合掌
秋の空は、筋雲も美しい冷涼たる空気に満ちている。
北海道の最も刺激的な季節の変化が齎す美しさは例えようもない。
浦臼連山のピンネシリ、それに北西に背景として暑寒別の山並みが
くっきりと映える季節がやって来ました。
早朝の気温は10度を下回るあっという間の季節の変化。
9月の武専は、埼玉熊谷の菊地先生が本部派遣教師として見えられた。
3年ほど前に初めて北海道武専に派遣されたとのことをお聞きした。
どうも、私はその時の記憶がなかったので私も行事が重なったのではないかと思われる。
10月は私の武専の派遣先は埼玉である。
互恵関係の派遣か!
埼玉武専は私も以前一度行かせていただいたのだが、少林寺拳法の先進の地といっても過言ではない。
幸手の小坂先生も今や幽明境を異にしている。
若くしてと言いたいが、彼は彼の自己を全うしたのであり、よき人生であったのは言うまでもない。私の弟のような存在であった。
菊地先生は、技術確認の際、どうもその指導にあたる担当者の技術に難癖をつけるようで気がひけると言われた。
北海道の拳士にとっては、道院長、幹部拳士に関わらず謙虚に技術を確認したいのであり、決して批判を受ける感覚はないのでご心配の向きは気になされなくても良いのだが。
修行とはそうしたものなので、
技術確認等の際、決して指導者だからといって勘違いをゆめゆめなされるな。
私は、武専研究院を担当した。
袖口捕、送閂小手、上膊捕の掛手の理論を断じた。
同じ理論手法が成されなければ無意味であることを、体感させるように指導した。
どうも、まだまだ、研究の域を脱する心識の修行が不足かなと思われる。
まだまだ始まったばかりなので仕様がないのだが。
この中から早く全国を巡回できる技量、心力を身につけてもらいたいものだ。
ただ、
今の研究院の学生は誰一人として弱音を吐くような輩は一人もいないことが頼もしい限りである。
武専研究院に菊池先生が来られたとき、お任せし、しばし、予科の方に顔を出してみた。一人の拳士が送小手を掛けて欲しいとの希望あり。
指導したのだが、やはり予科の拳士にとっては難しいもののようである。
しかし、将来が楽しみである。旭川北の拳士であったか!いつものやり方とは違うという感覚を得てくれたなら嬉しいのだが。
倉本先生の思い出。
昔のことはなかなか思い出すのがだんだん難しい。
最近、「北の国から」が、何十年ぶりでBSで再放送されているのをみて、思い出の振り返りを試みているのだが。
25日のクリスマスの夜、砂川の道場で、「昨日、悲し別で」のドラマ作りのための取材のような話であった。
砂川を中心に滝川。そして上砂川、歌志内、赤平、芦別の広域を悲別のひとつのまちとしてドラマが展開する。
北の国からのドラマの合間に炭鉱町を舞台にしたドラマであることは明白だった。
私もロケハンのお手伝いをすることとなった。日本テレビのロケハン担当者と打ち合わせをして、希望の地を紹介し案内したもので、そのドラマの撮影が始まってから、現場に直接行って撮影を目の当たりにした。
晴見の道場の前にも、ドラマの主役三人、天宮良、梨本謙二郎、布施博の三人が集まった。三人ともこの作品がデビューの作品であったようだ。
長男の航洋はまだ小さいときで天宮君に抱っこされた写真が残っている。
砂川市内のロケが一番多かったようだ。
砂川駅、砂川駅前の喫茶店、砂川駅のモーテルの前、東晴見の農村勤労センター前、吉野の橋の上。それぞれの場所で、大滝秀治、五月みどり、斉藤恵子それから、、、名前が思い出せない。西田敏行の釣り馬鹿の最初の奥さん役の女優。そのうち思い出すだろう。
ドラマの撮影時の思い出は次の機会に。
さて、3日前、歩行禅の途中、雌鹿親子発見しました。同じ場所で食餌をしているのを確認しました。子鹿物語は続いています。
そして、雌鹿3頭を昨日発見しました。これは、墓地のそばのそば畑と林の端のところでの発見。先日交通事故にあったのはこの家族の一員であることは場所の関係からして間違いないようです。
ビデオ撮影をしてあります。機会があればお見せしましょう。
パンケ歌志内川で、一昨日
カワアイサの雌6羽発見しました。
そして今朝5時半頃、いつも出くわすキタキツネの映像も撮りました。
自宅周辺は、いわゆる野生の宝庫のようです。
先週の土曜日の滝川クラブの稽古の際、留萌の自衛官が転籍したいとのことで訪ねて来ました。
10年ぶりの復帰とのことです。
この日の内に本部と連絡を取り、転籍手続きを済ませました。
1982年生まれの小山拳士、少拳士弐段、新潟出身とのことです。
挨拶では、みなの前で開祖の話をした本格的な拳士ではないかと楽しみであります。
留萌から通うとのことで、早速拳法着、二重胴を購入するとのことを嬉しそうに電話で話していました。
将来、こうした拳士の活躍で留萌にも道場ができれば良いのですが。
少林寺拳法を継続していくのはひとりひとりの心識のことであり、それが強いか弱いかは個々人のことである。
よく仕事が忙しい、何かがあってどうも等というのは、単に自分に対する言い訳であり、真に忙殺されるが如くの他者に対しては全くもって恥ずかしいことであろう。
開祖の思いを今に生かそうとして、修行再開する拳士にとって、自己の存在を確認できる時間をつくることになる。
「自分と自己」は全く異なる。
自己を単に自分のことであるという認識は変えてもらわなければならない。
自己確立の道は今をどう生きるかによって全く異なるのである。
人生はひとりひとりのものであり、後悔しない人生を送ることで、
自身・身体を取り巻く環境に
自己の心識をつくりだすことになるであろう。
ひとは生まれて生きて死んでゆくだけである。
しかし、今の世の中生まれて、
苦しんで、死んでゆくことの多いことよ。
経済的要求の成功を願う人生では、
「真の豊かな人生」を全うすることはかなうまい。
釈迦の仏法
絶対事実
絶対事実の1 我思う故に我あり。
絶対事実の2 思う我は死ぬ。
絶対事実の3 湧出事実
生きていく中で湧出するものを解き放つのが修行であり、仏法そのものである。
自己の意味は、ただ単に自分のこと、自分の身体のことではない。
自己が自己を自己するのが禅の本質である。
参禅するとは、坐禅に参ったをすることである。
坐禅をして悟る等という誤った参禅は全くもって意味もない。
ただ、坐禅をするのみであり、本尊はその坐禅の姿そのもの、そのまま。
偶像崇拝は、釈迦の説かれた仏教ではないことを銘記されたい。
合掌再拝 池上治男
稽古情報
23日金曜日は祭日ですが、旭川南から生徒を連れて出稽古に
来ると電話がありました。
やりましょう!
19時ではなくて、18時半より稽古開始します。
稽古に来れる拳士はふるってどうぞ!
自主的稽古は可能。
24日土曜日は道院長は稽古09:30~11;00
道院長が本部に出張のため、少し早めに新千歳空港に向かいます。
25日日曜日 四国多度津の本部にて特別昇格試験の考試員を担当