2012年3月21日水曜日

2012年3月18日特別昇格試験3月20日茨城武専

合掌
3月18日の特別昇格試験は、従来の試験方式最期であり、多くの受験者が本山に集まった。
北海道からも数名受験に来ていた。
私の弟子であると称して7段を札幌で私が口述試験を担当し受験した札幌平和の斉藤道院長の門下生が3人。まず、受験に不合格などありえない3人である。
鈴木仁君は今本部勤務しているが、鈴木君、斉藤君二人は砂川道院で略同期である等、長く少林寺拳法の世界にとどまってくれたから今日の特別昇格試験につながったと訳の分からぬ話で雑談。

担当試験官が、千葉の萩原先生、青森の原先生であると知った。
3人ともよき先生に当たったものだ。

萩原先生から函館大学の少林寺拳法部が廃部になると知らされ大変残念であると言われていた。
私も函館大学の部員数が少なくなっていることは知っていたが、廃部に及ぶとは全く予想していなかった。
特待生制度がなくなったことも要因ではないかと萩原先生には伝えたのだが、定かなことは分からない。
函館大学OBのつい先日25歳で亡くなった本間拳士のことが頭をよぎった。廃部は残念なことである。
北海道の大学が全日本学生大会で活躍した時の、函館大学は中心的存在であり、紛れもない大きな力であっただけに大変残念である。

上富良野の青木道院長も准範士允可で来ていた。
彼は浄土宗の住職の立場で、お彼岸の忙しい中の帰山である。暫く来ていなかったので良い機会であると言っていた。准範士の允可の額は開祖生誕100年を記念したものとのこと。
そうした記念のものは、拳士等しく嬉しいものだ。

茨城武専だが、久し振りの当地への訪問である。ピンチヒッターの派遣である。いつものように志村武専担当者から電話が来る。彼から電話があると大体どこかへの出張となる。

茨城武専と聞いて、東日本震災関連がどうなっているかを知るためにインターネットで確認してみたところ、茨城県連が行動している陸前高田への活動が詳細に紹介されていた。
その中で最初に開示されていた3枚目の写真にどうも見た事がある人物に気付いた。それは私が作業している姿であった。
緑色の上下、青いゴム手袋、釘の踏み抜きを防御している白い長靴、白のヘルメット姿である。
北見道院の宮末道院長と連休にかけて陸前高田での活動である。

北海道少林寺拳法連盟の被災地訪問の写真は、かなり後から入った野坂理事長等の写真であるが、よもや、私たちが茨城県連の活動のところに掲載された中に映っているとは思っても見なかった。
茨城県も被災された中、更にひどい被害の陸前高田に継続して活動していることに心から敬意を表する次第である。
こうした活動は、種々の事情で現地に入る困難はあるだろうが、1000年に一度の時である。
一度はテレビ画面ではなく、自分の目つまり脳でみることが必要ではないか。

先の特別昇格試験の口述試験でも、金剛禅運動の主体的な活動と言葉では安易に言うが、実際にその具体的活動の中で被災地にという事をどう考えるのかを問うてみた。
私が担当した受験者には一人も被災地へ行き活動しているものは一人もいなかった。遠隔地或いは仕事の関係などが理由であるのだが。
But they promised to go there to act something as kenshi of shorinjikempo.

宗道臣先生なら拳士全員を招集したのではないだろうか。
道院長たる指導者がいち早く駆けつけるようでなければならないと思うのは私の勝手な思いであろうか。偉そうに言うのは慮るのであるが敢えて記述した。

色々な事情で現地に行く事ができなくとも何かの形で被災地に思いを寄せる拳士であってほしい。

茨城武専は、3月20日(春分の日)に開講であったが、被災地でいち早く活動されていた先生に再会することができた。
鎮魂行は武専学生が主坐を務めた。礼拝詞は省略された。
落ち着いた鎮魂行であり、終了式に相応しいときを共有する事ができた。
このことを、講義の際に本人に直接伝えた。
県立武道館であり、柔道剣道の神棚に対する礼式が成されているとすれば、私たちの鎮魂行にあっても礼拝詞の省略をしなくても良いのではないかと思うのだが。
多くの地域では省略されていない、北海道の武専でも省略をしてはいない。

講義は、被災地における活動を通して拳士の行動はどうあるべきかについて伝えた。自衛隊員の過酷な救援活動、遺体搬送等についてにも及んだ。いわゆる、使命感についてである。
使命感のない少林寺拳法の金剛禅運動は開祖宗道臣先生が求めたものではない。
千年に一度のこの大災害を、言葉ではさも心配しているかのように言うが、実際にはまるでひとごとのようにしか考える事のできない少林寺拳法の拳士或いは指導者然としている人間には心から信奉する事もないだろうし、だれもついて行くことなどありはしないであろう。
信頼を失ってしまう、或いは既に信頼関係はなくなっているのではないか。
何を最優先にしなけければならないかを問われているのである。

「半ばは自己のために、半ばは他人のために」ということを、自分のことの半分を他人のためにやることだ等と、安易に言葉を唱えるだけで、カン違いしてはいないか今一度再考されなければならない。

終了式には、茨城県連盟の幡谷公朗会長、来賓として岡田広参議院議員がご臨席された。幡谷会長は水戸の名家であり多くの企業を経営されているとのこと。また、岡田議員と有村治子参議院議員の話になったとき、桜田門外の変のとき、水戸藩と薩摩藩が井伊直弼の暗殺(?)天誅の際、薩摩藩がその計画から外れた際、ただ一人有村薩摩藩士がそのことに異を唱え薩摩藩を脱藩した心根の座った人物であった。水戸藩では評判のいい侍であったことを伺った。その子孫が有村治子参議院議員であると伺った。

岡田先生は終了式の挨拶のなかで、元気の元にカンムリを乗せると完全の完になる。元気でなければ完全ではないという例えの話をされて拳士を鼓舞された。
研究科修了生はただ一人だけであったが、厳かなよい終了式であった。
私からも激励と感謝のことばを添えた。

合掌再拝 池上治男

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