2011年10月14日金曜日

心識について(拳士の質問 ) 埼玉武専本科1年感想文

合掌

10月12日13日14日の3日間北電の巡視に羆対応で同行した。
12日は急遽、物凄い雷の関係で芦別の8号の鉄塔に雨雷の中同行。
北電職員も点検のためずぶ濡れで巡視した。芦別野花南は羆の宝庫であるため、ハンターの同行は必須条件。急遽お手伝いしたのである。当然、ずぶ濡れと銃を所持しているので落雷が心配。竜巻や雷注意報の出た最悪の天候であった。
13日14日は予定通りの巡視。山の上の鉄塔から見る紅葉の始まった芦別から富良野の空知川の景色は圧巻。
羆の古い糞、雄鹿の美しい立ち姿を目の当たりに汗だくだくの高所の鉄塔の巡視、大変な業務であることを実感するこの3日間であった。
稽古には影響なく行くことができた。
北海道の秋は雄大で尚且つ美しい。

心識について
この言葉の意味についての質問が道院の拳士からありました。

心識は心 意 識 のことであり、仏教概念。
「心」梵語で質多。集起(しゅっき)の義。
 いろいろな条件や要素が集まって起こる。」
 遺伝、誕生の環境、境遇、以後の教育、習慣、経験、現在の生理状態。
 体験している事柄、さまざまな条件要素がより集まっていつも生起して
 くるところのものが、この「心」というもの。

「意」梵語で末那(まな)。思量の義。
 「心」から派生してきていながらこの「心」に対して、それを単なる寄せ集めからの生起と思うのでなくして進んで「これこそ我だ我だ」と、いつも強く思い固める能力、これが末那(意)の特徴。

「識」梵語で毘闍那(ひじゃな)。了別の義。
 意識とは「意の識」の意味
 「我だ我だ」と思う末那(意)の管理のもとに働きそれ以上いろいろの物や物事を分別する作用で、その分別ただの分別ではなく
いつも「我」の関心のもとに了解(合点)するので了別という。

西洋心理学的概念に合わせると次のようになるか。

心 無意識心理
意 自意識
識 意識的状態

心意識 これら三つがまったく緊密に連関しながら、不分離である在り方
西洋の心理学的概念よりよほどナマナマしく我のこころを言い表しているところがある。

「偶然の寄集めから出発しながら、深くこれを我と決め込み、この自分の物足りようの思いを絶対的のものとして全てこれによって分別し片付けようとする能力」

主観的色彩の濃厚なこころ。
人間生命に所属」する一器官の能力 「あたま」 「こころ」


埼玉武専 本科感想文 原文のまま
本科1年
1 指導者論
禅の姿は座る形ではない。組手主体、一人より二人、二人より三人のほ うが良い。相手のことを考えて行動できる様に日々を送る。必ず死を向かえるのだから死ぬまでに何をするのかできるのか?みんながお互いの事を考えて行動する事が調和につながると感じます。

3 開祖法話学習
先輩だから段が上だから偉いとかん違いされている方々が中に居る事は確か。少林寺拳法は何の為にやっているのか考えて欲しいと感じていました。少林寺拳法が何の為に有るのか、みんなに再認識して欲しいと思います。

4 実技
応用的な動き方が、おもしろく楽しかったです。

本科1年
1 指導者論
人が生きるための本質も極め自己確立に努めなければならない。そのため我と他、互いに認めあい調和を基本としなければならない。我と他そこに組手主体の理念がある。

2 開祖法話学習
人の先に立つ者は自己を律しなければならない。教え子からひきずりおろされるような人間になってはいけない。下の者が悪い姿をするのは自分の姿がそのまま写し出されているものだと感じる。

4 実技について
剛法の受けと反撃の早さがいかに大切か知った。今後の課題としたい。足さばきの研究が必要であると実感した。

本科1年
1 指導者論について
相手のことを思いやり演武を行うこと、また気持ちを入れた演武というのは見え方も変わってきますし、自分の向上にもつながるので一回一回の演武を大切にしようと思います。

3 開祖法話学習
人の上に立つ者として自分への厳しさが足りなかったと思いました。後輩からの意見も取り入れ少しでも良くしていこうと思います。

4 実技について
乱取りの重要さを知りました。乱取りの中の一部分を切り取ったものが技であることを念頭に入れ練習します。

本科1年
1 指導者論について
人の生きていく事について勉強させていただきました。
特に我他我他(Gata Gata)について興味深く聞かせていただきました。今後の人生について幾ばくかの糧にしたいと思いました。

4 実技について
運用法の大切さについて教えていただきました。今後、自分及び支部の練習に生かしていきたいと思います。
自分の技の不十分さがわかりました。基本(特に体のサバキ等)を更に積んでいきます。

本科1年
1 指導者論について
我思う故に我在り、思う我は必ず死ぬ。互いに心が合わないとガタガタになる。組手主体としての演武が大切(互いに心を合わせる必要があるため)

4 実技について
乱捕りを普段からする様に、軽い受け、投げ、突き、蹴りでやればよい。

本科1年

1 指導者論について
 1 禅に意味を求めない
 2 我他我他(互いに心が調和しないとガタガタになる。

4 実技について
運用法

本科1年
1 指導者論について
「組手主体」について
我と他の調和が大切であり、お互い1人1人の技術を高め合うことが必要である。

4 実技について
乱捕り形式で剛法を行う。たいへん実戦的で楽しかったです。

本科1年
1 指導者論について
朝、起床して「鎮魂行」をと言われてアッと思いました。今後に生かしていきたいと考えています。

本科1年
1 指導者論について
座禅と自己について、もう一度考えてみます。参考になりました。

4 実技について
良かったです。

本科1年
1 指導者論について
楽しかったです

4 実技について
勉強になりました

本科1年
1 指導者論について
自己確立 1、我思う故に我有り。 2思う我は必ず死ぬ
組手主体ー相対演練 お互いに高め合う意識
演武・・この一回しかないという演武は別物である。=乱捕り

4 実技について
乱捕りを基本で行うことの大切さを学んだ。私は体が大きいので相手ときちんと正対し、裏に受ける、顔をそらすことを学んだ。

本科2年は次回に掲載します。
合掌再拝 池上治男

2011年10月8日土曜日

羆の巡視 埼玉武専の2 武専学生感想文の1

合掌
10月4日5日6日の3日間、北海道電力の送電線の巡視に伴う警護に参加。
北海道は既に初雪が降り、滝川、砂川の地域も初雪が降ったようです。
埼玉武専中の初雪のため地元において今年は初雪を見ることはなかった。
我が家からピンネシリの山頂、さらに奥に暑寒別の山頂が真っ白になっているのを見るのは例年に比べて少し早い。
近辺の山々のどこが最も高いか確認できる季節でもある。
兎に角美しい季節である。

その山々より少し低い峰を繋ぐ送電線を巡視するのである。
一組の構成は、北電社員2名ハンター1名の3人である。
北電の社員は勿論山に習熟しており、ハンターは彼らに遅れを取らぬよう羆の警戒をしながら随行するのである。
今年は、台風や大雨の影響であちこちが水分をたっぷり吸い込んだぬかるんだ巡視路を進むのである。
危険を伴う気の抜くことのできない前進なのである。
スパイクの付いた長靴に小型のアイゼンを装着して細い巡視路をアップダウンを繰り返しながらすすむ。
山伏の修行のようなものである。
鹿の足跡はかなり多く、羆の糞らしきものも見かけた。
蝦夷狸、北狐に何度か出くわした。

札幌市内に出没した羆の気持ちは良く分かる。
というのも、今年が昨年とは違い、山葡萄を見つけるのは至難であった。
7日の砂川クラブの稽古に、私の所有の羆の頭骨と山葡萄を一房持って法話の時間に話題提供した。
如何に、生き物は生きるために食べ物を求めて「さ迷う」ものか、恐らく親子の羆が札幌市内に現れたものと思われる。
あまり騒ぐ必要のないのであるが、都会の人間としては致し方ないことか!
我が家の砂川の自転車道路に羆が現れてもさほど驚かなくなった。
ただこうした人間から見た問題解決のためには、山にどんぐりを撒くような運動が必要なことは明白。
テレビのニュースで騒ぐだけでなく、そうした運動を展開することに対してもう少し騒ぐ勇気はありませんか!
自然環境はまず野生動物のものであり、人間はあと、あと!

13日14日の2日間は、滝里ダム、富良野方面の山の巡視に向かう予定である。
羆に遭遇しないことを祈るばかり!ここは羆の宝庫!

埼玉武専
講義の内容から。

Gata Gata means ricketiness written in Chinese character as "Oneself-Others Oneself-Others:Working with others without harmony would result in Gata Gata.

互いに心が合わないとガタガタになる。
我他 我他

勝手なつくりごとをする思いを「自己」だと誤ることを無明という。
人間のみが無明を無明と知る叡智を持つ。
真の自己は、そうした思いを解体し、落ち着いて自己を生きていくことに見出すことができるやも知れず。

私の講義を受講した感想文が7日に大澤先生から届いた。
その感想文をここにご紹介したい。
何度かに分けてご紹介したいが全員のものは無理かもしれません。
原文のまま!匿名にします!

予科1年 
1指導者論
他人(相手)を考えられる自分として今、いられているかと言われると正直厳しい。鎮魂行で口にしていることを踏まえ、演武の”けいこ”を通して何よりも変えられない”自己”を確立していきたいと思う。

4実技について
乱取りの練習を中心に行った。とても楽しかったが、皆なあまり普段やっていないのか、慣れていなかった。

予科1年
1指導者論
自己確立について、やはり自分も自分確立になってしまっていると思うので今日より自己確立を頭に入れて行きたいと思う。

予科1年
1指導者論
北海道砂川道院の池上治男先生 1、我思う故に在る 2、思う我は必ず死ぬ 3湧出の事実がある。
演武は一期一会である

予科1年
1指導者論
鎮魂行をする意味を理解して実施しなければならない 反省しました。
組手(演武)が自分と相手が自己確立するため、また実践でも有効な修練方法であることを理解した。

4実技について
中高年を理由に乱取りをさけてきましたが、少しずつ慣れていく重要性を理解しました。

予科2年
1指導者論
「我思う故に我在り」 池上先生の講義は大変良かったです。調和を考え行動しようと思う。

4実技について
速い動きを実施する

予科2年
1指導者論
組手主体、調和の重要性を改めて認識しました。
池上先生のお話は非常にわかりやすく、もっとお聞きしたいと思いました。

4実技について
乱捕りの重要性を理解しました。スピードをすごく感じました

予科2年
1指導者論
「組手主体」滝川道院 池上治男先生
参禅 何も求めず何も考えないそこに禅があり禅をしている姿こそが本尊である。より豊かな人生を送るため「死」という事実から逆算して生きる。人は一人では生きられない。相互交流相互理解による「調和」が人生をすばらしいものにする。
「死んでも死なない命を生きる。」

4実技について
運用法を意識しての法形、法形を意識しての運用法。実戦をふまえての修練が需要である。

予科2年 東京地区(東京から受講に来た拳士と思います。)
1指導者論
池上先生のお話の中で、日々(毎朝)鎮魂行を行うことを推しょうされておりましたが、非常に良い事だと思いましたが、逆になぜ今まで気付かずやってこなかったのかと反省致しました。明日から毎朝鎮魂行を実行したいと思います。

4技術について
池上先生のご指導は非常に実践的で乱捕りの有効性が十分理解できました。道院に帰ってからも 今日の心構え

予科2年
1指導者論について
特になし

4実技について
よかった。乱捕りが勉強になった。

以上予科の学生の分をご紹介しました。次回本科の感想文のご紹介したい。

さて、夜も更けてまいりました。

今日、土曜日は滝川クラブの朝稽古です。

寒くなって来ました。風邪は払受!

合掌再拝

2011年10月3日月曜日

埼玉武専 旭川南高校同好会来道院 倉本聰先生の思い出

合掌
このブログの主たる製作は、現在旭川南高校教員の松林拳士に負うところが多い。
同校の高(たか)拳士(教員で本部研修受講済み)の二人が同好会の生徒を伴い23日の休日の日にやって来た。
当初、この日は砂川道院休日休みの予定であったが、松林拳士からの砂川道院での出稽古の希望があり、急遽受け入れる旨即答した。
18時半から開始した稽古。
少林寺拳法初心者に対する護身の極意とも言うべきものを体験させることができれば幸い。両教員が三段受験の際、二人で砂川道院に出稽古にやって来たその時の体験を生徒に体感させたい希望であることは明白であった。
初心者の指導においては、身近な先生の技を見るだけでなく、他の指導者とその門下生の技術をも含め、実際にその技術を直接かけられることで一気に物事は進むものである。
さらに、興味を増加させることになる。
私にもその経験があり、そうした積み重ねから今があると言える。

砂川道院、滝川道院の拳士の全国大会出場者或いは北海道大会最優秀の演武を披露したこともいい影響を与えたものと信じるものです。
当日演武した、小林拳士、鈴木拳士、三浦拳士等の演武は影響を与えたものと思う。
当日参加した旭川の拳士に感想を聞くことで、いい結果の感想であれば我が道院にとっても非常にありがたい事です。
今後、柔道でオリンピックで金メダルを多く輩出している柔道の名門旭川南高校を訪問し、少林寺拳法の指導ができれば嬉しい限りです。

倉本先生の思い出
「昨日悲別で」の撮影。
砂川駅裏のモーテルの前で冬の夜、ロケを敢行したときのことである。
俳優大滝秀治さん、女優五月みどりさんが二人で歩くシーンを撮影したのであるが、倉本先生が現場に立会い、寒い中、時間をかけて撮影したのである。
そのモーテル入り口の真ん前での撮影時間は真夜中過ぎ迄続いた。
先生はヘビースモーカーで、しゃがみ込みながら、ふかしていたのを記憶している。
しかも寒い雪のなかである。多くのスタッフも勿論寒さを忘れての撮影であった。
夕方から真夜中過ぎ迄かかったことで、モーテル利用者が出るに出られない状況であったことは言うまでもない。
ずっと付き合った私も寒かった記憶が残っている。
今思うと、私は34歳のときのことである。若かった!

埼玉武専

久しぶりの埼玉武専で、深谷市を訪れた。
10月2日、日曜日深谷市総合体育館での開催である。
深谷市にある埼玉工業大学は、私の甥が卒業した大学であることを知った。
住んでいたマンションの一階の、深谷ねぎを焼いて食べさせる居酒屋でアルバイトをしていたとのことである。ねぎ何とかという店のようだ。
多店舗化してうまくいっているとのこと。
本人は現在、京セラの名古屋支店に勤務している。
彼の親、つまり私の弟の三回忌は今年である。
神奈川県警勤務58歳で他界してしまった。

絶対事実である「思う我は死ぬ」の通り、先に逝って早くも3回忌である。
湧出の甥は、今の所元気であることが何よりと言いたいが、喫煙が心配である。

さて、先月北海道の武専に指導に来られた、菊地先生が埼玉グランドホテル深谷に、午前8時40分の約束の時間に若い門下生を伴って来られた。

深谷総合体育館は、ビッグタートルという名の通り、丸い甲羅の亀をイメージした非常にすばらしいデザインの建物である。
そばに古墳があるからではないかと、大野木理事長に尋ねたところ、古墳はなく、そうではないとのことであった。
朝、大野木先生、倉田健治先生、矢島隆禅先生、赤崎義昭先生、小宮山宣司先生の皆さんにご挨拶申し上げた。
いわゆる埼玉を代表するそうそうたる先生方である。

被災地でお会いした、大活躍の林先生は朝はまだおみえではなかった。
埼玉の林先生には頭の下がる思いである。
ダンプを持ってきて瓦礫処理の先頭に立たれていたのである。
ダンプのような実物がなければ、頭の思いだけでは何にもならないのである。
被災地から遠くにいるだけでは何にもならぬのである。

この被災を眼前にして、開祖宗道臣先生ならどうされるだろうか!
もちろん、先頭に立たれていることであろう。
開祖の思いは、今被災地の真っ只中にあると言えるのではないか!

宗由貴総裁が先頭に立って被災地に行かれていることを思えば、拳士ひとりひとりが一度ならずとも被災地において、自分確立・自身確立から
真の自己確立を果たすべきではなかろうか。

それぞれの事情はあろうが、一度は実物に触れることが少林寺拳法の拳士として大事ではなかろうか。
千年に一度のことである。
今行かなければ千年後に行ける由もなし。
思いと行動は全く別である。

午前中の講義 金剛禅の「調和の思想」 その五 組手主体
参禅とは、坐禅に参った。自己が自己を自己する。
坐禅する自己が本尊であり、真の仏教は偶像崇拝ではないことを理解するべきである。
坐禅中、決して邪魔をすることなく、坐れる環境をつくるべきである。
坐禅は自己確立にあって、とてもとても大事なものなのである。
坐禅が一旦始まったならば、ゆめゆめ じゃまはなさらぬよう!
じゃまにならぬようただ坐禅に参った自己を本尊として見つめればよいのである。

絶対事実 我思うゆえに我あり。
       思う我は死ぬ
       湧出事実において、金や名誉やいわゆる名利に関わらぬ、
       如何に真に豊かな人生をおくるか。
そうした人生において、単なる自分・自身ではない、真の自己を通しての組手主体を理解することこそ、少林寺拳法の修行である。
単なる練習ではなく稽古であることの意義を理解すべきものである。
自他共楽の精神を土壌とした組手主体を、普段の稽古を通して、できるならば乱捕りを恐れず嫌わず、日々の稽古に取り入れようではないか!

埼玉武専については更に次回に続く。文章の間違いニュアンスの違いがあれば後で訂正します。

まずは、埼玉武専においてお世話になったことを先にお礼申し上げます。
ブログを見て頂いている埼玉県連の皆さん本当にお世話になりました。

4日火曜日から羆に対する警護のために山に入ります。
羆には遭遇したくないものですが。
参禅・稽古には影響ないものと思います。
合掌再拝 池上治男

2011年9月26日月曜日

森拳士からの近況報告

合掌

アメリカに派遣中の滝川道院森副道院長からのメールを紹介します。

森拳士留守中に、留萌の1981年生まれ、自衛官小山雅明拳士が初めて滝川クラブの稽古に参加しました。
新潟の道院に所属だった。
彼は10年程少林寺拳法の世界から離れていたのですが、今回正式に滝川道院に転籍復帰しました。
24日土曜日の朝稽古の様子!
鎮魂行の後、基本稽古の際も、力を抜くことなく、意識を体の芯に置くことで突き蹴りにも汗だくだくの様相であったことが参加した他の拳士は感じたことでしょう。
おそらく暫くぶりの鎮魂行も、その唱和の発声も自衛官らしい大きな声で!
これはこれは、技術的修正を加えるとかなり技術水準が格段伸びるのではないか。

森拳士にとっては、将来見込みのある拳士が一員となったことで帰国の楽しみがひとつ出来ました。
同じ滝川の自衛官酒井拳士にとっても良きことであったと言えます。
酒井拳士うかうかしてられなくなりました。
ひとりの一生懸命が雰囲気をガラッと変える力を有しています。

それだけに指導する私にとってもやり甲斐があります。

さて、森拳士の近況報告メール開示します。
合掌
米軍に混じっての教育がはじまり6週間ほどたちました。
言葉の弊害もさることながら、論理的に物事を考えることに慣れていないため
大変苦労しています。論理よりも「感情」や「印象」が優先する日本において必要な
教育は「リーダーの育成」、すなわち物事を論理的に考えて、自分の意見をしっかり
もち、発言できる人材の育成が今の日本に大事なのではないかと痛感しております。
自分の意見が言えないのではなく、意見をもっていない。意見をもっていないから
発言できない。英語能力以前の問題。
なんとかがんばっていきたいと思います。
昨日、イラク、アフガニスタンで実戦経験を有している同じクラスの米兵に
少林寺拳法を指導する機会を得ました。
時間があまりなかったので簡単な剛法のみを教えましたが、柔軟性にやや欠けるため
センスはあまりいいほうではありませんでした。
やはりブラックベルトをもっているということで一目おかれています。
アメリカ軍人にとってブラックベルトは我々拳士が思っている以上に大変重みがある様です。
日本にいるとあまり感じませんでしたが、有段者としての自覚をしっかり持つべきだと
いまさらながら思いました。
今後機会があれば柔法を教えていきたいと思います。みな筋骨隆々なのでいい稽古になりそうです。
スガワラさんという男性の方から少林寺拳法を習いたいという電話が滝川の家にかかってきました。
今週の土曜日見学にいくと思いますのでよろしくお願いします。
ブログをいつも楽しみにしております。海外在住者にとって最高の法話学習資料です。
                                                 結手  森
このメールにあった、菅原君が土曜日の朝見学に来ていました。
私と、本人の希望を聞いて稽古前に少し話しました。
来週の土曜日にでも、弟さんと一緒に再度来ると言い残して鎮魂行、基本稽古を見学して行きました。
11時まで指導した後、新千歳空港に向かいました。
特別昇格試験等について、また、25日の帰りの高松空港で宗由貴総裁とお会いしました。そのことは次回にしましょう。

2011年9月21日水曜日

絶対事実の三つとは?坐禅とは?9月武専 倉本先生の思い出の3 続・子鹿物語 転籍拳士 自己確立

合掌

秋の空は、筋雲も美しい冷涼たる空気に満ちている。
北海道の最も刺激的な季節の変化が齎す美しさは例えようもない。
浦臼連山のピンネシリ、それに北西に背景として暑寒別の山並みが
くっきりと映える季節がやって来ました。

早朝の気温は10度を下回るあっという間の季節の変化。

9月の武専は、埼玉熊谷の菊地先生が本部派遣教師として見えられた。
3年ほど前に初めて北海道武専に派遣されたとのことをお聞きした。
どうも、私はその時の記憶がなかったので私も行事が重なったのではないかと思われる。
10月は私の武専の派遣先は埼玉である。
互恵関係の派遣か!
埼玉武専は私も以前一度行かせていただいたのだが、少林寺拳法の先進の地といっても過言ではない。
幸手の小坂先生も今や幽明境を異にしている。
若くしてと言いたいが、彼は彼の自己を全うしたのであり、よき人生であったのは言うまでもない。私の弟のような存在であった。

菊地先生は、技術確認の際、どうもその指導にあたる担当者の技術に難癖をつけるようで気がひけると言われた。
北海道の拳士にとっては、道院長、幹部拳士に関わらず謙虚に技術を確認したいのであり、決して批判を受ける感覚はないのでご心配の向きは気になされなくても良いのだが。
修行とはそうしたものなので、技術確認等の際、決して指導者だからといって勘違いをゆめゆめなされるな。

私は、武専研究院を担当した。
袖口捕、送閂小手、上膊捕の掛手の理論を断じた。
同じ理論手法が成されなければ無意味であることを、体感させるように指導した。
どうも、まだまだ、研究の域を脱する心識の修行が不足かなと思われる。
まだまだ始まったばかりなので仕様がないのだが。
この中から早く全国を巡回できる技量、心力を身につけてもらいたいものだ。
ただ、今の研究院の学生は誰一人として弱音を吐くような輩は一人もいないことが頼もしい限りである。
武専研究院に菊池先生が来られたとき、お任せし、しばし、予科の方に顔を出してみた。一人の拳士が送小手を掛けて欲しいとの希望あり。
指導したのだが、やはり予科の拳士にとっては難しいもののようである。
しかし、将来が楽しみである。旭川北の拳士であったか!いつものやり方とは違うという感覚を得てくれたなら嬉しいのだが。

倉本先生の思い出。
昔のことはなかなか思い出すのがだんだん難しい。
最近、「北の国から」が、何十年ぶりでBSで再放送されているのをみて、思い出の振り返りを試みているのだが。
25日のクリスマスの夜、砂川の道場で、「昨日、悲し別で」のドラマ作りのための取材のような話であった。
砂川を中心に滝川。そして上砂川、歌志内、赤平、芦別の広域を悲別のひとつのまちとしてドラマが展開する。
北の国からのドラマの合間に炭鉱町を舞台にしたドラマであることは明白だった。

私もロケハンのお手伝いをすることとなった。日本テレビのロケハン担当者と打ち合わせをして、希望の地を紹介し案内したもので、そのドラマの撮影が始まってから、現場に直接行って撮影を目の当たりにした。
晴見の道場の前にも、ドラマの主役三人、天宮良、梨本謙二郎、布施博の三人が集まった。三人ともこの作品がデビューの作品であったようだ。
長男の航洋はまだ小さいときで天宮君に抱っこされた写真が残っている。
砂川市内のロケが一番多かったようだ。
砂川駅、砂川駅前の喫茶店、砂川駅のモーテルの前、東晴見の農村勤労センター前、吉野の橋の上。それぞれの場所で、大滝秀治、五月みどり、斉藤恵子それから、、、名前が思い出せない。西田敏行の釣り馬鹿の最初の奥さん役の女優。そのうち思い出すだろう。
ドラマの撮影時の思い出は次の機会に。

さて、3日前、歩行禅の途中、雌鹿親子発見しました。同じ場所で食餌をしているのを確認しました。子鹿物語は続いています。
そして、雌鹿3頭を昨日発見しました。これは、墓地のそばのそば畑と林の端のところでの発見。先日交通事故にあったのはこの家族の一員であることは場所の関係からして間違いないようです。
ビデオ撮影をしてあります。機会があればお見せしましょう。

パンケ歌志内川で、一昨日カワアイサの雌6羽発見しました。
そして今朝5時半頃、いつも出くわすキタキツネの映像も撮りました。
自宅周辺は、いわゆる野生の宝庫のようです。

先週の土曜日の滝川クラブの稽古の際、留萌の自衛官が転籍したいとのことで訪ねて来ました。
10年ぶりの復帰とのことです。
この日の内に本部と連絡を取り、転籍手続きを済ませました。
1982年生まれの小山拳士、少拳士弐段、新潟出身とのことです。
挨拶では、みなの前で開祖の話をした本格的な拳士ではないかと楽しみであります。
留萌から通うとのことで、早速拳法着、二重胴を購入するとのことを嬉しそうに電話で話していました。
将来、こうした拳士の活躍で留萌にも道場ができれば良いのですが。

少林寺拳法を継続していくのはひとりひとりの心識のことであり、それが強いか弱いかは個々人のことである。
よく仕事が忙しい、何かがあってどうも等というのは、単に自分に対する言い訳であり、真に忙殺されるが如くの他者に対しては全くもって恥ずかしいことであろう。
開祖の思いを今に生かそうとして、修行再開する拳士にとって、自己の存在を確認できる時間をつくることになる。

「自分と自己」は全く異なる。
自己を単に自分のことであるという認識は変えてもらわなければならない。
自己確立の道は今をどう生きるかによって全く異なるのである。
人生はひとりひとりのものであり、後悔しない人生を送ることで、自身・身体を取り巻く環境に自己の心識をつくりだすことになるであろう。

        ひとは生まれて生きて死んでゆくだけである。

しかし、今の世の中生まれて、苦しんで、死んでゆくことの多いことよ。

経済的要求の成功を願う人生では、「真の豊かな人生」を全うすることはかなうまい。

釈迦の仏法

絶対事実

絶対事実の1 我思う故に我あり。
絶対事実の2 思う我は死ぬ。
絶対事実の3 湧出事実 
  
生きていく中で湧出するものを解き放つのが修行であり、仏法そのものである。
  
  自己の意味は、ただ単に自分のこと、自分の身体のことではない。
  
  自己が自己を自己するのが禅の本質である。
  
      参禅するとは、坐禅に参ったをすることである。

坐禅をして悟る等という誤った参禅は全くもって意味もない。

ただ、坐禅をするのみであり、本尊はその坐禅の姿そのもの、そのまま。

偶像崇拝は、釈迦の説かれた仏教ではないことを銘記されたい。

合掌再拝 池上治男

稽古情報
23日金曜日は祭日ですが、旭川南から生徒を連れて出稽古に
来ると電話がありました。
 やりましょう!
 19時ではなくて、18時半より稽古開始します。
 稽古に来れる拳士はふるってどうぞ!
 自主的稽古は可能。
 
 24日土曜日は道院長は稽古09:30~11;00
  道院長が本部に出張のため、少し早めに新千歳空港に向かいます。
 25日日曜日 四国多度津の本部にて特別昇格試験の考試員を担当

2011年9月12日月曜日

子鹿物語 凛々しかった柴犬 紅天海

合掌

北海道の秋もさらに深まり、今日12日十五夜の朝はかなり冷え込んだ。
朝の歩行禅も長袖を身に纏わなければならないほどの寒さだった。
早朝5時半のことなのでなお更である。
さて、朝の散歩であるが、9月ともなると近くで生まれた鹿の姿も
山の中に移動したとみえて、あまり目にしなくなって来ていたのだが
9日の朝のことである。
家を出てから歌志内方面に向かい、パンケ歌志内川の橋を越え、
戻ろうとしたときに、2~30メートルくらい先の道路上に嫌な予感が
横たわっていた。
近づいたところ、予想的中、雌鹿の親子が車に撥ねられて息絶えていた。
恐らく大型トラックに一緒に撥ねらたものと思われる。
母鹿の方が内臓を破裂させた状態であり、子鹿の方は衝撃で
死んでいるのが出血していないことから判断できた。
母鹿の状態からして車に引きずられた生々しい痕跡が道路上に
見受けられた。
この親子はいつも春先から私が観察していた親子であるのに
違いなかった。
早朝、パンケ歌志内川に親子で連れ立って水を飲みに行こうとしたか
行ったか、その際に大型トラックに撥ねられたものであろう。
乗用車であれば、車がかなり損傷し車の破片が落ちている
はずなのだが、それは見受けられなかった。

砂川市役所に警備担当しかいない早朝であるのを知っていたが、
カラスが彼女らに付かないうちに処理したほうがよいであろうと思い
自宅に急いで戻り電話した。
鹿の状態によって対応の仕方が異なる。
まだ息があり生きているときは、市役所が対応するが、
既に死んでいる場合は、道路公団の所轄になる。

いずれにしても道路交通上危険な状態にあり、
また、砂川市内においては現在鹿の有害駆除の対象になっている
ときだけにその処理は微妙なのである。

一応、砂川猟友会の事務局をしている喫茶店インパラの藤井さんにも
電話連絡(留守電)した。
役所からのこうした依頼は即猟友会の事務局にくることが
通例であるからである。
鹿のこうした車両衝突による悲劇が年々多くなって来ている。
それだけ、道東の鹿が空知管内にも劇的に移動、増加しているのを
物語っている。

人の住む安全な近所の林で生まれたひとつの小鹿物語は悲劇の
うちに終わった。

この鹿の家族と仲のよかったもうひと家族がまだいるのを知っている。

野生動物がひとと共生ができない出来事なのか、
単なるひとに責任ある交通事故なのか、あるいは悪質な速度違反を
伴う悪質な事故なのかはわからない。
その命を奪った車両は警察にも届けることなく立ち去ってしまった
ことは事実である。

昨年の春、隣接する渡辺さんの水田の畦道を、バンビが二頭
追いかけっこをしたりしながら、元気に走り回っているのを
わたしは何度も見た。
そのひとつの雌鹿の親子であることは間違いない。

この道路は、私の愛犬だった、札幌北都道院の成田實先生に
いただいた柴犬 紅天海が、今外国で仕事をしている長男航洋と
散歩中に車に巻き込まれて犠牲になった道路である。
150メートルと離れていない場所なのである。

その車も天海を撥ねたまま走り去った。
息子から連絡をもらい、道路に横たわっていた天海を
抱きかかえたそのときのことを今でも鮮明に覚えている。
即死だった。
泣いていた息子の姿も痛々しかった。
航洋も帰国するたびにその現場に行っているようである。

私は毎朝その場所を歩行禅の場所としているのである。
人間を撥ねたなら、それこそただ事では済まないのだが!
長男はもちろん、家族皆から愛されていた天海を失ったショックが
しばらく続いた。
成田先生には、後日報告したのだが、何とも残念なことであった。
誠に申し訳なく思ったものである。
長男の部屋には、紅天海の凛々しい姿の写真が飾られている。

長女詩帆の二番目の1歳半の娘、私には3歳の孫、聖夏(せな)の
妹、安海(あんみ)が天海の名前、海を使っていることを
今これを書いていて気がついた。

哀れ雌の親子の鹿。
そしてこの死を通して思い出された紅天海。
同じ道路で逝った愛すべき動物たち、この死を通して私たちに残した
こととは何なのか?

さて、、、武専、倉本聰先生の思い出は次回に書き込みます。

松林拳士が砂川に稽古に行きますと武専会場で言っていた。

北海道少林寺拳法連盟のホームページが改定されたとのこと。
どのようになったか後で見てみたい。

合掌再拝 池上治男

9月13日以後の稽古は予定通りです。
すべて日程において指導参坐します。
9月24日の滝川の稽古後、本部に向かいます。
9月25日の本部特別昇格試験の考試員を務めます。

2011年9月3日土曜日

2011年9月 倉本先生との思い出・北大少林寺拳法部合宿、義理の兄の死

合掌
まず、倉本先生との思い出についての続き
昭和58年の12月25日雪の降りしきる中、自宅前の道場に倉本先生ひとりで車を運転してやって来ました。
私が「凄い車ですね。」と言ったら先生は「いやトラックじゃありませんよ。」と何か聞き間違いをされたようだ。
私が言ったのは可也の吹雪の中をそれも暗い中、ランドクルーザのような車に見えたので凄い車ですね。この雪の中雪をものともせずやってくるのは凄いと感じて最初の会話がそれであった。
車は、四輪駆動の左ハンドルのベンツであったのがすぐに分かった。
皆さん、人に会うときに印象に残る設定は大事であることがお分かりか?
クリスマスの夜、しかも吹雪の中の箱型の四輪駆動のベンツで現れるなど、絵に描けるような登場の仕方ではないか。
この人が、日本中を圧巻させることになる倉本先生なのである。

で、道場に入り、当時、道場は薪ストーブそれも安物の薪ストーブである。
ただ、安物であっても寒いクリスマスの夜にはもってこいの暖房である。
倉本先生のログハウスも勿論薪ストーブであったに違いない。
北欧の本格的なものであったであろう。
我が道場のストーブは安物なので薪が一気に燃えてしまい部屋の中が熱くはなるのだがせっかくの薪の効率の悪い燃焼状態であった。
先生は、それを見てストーブの前の薪投入口を開け放った。そうすると、燃え方が遅くなると言うのである。それは分かっていたが、ところが悪いことに、煙が充満する羽目になった。せっかくの先生の申し出でもあり、ややしばらく煙我慢の時が過ぎていった。

道場で早速ドラマについての先生の話が始まりました。
このとき、私の他に当時の砂川の中川市長にも同席を頂いた。ドラマが砂川にも関わることになるのでということと、当時の市長は一期目の頃であった。

ドラマの舞台は砂川を中心とする周辺の炭鉱町を舞台にする若者の青春グラフィテイであること、ドラマの町の名前が「悲別」。
実は、これが参った。
当時、上砂川町は、閉山の話が進み、尚、国鉄砂川~上砂川、砂川~歌志内の鉄道がまだあった時代の話である。
悲しい別れと名のつくドラマの協力を、流石の上砂川町出身の私には少し考えさせられるものであったからである。
砂川の名前は実名となるようであった。
続きは次回。

北大少林寺拳法部の合宿の指導に行ってきた。8月27日の滝川クラブの稽古の後大雪青少年交流の家に向かった。
旭川経由がいいか富良野経由がいいか迷ったが旭川経由で美瑛町に向かった。
北大の少林寺拳法部の今年の合宿には、監督の野坂君と私、そしてOBの三浦君が指導に当たった。
私の指導は、学生のレベルを見て基本を正しくという意味、つまり出鱈目を何回も練習しても出鱈目がうまくなるだけ、練習ではなく稽古であることの意味を説明した。
なぜ少林寺拳法の演武が護身に有効であることも理解されたなら嬉しいのだが。
宗教の法話においても仏教の本来についても、学生であることの強みで研究することを勧めた。
短い期間ではあったが、自身有意義な時間であった。

滝川道院、砂川道院も以前のように合宿を通して視野を広げることも大事ではないかと久しぶりに感じた。

昼食の時に、学生に「倉本聡先生や北の国からのドラマを知っているか」と尋ねたら全く知らないという応えが返ってきて野坂君共々驚くばかりであった。
これが、今の時代なのだという現実を知った。
それでいいのだろう。

水曜日の稽古の途中に妻からの電話に驚いた。
妻の兄が意識不明で救急車で運ばれたと言うのである。

残りの稽古の時間を頼んで、妻と札幌に向かい手稲けいじんかい病院に到着。先に救急病室に向かっていた妻の兄の顔に手を当てて号泣する姿を目にした。
山本隆二、妻にとってはたった一人の実の兄、私より若いのであるが、55歳の人生であった。
救急救命室のあっけない対面であった。
兄の顔にすがりついた妻が痛々しかった。

2日通夜、3日葬儀をベルコ麻生シテイホール、私が葬儀委員長をやることになった。
身内との別れが続いてしまった。

今のおかれた風景をかえることはできない、あるがままを受け入れ、それを乗り越えていくことしかできない。
一切が自己、自己を自己することが真の仏教の真の姿。
人生何が短く何が長くなどとは決めることなどできない。

さて、これから母と雨の中会場に向かうとしよう。

合掌再拝 池上治男