2011年5月7日土曜日

陸前高田、気仙沼唐桑半島柏木先生を訪問 1回目

合掌
4月30日から5月5日まで被災地へ、みんなの心を届けてきました。
4月30日の土曜日の滝川クラブの稽古終了後、
午後2時砂川を
北見の宮末さんの60系ランドクルーザー前後ウインチ付で午後2時に出発しました。
皆さんの支援物資を積み込み、自分用の食料、水を積み込み発ちました。
午後11時半の青函フェリーで4時間の船旅。

5月1日
午前4時には陸前高田を目指し、八甲田山を横断、八戸を経由し一般道40号線を走りました。
太平洋岸の被災地を最初に目をした時、テレビを通して見る映像とは全く違う光景を目にしたときの驚愕は今まで経験したことのないものでした。
延々と続く瓦礫の何も無いまち並みはただただ驚愕!
美しい三陸の海岸線は見る影も無いありようでした。
なすすべもなく命を落とした無念さをひしひしと感じました。

私はかつて海に仕事をした経験があります。
南氷洋は魔の南緯40度線は常に嵐を伴う津波の如くの荒れた海域です。
海にいるときはそれでも、うねりに船をたててゆっくり嵐が治まるまで進めれば沈むことはありません。
しかし、あれほどの大津波が陸地を襲ったなら人間の手には負えないのです。

時々車から降り、躊躇しながら撮影をしました。撮影は、なんとなく憚れる気がしました。
自分の住まいを解体するのか、寂しげにじっと見つめている姿が印象的でした。

午後1時ごろ、陸前高田の少林寺拳法の支援基地に到着。
北海道から既に来ていた苫小牧の松村先生、釧路の福田先生が支援活動から戻り今から北海道に帰るということで、基地で会うことが出来ました。
「池上先生より早く来なければと思い、早く来ていました。」と松村先生。

彼らは、青森から高速道路を使って来たとのこと。

私たちは、一般道を被災地を全て見ながら来たことを伝えました。
「本当に悲惨で考えられないと、直接見なければ分からない。」と話してくれました。

彼らと基地の前で記念撮影をして別れ、私たちは、宮城気仙沼の柏木先生を訪ねました。

基地から約1時間の距離で唐桑半島の柏木先生のお宅を探しながら漸く見つける事ができました。

自宅は海からかなり離れた小高いところに住まいがありました。
真っ赤な椿の花が一面に咲いた東北の独特の住まいでした。

先生が在宅され、おばあさん、奥様さん、お嬢さんとも皆ご無事の姿を拝見することが出来ました。
先生は私の顔を見てかなり驚かれたようです。まさか、突然自宅にやって来ることなど思いもよらなかったのも当然です。
旭川医科大の看護学部の学生であるお嬢さんがいらしたので最初安心しました。 友人の鵜野さんとのやり取りをブログに書いてありますのでお分かりのことと思います。
お嬢さんは甲斐甲斐しく、お茶やコーヒーを出して下さり、奥様と共に、ラーメンまで作っていただきました。

柏木先生から、津波のときの状況を詳しく話してくれました。海まではかなりの距離があります。遠く海の方向に見える道路を乗り越え自宅近くまで津波が押し寄せたとのこと、想像もつかない脅威でした。
先生の製氷会社が一瞬にして無くなり、先生も仕事を失ったとのことでした。一瞬にして人生が変わってしまったのです。それはお嬢さんにとっても同じことでした。

先生を訪問の際、手ぶらで来たことを謝罪し、基地においてきた支援物資を後日届けることを伝え、辞しました。
「本当にありがとうございました。」との言葉を聞き、来て良かったと宮末先生と同士相親しみ相援けの精神を思い浮かべました。

帰り際、奥さんが、「今年は例年になく、椿がたくさん咲き、そして、首を落としています。亡くなった人の数だけ真っ赤な椿の花が落ちているのでしょう。」
確かに、庭には悲しげに真っ赤に燃えるようなたくさんの椿花が落ちていました。

現地に赴き直接声を聞かなければ分かりません。
自分の安全を確保してから行くなど論外。
被災地の皆さんは必死に立ち直ろうとしています。
皆さんの心を届けることが最も勇気を与えることになるでしょう。

陸前高田に戻り、本部の藤井君と打ち合わせをしました。
「新井会長が、来られるのでその時に、池上先生の支援物資を柏木先生に届けてもらうことにしましょう。」
そうしてもらうことにしました。

5月2日

リンゴ園を営んでいる人家の瓦礫の撤去。瓦礫の浜辺をあっち行ったりこっち行ったりしながら漸く現地到着。作業を開始。

かなりの瓦礫、ひどい状況、強風により危険な作業。
しかし、みな、文句も言わず汗だくだくで作業。
埼玉の林先生が、トラックで来ていたために大いに作業がはかどる。
ますます強風、この日の作業は全て午後から強風のため危険と判断。
活動停止。

埼玉、茨城、北海道、とりわけ本部の藤井君、もと本部職員の後輩、本校武専の学生が参加しての作業。
夕食は、カレー。私たちはテントにて就寝。隣のテントが強風で飛ばされた。

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