2011年5月11日水曜日

陸前高田 NO3 森拳士のアメリカ報告5月10日

合掌
5月3日
午前6時起床。静岡県裾野市のグループは、急遽、災害協定を締結している相馬市を訪問する関係で、基地を後にすることとなり私たちは支援基地で見送った。

昨夜、裾野市市議会議員と今回の被災に対する支援物資の配布等について私から伝えた。自治体に届けられた物資を配布することが出来ずに溜まる一方であり、支援物資が余っているのではなく、単に配布ができないでいるということ。もし、万が一にも被災自治体が支援物資はたくさんありもう送らなくてもいい等と言う様なことが流布されたらとんでもないことになる、被災地に対しての考え方が変化し協力を得られなくなる懸念があること。支援されるもの、事に関して現段階で決して不用意な発言には十分留意すること、本部の藤井君にも十分注意した。

そうした話し合いの下、裾野市議会議員のご好意、日本一の水を始め多くの支援物資を陸前高田の我が基地を通し陸前高田の被災対策本部に届けることとなり車から支援物資を基地内に運び込みました。
藤井君が受領した。感謝!

仲間が去った後はやはり寂しい、しかしやる気も溢れてくる

宮末さん、埼玉の拳士2名、埼玉県の拳士の奥様、畑山先生とそのご子息、陸前高田女性2名、そして私の合計9人で、子供たちが通るための歩道を整備した。津波で押し固められた歩道をスコップで土砂を取り除き、箒で綺麗に鏡面の如く約200メートル施工した。

作業中の午後2時過ぎ新井会長一行が現場に到着
荒井拳士、新潟県連盟の夏川先生、小千谷道院長他2名であった。新潟の米を数俵その他の物資を基地に届けられたとのこと。
夏川先生はもう3回来ているのだと私に話してくれました。
さすが東北の仲間!
小千谷道院長は、私たちの作業を見て、「今日は被災地視察ですが明日から手伝います。」と力強い言葉。

新井会長は、私が北海道から持ってきた支援物資を陸前高田の基地から車に積んできてくれたこと、そしてそれを柏木博文道院長に全部渡していただくよう確認しました。その支援物資には、砂川道院の竹房いぶき拳士と小学校の友達2名の手紙も入っていました。
短時間の会見の後、会長一行は宮城に向かいました。

作業再開!
ここで、歩道を覆っていた屋根の鉄板を宮末さんの60型ランドクルーザーのウィンチで引っ張り取り除くことができました。
その結果、200メートルの歩道回復を果たすことが出来ました。

作業を終了!実は、歩道の整備の場所は、かの有名な歌手の千昌夫の生家の前で、その家は津波で壊滅していました。
津波の入ってきた海はその歩道からかなり遠くにあります。1キロはあるのではないか!道路と海との間は水田であったようですがその面影は全くありません。

夕方、新潟の小千谷道院3名が基地に到着。ここで画期的なことがありました。
会長が持参された財団旗をどこに張るかでこの基地の責任者畑山さんが悩みました。
私は、「大きい団旗を外に張ったらいい。」と言うと、畑山さんは、「雨に濡れては」と心配。
私は、駄目になったらまた持ってきてもらったらいい、私が責任を取るから大きい旗を外に張ったらいいと主張、400メートル眼下にみえる支援センターからも見える基地集会所の外に張りました。
新潟の大工の二人の拳士の素早い作業であっという間に!

戻ってきた藤井君は、素晴らしい、こうしたかったのです、本当に良かった。
修行を積んだ藤井君の団旗に対する想いが我らと同じで安心したものです。
成長したものだと感心しました。
私が団長で参加した1990年?鄭州での第一回武術祭に藤井君若かりし頃一緒に行ったことを思い出した。これについてはまたいつか思い出として書きたいと思う。

新潟の拳士2名が職業大工!こうした専門職が被災地には必要!やれることの幅が広がります。

愛知県連盟の佐竹令子副理事長一行も合流し、夕食のおかずをつくって頂いた。
女性ならではの、サラダの盛り付け。

夕食開始の際、藤井君は私に挨拶をしてくれといういう依頼。
私は、「千年に一度の被災、総裁は既に被災地に二度も入られています。
同士相親しみ、相援け、とあるように、支援物資を届けること以上に、心を届けるのだということ、今日ここに来られているということは、心を運んできたのです。開祖なら恐らく全員結集を号令したはず、明日も頑張りましょう。」
藤井君は、今私たちのやっていることは間違いないことですよね!と私に同意を求めた発言!間違いない、開祖が生きていたら当然だと言うだろう。
君がいなければここまでみんなもやれないだろう、自信を持っていい。
たいした奴だと伝えた。

総裁を見てご覧、真っ先に来ている

被災地が安全かどうかを確かめてから来るなどとんでもない。
中には現地に今来ると迷惑だからと言われたからいく必要が無い等と、来る気がないから、被災地に行かない言い訳を考えているようなら少林寺拳法の拳士とは言えない。
千年に一度の被災、安全を確保してからだと、千年後に来るというのか、大変なときだからこそ、こうしてここにいることが少林寺拳法の本物の拳士の行動だ。
被災地に来なければ本当の状況は分からないのだから!
何も見もしないで何も行動を起こしもしないで何が分かるのか!
情けない話だ!
総裁の言うように、何かを探して行動しなければの言葉は現地に行ったから言えることなのではないか
行動の起こさない人は今からでも遅くは無い、まず行動!活動!前進!進化せよ!
使命感を持って行動!

18時21分 柏木博文先生から私の携帯に電話。
新井会長から私の支援物資を受け取りましたと、お礼の電話がありました。いくらかでもお役に立てればこれに越したことはない!よかった!

午後八時にはテントに移動、早々と就寝。

次のメールは、滝川道院副道院長 森義昌拳士からのメールです
合掌
ご無沙汰しております。
陸前高田市における救援活動大変お疲れ様でした。
ブログからその大変さがひしひしと伝わってきました。
現地の悲惨な様相は行った者でないとわからないと思います。
公私ともに救援活動に参加できないことがいまだに残念でなりません。
来週、地元の高校で日本の文化についてレクチャーを行います。
津波の被害に遭った人たちがとった秩序正しい行動、冷静さ、我慢強さは日本の長い歴史から培われた
文化に起因しているということをアメリカの高校生に伝えてきます。
私にできることはこれぐらいですが、救援活動のひとつととらえて拙い英語で頑張りたいと思います。
                                                      結手
                                        
サンアントニオ 5月9日(月)2011年                                                                                    
                                                              森

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