2013年3月13日水曜日

2013年3月武専講習会 新渡戸稲造先生

合掌
武専教員研修会に、中野拳士の結婚式があり欠席したことで、武専講習会に教員研修の補講参坐しました。
これは武専教員の研修義務であり新年度の方針を研修する場である。
往路の車中、JR HOKKAIDO車内誌の特集を興味深く読んだ。
未来を生きるサムライ、新渡戸稲造 響き合う武士道と国際交流 
その車内誌の映像を入れてあります。

武専講習会の最も中心となったのは、般若心経の空即是色 色即是空。 
技法的には無我の境 さまたげもなく、とどこおりもなく 自由自在

こうした視点から(般若心経)のとらえ方は、やや遅きに失した感が否めないが実に有意義な展開が期待される。
現代の国法の範囲における宗教法人としての在りかたという観点からして、少なくとも道院を標榜するのであれば、少なくとも釈尊の教えを研究理解し、達磨大師~宗道臣大禅師にいたる歴史的背景を積極的に学ばなければならない。
般若心経について現代研究されていることを少しでも理解されなければ、機構改革の真髄を知ることさえままならず、右往左往せざるを得ない。
鎮魂行において、般若心経も唱和することを提言するものである。

技法、宗教法人の逆小手も財団の逆小手も学校法人の逆小手も皆同じ護身としての(知育・体育・徳育)体育に変わりはないのである。
この体育活動の理念が、少林寺拳法の金剛禅理念の魅力と共に、歴史は浅いが世界中に広まってきたのである。
ただ、般若心経からのアプローチからの技法というものは、少林寺拳法としては当然である。
自然つまり法然である。
空を論ずる釈尊の教えが、世界中の宗教の枠を超えて受け入れられ、同時に少林寺拳法が宗教を越えて受け入れられる事が、「愛民、愛郷の精神に則り、世界の平和と福祉に貢献する。」ことになる。
正思正道の少林寺拳法は毅然として存在しなければならない。

さて、武専教員の自己紹介にコメントを記述を求められた。
私のそのコメントをここに紹介します。いい加減なコメントは武専教員の職責に失礼に当たると考え真面目に記載した。

ひとは「間」に苦しみ「間」を思惟する存在である。「魅力の無いことは無力なり、慈愛の絆をもって人間を愛そう。」 偶然ではない宿縁である今日の出会いを心に刻みたい。

復路の高松空港の書店で、偶然、新渡戸稲造先生アメリカで英語で著した武士道(奈良本辰也先生が20年前に翻訳)を目にした。砂川に到着するまでに読み終えた。

今回の研修参坐は実に有意義なものとなった。
自宅到着は、雪害のために夜半を過ぎた。

 




北海道大会(5月6日開催)申し込み締め切りは、今月15日までですので参加希望者は至急連絡してください。
高校受験。大学受験も略終了、稽古に参坐してください。





0 件のコメント:

コメントを投稿