2011年4月30日土曜日

4月30日から5月6日まで岩手宮城と被災地へ

合掌
地方選挙も終わり、巷に静けさが戻ったようです。
つい先日、私の友人の奥様が亡くなられました。6年間にわたる闘病でした。
亡くなられた日に電話をしたら、涙声で、「6年間闘ったが駄目だった。」と。
子供は私の塾の教え子で介護の仕事で既に自立の道を歩んでいる。
58歳での終焉は私の弟と同じ。しかし、よく頑張ったとしかいえないのが人生。夫婦でしっかり思い出をつくり頑張ったた言えるでしょう。奥様も感謝して、旅立ったはずです。

通夜の席上、無投票当選予定砂川市の次期市長と一緒になり、隣席でしばらく話をしました。本人曰く、「まだ27日まで一般市民だからと。池上さんの以前の後援会の人たちが主体で支えてくれている、時代が変わったものだ」と。
周りの参列者は、私と親しげに話しているのをいぶかしげに見ていたことでしょうな。
実は、上海にいる長男と医者になった彼の長男とは親友であり、しばらくその話。
いずれにしても、砂川市をしっかりしてもらうことだと談。

市議選には私の教え子本人或いは教え子の親、また、町内関係者、そのた関係者がまあ皆当選しました。

新人の多比良君は3位当選でよく頑張った。アドバイスどおり、街頭演説、また正和商店会の多比良先生の関係、また商店会絡みの市議がいなかったことも幸いした。正和商店会の賛助会員になるとか。

飯沢市議は、前回よりかなり落としたのは、恐らく他の候補に割り振ったせいなのだろうか。
それでもトップ当選。おめでとう!
ただし、市役所労組出身者が1位当選するのはそれだけ市の人口が少ないことを如実に物語っているとも言えるので良し悪しか。
本人はなかなかいい青年になったのだが。

公明党の候補も一人しか出なかったこともあり、2位当選。
しかし、二人出さなければいけませんね。

共産党は土田議員のみ当選。なかなか大変でした。これも新人議員にかなり期待票として流れたのが主たる原因。

復活したただ一人の女性候補水島さんの子供は教え子。かなりの善戦をした。
あんなに獲るとはと一般的に驚かれた市民が多くいたことでしょうが、やはり女性候補ひとりに対する票の流れと、前回落選に対する同情票とは行かないまでも、親子で地道に歩いたことが功を奏した結果。

いずれにしても、普段からの行動と、4年間に何をしたか、何を実績として高く評価に値することをしたのかが大事。

ただ、自分の私利私欲、自分の企業を優先して議員が名誉職、あるいは企業にとって有利等というのは、当選はしても、市民の反対者の視線はかなり冷たいものであることを自覚してもらいたい。
議員になれば尊敬される等という時代はとっくに終わっていることを自覚されたい。

そのうち、あなたは議員になって何をやったのかと面と向かって問われて答えられなければ次回は辞めたがよかろう。

30日から6日までいよいよ被災地にお手伝いに行くことになりました

北見の宮末先生と一緒にいきます。共にハンターであり、サバイバル経験は豊か、ただ、今回は瓦礫との戦い!
北海道少林寺拳法連盟を代表して行くのではなく、滝川道院、砂川道院を代表としての参加です。
砂川市や正和商店会の代表とまではいかないにしても、誰かが行かなければ、今行かなければ人生後悔すると強く感じています。
北見の宮末先生も、行動力のある人です。私より数倍もこうした災害支援に卓越しています。

砂川市議会の議員諸氏、今回の被災地に対してあなたは何をしたのか?
まず、最初の私から(市民からの)質問です。如何に!


市議会議員は特別公務員であることを忘れないように。次回の選挙に諸に影響しますよ!


今回支援物資を提供頂いた方をこの場にご紹介し、お礼に代えさせていただきます。

竹房拳士。小林拳士。三井生命の北村さん。川又さん。瓜薬局さん。
山田産業山田信一さん。山内洋品店さん。鈴木呉服店さん。
山田書店さん。石家商店さん。

土曜日の稽古に参加してから、午後1時に自宅を出発します。
阪神のときは、海から神戸のまちにあがりました。
今回は函館からフェリーで青森に上陸して岩手、宮城と南下します。
しばらく会えませんが、しっかりそれぞれの役割を果たし、それぞれの本分を全うしてください。人生短いのですから、その日を後悔しない過ごし方を!

合掌池上

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