2013年3月18日月曜日

2013年3月17日新潟武専の三

合掌
新潟武専映像です。

乱捕りの稽古は、年齢を問わず常日頃から行うことです。
なるべく多くの人と交流乱捕りをおこなうことで新たな発見、法形の素晴らしさに気付かされることでしょう。
色即是空 空即是色 いつもの色とは違う色の発見をするに違いありません。
その色には自己確立と自他共楽の汗が滲み出ているはずです。

予科 切小手

研究科 合掌丁字

2013年3月17日 新潟武専の二

合掌
新潟人の暖かさに触れた宿縁の一日であった。
映像の内、60歳代の乱捕の映像が時間が長すぎたせいかどうしても映像がアップできません。
まことに残念。
乱捕では基本の稽古のつもりで、手足すべて動かすこと。相手の急所の位置を常に意識して
当身を入れるという意識で動き、とどまることなく、無意識にまで高める。
接近しての高回蹴の稽古(攻守共に)も取り入れてはどうか。

 
乱捕

 
本科 半転身蹴

半転身蹴


 
基本 乱捕り


 
乱捕

乱捕

握返から固めまで

3月15日砂川道院稽古 3月16日17日 新潟武専に派遣 一

合掌
新潟武専に急遽派遣されました。
3月の武専はいわゆる終了式。
学科講義は、これからの社会に金剛禅運動をどう展開するかが主題。
釈尊の教え、凝縮された般若心経を詳説!
知識:自分を中心としてその外側にある、客観的に存在するものを知るのを知識。
智慧:自己そのもの自己に内在する、主観的事実を学ぶのを智慧。
この智慧を中心に説かれたのが般若心の経!
あるようでなく、ないようであるのがこころ。
色即是空 形あるものを空ずる。
空即是色 空じた虚無思想、虚無感を否定するのが空即是色。否定の否定=肯定
否定前の色、二重否定前の色とは同じ色でも空を実感したかしないかで大きな違いがある。
すべての存在の原点は「空」 空を理解できることが「般若」の智慧。最高の真理を認識。

空ずる、己自身の奥深くある自己を求める! 真の自己確立!
苦しんでいる現実の中に幸せを 般若の智慧
苦のままで幸せを!あるがままを受け入れる。
金剛禅運動は、あるがままの世界で、輪廻の間にいる「じんかん」つまり人間としてできる限りのことを、多くのひとと関わりながら幸福感を少しでも分かち合える行動することである。




砂川道院基本稽古乱捕

同上

同上

 
新潟武専 鎮魂行

参禅

2013年3月13日水曜日

2013年3月武専講習会 新渡戸稲造先生

合掌
武専教員研修会に、中野拳士の結婚式があり欠席したことで、武専講習会に教員研修の補講参坐しました。
これは武専教員の研修義務であり新年度の方針を研修する場である。
往路の車中、JR HOKKAIDO車内誌の特集を興味深く読んだ。
未来を生きるサムライ、新渡戸稲造 響き合う武士道と国際交流 
その車内誌の映像を入れてあります。

武専講習会の最も中心となったのは、般若心経の空即是色 色即是空。 
技法的には無我の境 さまたげもなく、とどこおりもなく 自由自在

こうした視点から(般若心経)のとらえ方は、やや遅きに失した感が否めないが実に有意義な展開が期待される。
現代の国法の範囲における宗教法人としての在りかたという観点からして、少なくとも道院を標榜するのであれば、少なくとも釈尊の教えを研究理解し、達磨大師~宗道臣大禅師にいたる歴史的背景を積極的に学ばなければならない。
般若心経について現代研究されていることを少しでも理解されなければ、機構改革の真髄を知ることさえままならず、右往左往せざるを得ない。
鎮魂行において、般若心経も唱和することを提言するものである。

技法、宗教法人の逆小手も財団の逆小手も学校法人の逆小手も皆同じ護身としての(知育・体育・徳育)体育に変わりはないのである。
この体育活動の理念が、少林寺拳法の金剛禅理念の魅力と共に、歴史は浅いが世界中に広まってきたのである。
ただ、般若心経からのアプローチからの技法というものは、少林寺拳法としては当然である。
自然つまり法然である。
空を論ずる釈尊の教えが、世界中の宗教の枠を超えて受け入れられ、同時に少林寺拳法が宗教を越えて受け入れられる事が、「愛民、愛郷の精神に則り、世界の平和と福祉に貢献する。」ことになる。
正思正道の少林寺拳法は毅然として存在しなければならない。

さて、武専教員の自己紹介にコメントを記述を求められた。
私のそのコメントをここに紹介します。いい加減なコメントは武専教員の職責に失礼に当たると考え真面目に記載した。

ひとは「間」に苦しみ「間」を思惟する存在である。「魅力の無いことは無力なり、慈愛の絆をもって人間を愛そう。」 偶然ではない宿縁である今日の出会いを心に刻みたい。

復路の高松空港の書店で、偶然、新渡戸稲造先生アメリカで英語で著した武士道(奈良本辰也先生が20年前に翻訳)を目にした。砂川に到着するまでに読み終えた。

今回の研修参坐は実に有意義なものとなった。
自宅到着は、雪害のために夜半を過ぎた。

 




北海道大会(5月6日開催)申し込み締め切りは、今月15日までですので参加希望者は至急連絡してください。
高校受験。大学受験も略終了、稽古に参坐してください。





2013年3月3日日曜日

2013年3月がスタート 3月2日考試員審判員講習会開催 3月3日北海道武專

合掌
3月に入ったが、春を目前の冬の嵐が襲う。
3月2日千歳空港午後6時以降の発着全て停止。
3月としては珍しい猛吹雪である。
北海道武專の教師が前日北海道に到着できない事態。
朝5時過ぎの便に乗るとのこと。朝にならなければはっきり分からない。
愛知の車田先生が羽田まで到着したとの連絡があった。
3日は北海道風速40メートルの風が吹くとの気象予報を今テレビで見た。
飛行は難しいかもしれない。

 
奥村匠拳士
3月1日砂川道院稽古

                                                          小林幸拳士
                       3月1日砂川道院稽古

3月3日の羽田発の初便で千歳空港に車田先生到着。
車田先生到着までの間の予定行動については私が代行することとして、鎮魂行は私が主坐を務めた。
実は、以前私が東海武専に派遣されたとき、 千歳空港が冬の嵐で発着運行停止状態にあった。
日曜日の武専に間に合うように金曜日に千歳空港に行ったが金曜日は全便欠航。仕方なく千歳空港から砂川に戻り、土曜日に再び千歳空港に行ったがこの日も名古屋にいくことが出来ない状態。しかし、旭川空港から羽田行きの午後8時過ぎの最終便に一席空きがあることを千歳空港で、偶然知り合った羽田から韓国に行こうとした女性二人が教えてくれ、しかもその空席を携帯電話で予約してくれたのである。千歳空港から旭川空港に急遽移動。
千歳空港が全便欠航の気象の際、むしろ内陸にある旭川空港の気象条件が良好のことが多いのである。
午後8時過ぎの便で羽田空港に到着、長女の住む横浜に午後11時過ぎに辿りつき、翌朝6時半の新横浜発名古屋行きの新幹線に乗り無事名古屋に到着し、武専開始時間には十分間に合ったのである。私が来ることができないと思っていたところにたどり着いた私のことを車田先生が覚えていて、ご自身もどうしてでも派遣先の北海道武専に辿りつくという強い意志をもって今到着しましたということを北海道武専の朝礼のときに話されたのがことの顛末である。
責任を果たすために出来る限り手を尽くしたということである。
車田先生の土曜日の東京への移動の際、般若心経を唱えていたという話は北海道武専の学生は理解してくれたものと思う。1月武専の私の講義で、般若心経の般若つまり智慧のことを学習したことで車田先生の行動規範を理解されたことと確信するものである。

私の道院の武専学生の言によると、車田先生の講義は明瞭闊達で非常に聞きやすく興味深いと話していたのを聞いて嬉しく思った。技術においても山﨑理事長の「吸収する和」を見事に体現されたことを目の当たりにした学生は楽しき雛祭りの武専を過ごしたことであろう。

映像は武専終了式、動画は技術確認等のものである。









2013年2月16日土曜日

2013年2月15日北海道も太陽の光が強くなり始めた。砂川の稽古日

合掌
砂川道院の稽古の映像です。軽い乱捕り、法形は小手抜、引胸落、諸手切返抜、巻込小手。
映像にはないが合掌逆小手の研究に力が入った。
結婚式を終えて初めての参坐の中野拳士がやってきた。















2013年2月7日木曜日

キタキツネ物語Ⅱ

合掌

最近の学科の法話において、「直心是道場」をよく話している。「維摩経]のことばである。

釈尊が悟られた菩提樹の下の座を本来の道場を意味する。

道場は釈尊が悟りを得た場であり、環境や建物のことではない。
「こころ」を得る場を道場というのである。

直心は、乱れることのない、すなおな剛柔一体の心である。
うそや偽りのない場所が道場である。
悟りを得ることのできる座である。
釈尊の座において坐禅することが「直心修行」である。

現代では、単にそれぞれの修行の場を道場と称している。
そうした道場で「釈尊のこころ」を忘れた指導者が邪気を発しているのは、単に金メダル如きのようなものを目指すばかりで、本来を失ってしまったためである。
金メダルがすべて金の流れにつながっていたり、あろうことか、政治家への近道のような札に成り下がっているような現状にクーベルタン男爵も呆れ果てていることであろう。

自分の心を鎮めるのを忘れて、他に無理を求める限り、どこにも「道場」はないのである。

最近、上砂川温泉の奥の山に行ったときの、キタキツネの映像である。
北海道の街中のひとにとっては、有害獣であるのだろうが冬の山中必死で生きている。

この山中にも実は、オジロ鷲が飛来している。私の数メートル上を悠々と飛来して行った。
実に美しい飛翔であった。残念ながら私の眼に焼きついただけである。

キタキツネの映像は撮れた。珍しいのは、餌を自分で雪を掘って埋め隠す様子がとらえられた。








合掌再拝 池上治男