2013年2月7日木曜日

キタキツネ物語Ⅱ

合掌

最近の学科の法話において、「直心是道場」をよく話している。「維摩経]のことばである。

釈尊が悟られた菩提樹の下の座を本来の道場を意味する。

道場は釈尊が悟りを得た場であり、環境や建物のことではない。
「こころ」を得る場を道場というのである。

直心は、乱れることのない、すなおな剛柔一体の心である。
うそや偽りのない場所が道場である。
悟りを得ることのできる座である。
釈尊の座において坐禅することが「直心修行」である。

現代では、単にそれぞれの修行の場を道場と称している。
そうした道場で「釈尊のこころ」を忘れた指導者が邪気を発しているのは、単に金メダル如きのようなものを目指すばかりで、本来を失ってしまったためである。
金メダルがすべて金の流れにつながっていたり、あろうことか、政治家への近道のような札に成り下がっているような現状にクーベルタン男爵も呆れ果てていることであろう。

自分の心を鎮めるのを忘れて、他に無理を求める限り、どこにも「道場」はないのである。

最近、上砂川温泉の奥の山に行ったときの、キタキツネの映像である。
北海道の街中のひとにとっては、有害獣であるのだろうが冬の山中必死で生きている。

この山中にも実は、オジロ鷲が飛来している。私の数メートル上を悠々と飛来して行った。
実に美しい飛翔であった。残念ながら私の眼に焼きついただけである。

キタキツネの映像は撮れた。珍しいのは、餌を自分で雪を掘って埋め隠す様子がとらえられた。








合掌再拝 池上治男

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