合掌
北海道の秋もさらに深まり、今日12日十五夜の朝はかなり冷え込んだ。
朝の歩行禅も長袖を身に纏わなければならないほどの寒さだった。
早朝5時半のことなのでなお更である。
さて、朝の散歩であるが、9月ともなると近くで生まれた鹿の姿も
山の中に移動したとみえて、あまり目にしなくなって来ていたのだが
9日の朝のことである。
家を出てから歌志内方面に向かい、パンケ歌志内川の橋を越え、
戻ろうとしたときに、2~30メートルくらい先の道路上に嫌な予感が
横たわっていた。
近づいたところ、予想的中、雌鹿の親子が車に撥ねられて息絶えていた。
恐らく大型トラックに一緒に撥ねらたものと思われる。
母鹿の方が内臓を破裂させた状態であり、子鹿の方は衝撃で
死んでいるのが出血していないことから判断できた。
母鹿の状態からして車に引きずられた生々しい痕跡が道路上に
見受けられた。
この親子はいつも春先から私が観察していた親子であるのに
違いなかった。
早朝、パンケ歌志内川に親子で連れ立って水を飲みに行こうとしたか
行ったか、その際に大型トラックに撥ねられたものであろう。
乗用車であれば、車がかなり損傷し車の破片が落ちている
はずなのだが、それは見受けられなかった。
砂川市役所に警備担当しかいない早朝であるのを知っていたが、
カラスが彼女らに付かないうちに処理したほうがよいであろうと思い
自宅に急いで戻り電話した。
鹿の状態によって対応の仕方が異なる。
まだ息があり生きているときは、市役所が対応するが、
既に死んでいる場合は、道路公団の所轄になる。
いずれにしても道路交通上危険な状態にあり、
また、砂川市内においては現在鹿の有害駆除の対象になっている
ときだけにその処理は微妙なのである。
一応、砂川猟友会の事務局をしている喫茶店インパラの藤井さんにも
電話連絡(留守電)した。
役所からのこうした依頼は即猟友会の事務局にくることが
通例であるからである。
鹿のこうした車両衝突による悲劇が年々多くなって来ている。
それだけ、道東の鹿が空知管内にも劇的に移動、増加しているのを
物語っている。
人の住む安全な近所の林で生まれたひとつの小鹿物語は悲劇の
うちに終わった。
この鹿の家族と仲のよかったもうひと家族がまだいるのを知っている。
野生動物がひとと共生ができない出来事なのか、
単なるひとに責任ある交通事故なのか、あるいは悪質な速度違反を
伴う悪質な事故なのかはわからない。
その命を奪った車両は警察にも届けることなく立ち去ってしまった
ことは事実である。
昨年の春、隣接する渡辺さんの水田の畦道を、バンビが二頭
追いかけっこをしたりしながら、元気に走り回っているのを
わたしは何度も見た。
そのひとつの雌鹿の親子であることは間違いない。
この道路は、私の愛犬だった、札幌北都道院の成田實先生に
いただいた柴犬 紅天海が、今外国で仕事をしている長男航洋と
散歩中に車に巻き込まれて犠牲になった道路である。
150メートルと離れていない場所なのである。
その車も天海を撥ねたまま走り去った。
息子から連絡をもらい、道路に横たわっていた天海を
抱きかかえたそのときのことを今でも鮮明に覚えている。
即死だった。
泣いていた息子の姿も痛々しかった。
航洋も帰国するたびにその現場に行っているようである。
私は毎朝その場所を歩行禅の場所としているのである。
人間を撥ねたなら、それこそただ事では済まないのだが!
長男はもちろん、家族皆から愛されていた天海を失ったショックが
しばらく続いた。
成田先生には、後日報告したのだが、何とも残念なことであった。
誠に申し訳なく思ったものである。
長男の部屋には、紅天海の凛々しい姿の写真が飾られている。
長女詩帆の二番目の1歳半の娘、私には3歳の孫、聖夏(せな)の
妹、安海(あんみ)が天海の名前、海を使っていることを
今これを書いていて気がついた。
哀れ雌の親子の鹿。
そしてこの死を通して思い出された紅天海。
同じ道路で逝った愛すべき動物たち、この死を通して私たちに残した
こととは何なのか?
さて、、、武専、倉本聰先生の思い出は次回に書き込みます。
松林拳士が砂川に稽古に行きますと武専会場で言っていた。
北海道少林寺拳法連盟のホームページが改定されたとのこと。
どのようになったか後で見てみたい。
合掌再拝 池上治男
9月13日以後の稽古は予定通りです。
すべて日程において指導参坐します。
9月24日の滝川の稽古後、本部に向かいます。
9月25日の本部特別昇格試験の考試員を務めます。
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