釧路。
往路は滝川の稽古終了後;
赤平市、芦別市、滝里ダム、富良野市(北時計側フラノスキー場)、南富良野町、狩勝峠、峠の2合目を左に新得町をかすめ、鹿追町瓜幕(トムラウシへ行く近道)、士幌町、上士幌町(気球で有名)、足寄町(国道241号)、足寄国道、日本一の長い螺湾葺で有名な螺湾、
雌阿寒岳が見える。オンネトーを右手にそして阿寒湖。
240号線に入り、まりも国道を阿寒丹頂の里、太平洋へ直接向かわないで釧路空港を右手に見ながら釧路市に向かった。
加藤先生から途中電話があり、今阿寒のまりも国道を走っているというと、「え!どうしてそんな遠回りを!」と。
私は以前、阿寒経由の方が信号もないし早いと聞かされていたことをずっと信じて釧路には阿寒湖を通ってというのが私の頭脳回路になっていた。
釧路は私は何度来ても、どうも川と海との間の感覚が今ひとつぴんと来ないのである。
訪問する間隔が長くなり、いつも迷うのが私の釧路訪問がいつも新鮮に感じるところ。
今回もカーナビにわざわざ余計な設定と、ホテルが ラ ビスタ、住所を加藤先生に確認しないままに来てしまった。
幣舞橋の近くのホテルだからということで、幣舞町と目的地を入れたためにこれで混乱。
幣舞町は、幣舞橋とは違う高台にあるために釧路に入ってくるカーナビの指示がいつもなら渡る橋を渡らない直進を示したために私はいつものとおりの橋を渡った。
そこまでは良かったが、釧路駅に向かえばいいものを左折せずに直進したために幣舞橋に行くことが出来ずに高い建物が出来た最近の釧路市内で停車。
そこでまた加藤先生から電話、「もう着きましたか?」
「いや、まだ。」
カーナビを詳しく設定したために、不要な信号機の案内が画面に進行方向に3つ出てきて、余計に惑わされたのが、電子機器に頼った大きな落とし穴であった。
私は方向音痴ではないので、コンパスさえあれば、殆ど迷わないのだが。
なんだかんだでホテルに到着。
午後7時から、加藤先生と福田先生と会食。新しい店だということで、魚屋が経営している店のようで、新鮮な魚類が出ていた。
26日武専当日
太鼓は柴田先生、私は鎮魂行の主座を務め、打棒は田森先生。参加拳士は少なかったが非常に素晴らしい鎮魂行であった。
6月の道東の入学者1名を迎えての入学式を正式に挙行した。
入学者は、今は亡き保坂先生のお嬢さんただ一人の入学式。
お祝いの言葉の際、保坂さんの話を私がしたのだが、どうも、途中私自身が「うるる」になりそうで短めの言葉に留めました。
支部長になる前の保坂拳士が、釧路駅に迎えに来てくれたことをつい思い出し涙腺をくすぐり始めたわけである。
弟の保坂拳士も札幌での入学式の際、藤沢拳士と演武披露をしてくれた。
姉弟がこうして少林寺拳法の世界にいてくれることは、父として育てた保坂先生の思いが継承される。
拳禅一如が今回の学習課題。
拳は行動、禅はその行動の裏づけする理論という展開をして話した。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の砂漠地域に発生した一神教の成立の解説、そして仏教との成立の大いなる違い。
7回にわたる十字軍遠征の話。
阿弥陀如来に救われるという浄土信仰である他力本願と自力の金剛禅についての説明。
少林寺拳法の世界の平和と福祉に貢献するという行動理念についての話。
今回の東北震災に関するただ単に口だけの支援は如何にお粗末か、実際に被災地を自分の目で確かめる行動力が何においても優る。
道東武専と称されるこの補講の役割は誠に有意義であり、少林寺拳法の地道な活動の一環として営々と続けていかなければならないことであることを語りかけた。
新たに就任された小判校長は真っ先に日本で最北端で頑張っているこの地域をまず訪問することを期待するものである。
今回帯広地区でこの道東補講の活動から離れた人たちがいると聞いたが、誠に残念である。
しかし残って頑張る田森先生を始め拳士の皆さんには勇気を持って前進してもらいたい。
あなた方は、札幌で開催される武専を欠かさずに参加そして、宗由貴総裁の力添えを得て作られた道東補講(北見、釧路、帯広)に対しても惜しまない力を注いでくれていることに対して心から敬意と感謝を述べたいと思います。人の質が問われる世の中にますますなっていく時代にあって、一人ひとりの思いを強く受け止めなければならないと考えます。
午後からは実技、基本では誰でもが楽しく出来る乱捕り、そして各科に分かれての稽古。
学生が少ないので詳細に指導が出来、技術レベルが大いに上がる。
日程を終了し帰途に着いた。
加藤先生のアドバイスどおりの阿寒湖を通らない帰りコースと決めた。
釧路市、白糠町、本別町、士幌町、鹿追町瓜幕、新得町から狩勝峠の2合目、南富良野町、富良野町(北時計側)、芦別市、赤平市、歌志内市、焼山から自宅。
帰りはおよそ300キロ。おおよそ阿寒を通らなければ50キロは短縮されたものと思われます。
帰りコースのほうが鹿の姿を見ました。鹿との衝突を避けなければ危険。
ikegami
0 件のコメント:
コメントを投稿