2013年6月25日火曜日

2013年6月23日 釧路武専 鎮魂行の意義 魅力あるこころを求めて!

合掌

久し振りの釧路武専である。野坂理事長担当月だったが、本部において評議員委員会開催のために急遽代理と務めた。
中標津高校少林寺拳法部、滝川高校少林寺拳法部が聴講生として参坐。

鎮魂行は実にみごとに、奥深いこころに響くものであった。坐禅においても「空」を醸し出した時であった。

矢部道院長も仕事のついでと称し参坐してくれた。思うに私の知る限り二度目の道東武専参坐である。まことに喜ばしい。
札幌地区の拳士にも大いに参坐してもらいたいものだ。

22日前日、砂川をから狩勝峠の中腹から、トムラウシ方面岩松変電所、本別、白糠、釧路西港岸壁から幣舞橋へと約6時間を駆けて16時にホテルパコに到着。

幣舞橋には、本郷新、佐藤忠良の作品が置かれている。23日午前7時半に対面した。

鎮魂行の意義については、釈尊の説かれた仏教を高校生にも分かるように噛み砕いて講義した。

心とこころの違い。自己確立は、こころの求道であることを理解できたなら講義は意義を持つ。

鎮魂行のときの拳士の姿は、観音菩薩そのものだったと言えるほど良き「とき」を得た。
人生と世間の「じんかん」にいる我々人間の存在意義についても思惟する場を得たのではないか。

基本稽古において、流水蹴を中心に足位等ベクトルを通し重心、バランスを具体的に指導した。
指導者は、理論を持たず或いはその知識不足であっては、知恵もでず、指導しても与えるものは極少ないことを認識すべきであり、己の稽古不足、研究不足を反省すべきである。

次の動画は、武専最後時間に演武してもらった。稽古時間5分間ぶっつけ本番である。
演武でも乱捕でも、巧くやろうとする傾向にあるが、まずいつでもどこでもやってみること、見てもらうこと。それがいいのだ!
急遽の演武依頼に快く応じてくれた拳士に拍手!

合掌再拝 池上治男    魅力の無い自己は無力なり!絆を持って人間を愛そう!

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿