2012年4月15日日曜日

4月北海道武専 北朝鮮のミサイル 5月昇格試験に3名挑戦

合掌
4月8日の北海道武専で研究科4年を担当した。乱捕りにおいては相手の攻撃を引き込む受けを指導した。受けることが弾くことだけに血眼になる傾向があるがそれだけでは明らかに不充分である。つまり、護身として不充分である事を指導したのである。
燕返において、攻者の攻撃を弾くだけの守者の反応だけでは攻者の攻撃つまり逆突から守者の受け手を龍の如く巻き込まれる。
守者が守者でなく攻者に引きづり込まれることになるやも知れないのである。
少林寺拳法の拳士が陥りやすいことに法形の守者の受けは万全であると安心する傾向が強いのである。攻者の馴れ合い的な弱い力で攻撃しているだけで、攻者としての立場での攻撃を完全なものであると思い込むことが知らず知らずの内にいい加減な組手主体(?)の稽古になっている恐れがあるのである。

有段者であれば容易だと思い込んでいる引き抜きを例に挙げると、相手の手にただ掴まる程度の攻者の攻撃では引抜をする意味が無いのである。
引き抜きの技術は、腕逆捕りを強烈な力で攻撃してくるからこそ効果のある技術なのであるから、普段の稽古の際できる限りの腕力で攻撃してもらう事が肝要である。

研究科4年の当日の科目に圧法の玉骨攻についての詳細を説明した。普段あまりやらないものであり学生は苦心していたようだ。野坂理事長はこの圧法に大変な反応を示したのである。
また、甲斐先生を交え三角固めを色々な観点から研究したのである。
なかなか普段使うものではないので、母指丘を足で踏みつける方法を示したのであるが難しいものであった。

剛法の際、よく攻者の初撃を後ろ足を安易に後方へ下げすぎることで上段順突き中段順突きと来るのが、順突き、逆蹴りになることを説明したのであるが、どうしても天地拳の基本の意味を理解していない事から安易に後ろ足を後方に下げる傾向にある。つまり、連受けを理解されないままに時を過ごす拳士が多くいることとなる。

北朝鮮のミサイル発射であるが予想通り失敗に終わった。
飢餓の中、高額な発射をする政治状況は自らの国内の改革や、指導者の質すべて質であることを理解しない軍事小国に振り回されることがない国際状況を構築しなければならない。
明確な外交をすべきであるのに、張子の虎を相手にすることを再考しなければならない。
軍人だらけの国家の歴史は歴史が証明している。
それにしても、発射から着弾時間を過ぎても情報を開示できない今の政府の体たらくはどうしたものか。余りにもお粗末で政府は全くアテにならない。
自衛隊の動きは同盟国との密接な情報に基づき判断を委ねる法整備をしなければならないことが今回の危機管理体制のいい加減さではっきりしたのではないか。

自公政権の時代から民主政権に替わった意味は何なのか、防衛副大臣の今回の民法番組での言い訳を聞くにつけ、国民自ら防衛しなければならぬと感じたのは私だけではあるまい。
国家の防衛担当大臣が民法放送の三面番組に出演してのコメントを述べる体たらくを恥ずかしいと思わないのであろうか。
日本民族は恥とは何かを常に心に置いておかなければならぬのである。
武士の世であればどうであろうか。

5月13日の昇格試験に滝川道院から村谷満拳士(63歳)、砂川道院から早坂愛莉拳士(12歳)竹房薫稀拳士(12歳)が初段に挑むことになった。
稽古に励む毎日である。
剛法の一貫した稽古を基本として柔法を理論立てて稽古することで一気に技術水準があがるのである。

4月21日22日は福島武専に出張する。21日の滝川クラブの午前中の稽古終了後に福島に向う。入学式であるのでどんな状況か楽しみである。

4月28日29日には学生合宿のため、新井会長が深川市青年センターに来られることになっている。
28日には滝川の松尾ジンギスカンで会食する予定である。確か二度目になる。
川島部長が立会い法の指導が行われるので、審判員資格のある者は参加できる事になっている。

各学校が始まり少林寺拳法部の新入部員数が増加している事を期待している。

砂川高校は、早坂拳士が協力してくれるものと小林拳士もきたいすることになるであろう。また、小林拳士は来年札幌学院大学受験するのであるから受験勉強或いは学校推薦を得られるように普段から学業を大事にしてもらいたい。

中学生大会北海道予選会は5月であるので参加希望者は早めの手続きをしたらよいであろう。

早坂、竹房拳士も中学生大会予選会に出場してはどうか。

合掌 池上治男

2012年4月7日土曜日

北海道武専4月8日 高橋北海道知事の瓦礫対応

合掌
4月7日滝川クラブの稽古に留萌から小山拳士参加。
春の雪解けと共に留萌峠の車の往来もいくらか良くなって来たので稽古に来る事ができるようになった。
昨日の砂川クラブの稽古には岩見沢から大月拳士が私と変わりなく6時40分(鎮魂行開始19時)には砂川海洋センター玄関で一緒になった。
高速道路も雪がない状態になり早く来ることができるからである。
しかし、それ以上に飽くなき技への執念である。逆小手系統の理論研究に非常に熱心なのである。
今日の滝川クラブの稽古には旭川から松林拳士が参坐した。
旭川南高校から旭川鷹栖高校へ4月から移動になったとのこと。
教員はこの移動がありなかなか大変である。
しかし、ものは考えようで少林寺拳法の普及には良い事なのかも知れない。
ただ、それには当人が少林寺拳法への思いが強いことが何より必要である。

5月の昇格試験に滝川道院の一般の村谷拳士、砂川道院の小学生の部で早坂拳士、竹房拳士が初段准拳士の挑戦する。
稽古を見ているとかなり良くなってきているようだ。
しかし、残りの期間を道場のみならず自宅においても十分稽古を積むようにしてもらいたい。
今までの歴史で全員が合格しているのでその歴史を継続してもらいたい。
その為に仲間である皆の協力を期待している。
本人たちにとって試練の春である。

さて、それぞれの春が始まった。
少林寺拳法のクラブ或いは同好会への参加勧誘が一段と強まる季節である。

今日午後6時から北海道少林寺拳法連盟の総会、北海道教区の総会がかでる2.7で開催される。この後、会場に出る予定である。

また、明日は武専の入学式である。
小山拳士が入学であり、武専初お目見えとなる。本人は緊張の面持ちであった。

それぞれの春が始まるのであるが、それぞれの立場でそれぞれの思いで進む一年になることを期待するものである。

特に、拳士の減少が続く中、仲間作りに力を貸して頂きたいものだ。
運動体は仲間が多く集まって機能するのである。

瓦礫の処理について北海道の高橋知事は積極的に協力すると表明された。
当然である。
北海道知事まで瓦礫処理を断るような事があれば、我道産子の立場はない。知事の協力要請に各自治体は積極的に何ができるのか何を成すべきなのかを真剣に考えてもらいたいものである。

日本人としての誇りと勇気を内外に示すことが、国際的信頼を継続的に持ち続ける事が出来るのである。
狭い国土の日本において手を取り合う絆とは何かと問われる一年となる。

合掌再拝 池上治男

2012年4月4日水曜日

岩倉苫小牧市長、上田札幌市長の瓦礫に対する対応

合掌
北海道の岩倉苫小牧市長が、自治体の市長で初めて瓦礫受け入れの方向で自ら宮古市に赴き放射線量を調査している。
他方、国政与党である札幌の上田市長は瓦礫の受け入れ拒否を早々と発表した。
つまり、北海道の大都市に被曝の疑いのある瓦礫を受け入れる事は札幌にとって損失が大であるという判断に拠るものである。

この被災は日本国全体で捉えなければならない問題であるはずなのに拒否の姿勢を示したのである。
国の指針で示した基準では到底納得できないということである。しかもその事を文章で表現し国に提出するのである。

放射線量に関することが殆ど自ら調査せずにこうした拒否と決定する真意が理解できない。札幌市の決定は他の北海道の自治体に与える影響が非常に大である。

日本人として全く持って情けない話である。
狭い国土である日本国はどの地域も協力しなければいけないのであり、一部だけ守っても詮方ないことである。

被災地のひとから見ると、自分さえ良ければいいという自治体の決定は面倒なものを避けるといことにしか理解されないであろう。
いつの日か、札幌市があのような被災に遭い、瓦礫だらけであったとしてそれを札幌市だけで処理できるとはよもや思うまい。

「日本人として祖国日本を愛し日本民族の福祉を改善する。」ということは見て見ぬ振りをするということではない。
北海道の大地は他の地域に比較し広大であり、こうしたときにこそ、その役割を果たすべきである。
勿論私は海に生きた人間であり、北海道の自然を愛し、美しい大地を汚すことを望むものではない。
しかし、瓦礫処理くらいは率先して協力すべきである。

東北・北海道の信頼を失う自治体の長の愚かな判断は、美しい自然を失うこと以上に、札幌市民、北海道民の心を失うことになる。

愚かな対応の結果起きた原発の爆発によって既に多くの地域が被曝したことは明白であり、事後の処理において北海道だけが免れるなどという事は有り得ないし、今後もそうした危惧はぬぐえない。

東北の被災地の皆さんには、札幌市の今回の瓦礫処理拒否の決定は誠に申し訳なく思うというのは私の率直な思いである。

合掌 池上治男

2012年4月2日月曜日

茨城武専感想文

合掌
暫く風邪の影響で体調がやや崩れた。かなり忙殺の3月だったせいもある。

茨城武専の感想文が送付されました。
1指導者論 4実技について

予科1年
これからの社会に金剛禅運動をどう展開するか
鎮魂行の有り方を教えて頂き、今後生かしていきたいと思います。また行動しなければ何も変わらないという言葉を常に思い、動きたいと思います。

砂川道院(北海道)池上治男先生
紅卍拳の要点を教えて頂き、今後注意しながら練習に励んでいきたいと思います。

予科1年
先生と鎮魂の約束をしました。
実は朝と夕方のストレッチの間にしています。今後は意味を考えながらもしたいと思います。

漠然とした練習(修行)しかしていなく基本練習とはいえ、ついていくのがやっとでした。瞬時の判断を考え練習したいと思い知りました。

予科1年
必要なときに役に立てるよう、行動できる指導者になるには いろいろと考えさせられる内容であった。

予科2年
鎮魂行を毎日行うことも。
拳士は何かあったら真っ先に体験体感することが大切。
具体的に行動することが大切。

何事もシンケンで引き込む力を感じます。有難うございました。

本科1年
歩き金剛禅、走り金剛禅などでもよい。毎日金剛禅をやるべき。被災地へ言ったかどうか?行動が非常に大事、机上の議論ばかりではダメ。武専コースは、リーダーを育てるものである。技を教えるのが主ではない。茨城県連のホームページ3枚目に池上先生が登場している。

被災地支援の具体的な話は迫力があった。
私も昨年の5月1ヶ月程仕事で設備の復旧に行ったが、改めて行動することは大事だと思う。

本科1年
鎮魂行とは何か、金剛禅運動をどう展開するか。必要な時に動けるか指導者として動けるか行動しなければ何も変わらないということを感じた。


本科2年
金剛禅という難しい事を具体例を挙げていただきました。信徒として実践していきたいと思います。

高等科2年
金剛禅運動とは必要な時にリーダーシップを発揮できる人間をつくることであり、一人一人の質が重要であり、自ら行動できる人間をつくることが必要である。

基本的な技をしっかり教えてもらいました。

研究科2年
何かが伝わってくる力強い講義であった。

法形のキレの良さと足運びが参考になった。

研究科2年
一人一人の質が問われる→どう行動するか?
自らが行動し、体感し、発信(変えて)いく
勇気行動力を身に付けていく

運用法の時、顔をよける。先の先を意識
後三枚の時の足の位置(戻す位置)気を付ける。

研究科2年
まず、鎮魂行を毎朝行うこと、金剛禅の門信徒として何をなすべきか。頭でなく行動する、具体的に行動できるところに身を置く。
行動しなければ何もならない、実践して行きたいと思いました。

基本 蹴り(前、蹴り)、足刀蹴、紅卍拳
法形は左右どちらからもできるようにしないといけない。

研究科2年
行動に移さなければ何の価値もないことを改めて痛感しました。

基本の足刀蹴、膝を上げて鶴足立になって蹴る、紅卍拳、顔面をキチンとかわす事など参考になりました。

研究科3年
開祖がその場にいたら何と号令するか、我々はどう動くか。

片手投も逆小手のようにアソビをとる。
天王拳は相手の中段突と同時に蹴る。

研究科4年
震災、自衛隊の話から、ひとりひとりの金剛禅運動、行動すべきという話に心を打たれました。今日で研究科卒業ですが、自分にできることを道場、小教区、審判からまず返していきたい。

送付された感想文はこれだけであり、参坐拳士数からみて未提出者がいるように思える。参坐拳士に道院長が多かったせいもあるやもしれず。
武専学生の減少が思いやられる。

桜田門外の変の映画をテレビで見たが、私はあまりこのことの知識がなかったので、先に茨城武専に行った際、岡田広参議院議員からお聞きした有村仁左衛門が井伊直弼の首をとったのをあらためて知った。
水戸藩士ではない薩摩藩士の有村仁左衛門が水戸では高く評価されているという話の根拠がわかったような気がする。
1868年の明治維新を挟んでの、尊皇攘夷にまつわる変遷は「勝てば官軍」の内乱であった。
刀で切り合う最期の武士の変が「桜田門外の変」と言えるのかもしれない。
日本の戦闘史の中で、水戸藩と薩摩藩の歴史の一部をこの映画で知った。種々の歴史的判断があるのであろうが、興味深いものであった。
そうした、歴史的人物の子孫が国会で活躍する背景にも先祖への強い思いがあるのかもしれない。
特に明治維新前後に登場したひとの子孫は現在に至ってもその強いDNAに左右されているのかもしれない。

3月30日に稲津参議院議員が久し振りに道場に顔を見せてくれた。
初めて私の家族、近所の人たちにも会われて帰られた。
帰る際に、茨城の岡田広議員に宜しくお伝えくださいと伝えた。
稲津議員も元気そうで何よりだ。

大震災により首都移転が必要となってきているにあたり、北海道は北欧圏に向かい大事な日本国の砦であり、国際的な政治圏を立地する事などを考える必要があるだろう。

札幌と旭川間は冬期の影響を受けない地下鉄構想を展開したらよいのではないか。つくづく大変なこの冬であった。

今外は雪である。
春はまだ遠いようだ。

合掌再拝 池上