2012年10月11日木曜日

秋の季節、人里に現れる羆 2012 10月10日砂川クラブの稽古

合掌

2012年10月9日午前9時17分上砂川町の羆対策本部から私の携帯に電話があった。3日前から東鶉の人家に頻繁に羆が来ているとの電話であった。砂川の猟友会の事務局長に電話をしても電話に出ないとのことで、思い余り私に出動要請があった。
上砂川町の猟友会員は2名だけであり、事何かあったのでは対応できないために砂川猟友会に救援を依頼されていたのである。その一人が私。
今まさに熊が歩いているとのことだったので、すぐ駆けつけたのである。
自宅から10分もしないうちに現場に到着したところ、砂川警察署の警察官、上砂川町職員が山のほうを見て羆の行方を捜しているところであった。警察官から状況を聴き私も捜索を始めた。羆は3日ほど前から現れ、山の麓のコンポストをそのまま持ち去り、またジンギスカンをした後の残りも持ち去ったとのことであった。

砂川の猟友会のベテランの藤井録郎事務局長が到着し、追い払うための花火を仕掛けに山道を20メートルほど行ったので、私もその後を追った。すぐ追ったのは、銃を持たずに一人では非常に危険だからである。
山道の途中、羆がマーキングしたと思われる跡、羆のとうもろこしの混じった糞を発見したのである。マーキングとは、木の枝を粉々に砕くような行動である。羆の匂いと、柔らかい糞が生々しく残されていたのである。山道には、団栗や栗がたくさん落ちていたのである。この場所はその羆にとって実に快適な縄張りであったようだ。知床の番屋の母子羆のように人と共生していると思えば羆も人を襲う事は無いのだが、そこに生活している人々にとってはそんな事が考えられない事であろう。

羆の夏は最も餌の少ない季節である
春のさくらんぼを食べに来ていた熊たちは、今まさに秋の豊穣の季節を迎えるのである。
親離れした羆の子供たちはついつい人里に出て来て、人の残した食べ物をおいしい自分のものとして確保することとなるのである。
朝早く散歩する人たちと遭遇して、人間界は大騒ぎとなるのが実態である。

狩猟をする人たちの多くは、羆を殺すことを良しとしないと私は感じているのだが、一般のひとたちは狩猟をするひと誰でもが、何でも撃ちたがると誤解しているようだ。
有害駆除は、ボランテイア活動であり、猟友会会員の義務ではないことを知ってもらいたいものである。

花火を仕掛け終わったときに、山道の斜め下の方で笹薮が動く物音を私は聞いたのであった。
「まだ、いる」と私が事務局長に伝え、山道を下ったのである。
民家のある道路に出てから羆の物音のした方に追い払うための花火を仕掛けようと道路を歩いていたその時、パトカーの拡声器から、「羆がいました、今パトカーの後方の山すそにいます。」と非常に大きな興奮した声が聞こえたのである。
この警察官が発見したのであるがその発見が今回の功績と言えば町民の安全の観点から最も大きな功績であると言える。(そのことは、後で駆けつけた砂川署の生活安全化の署員に伝えた。)

そこで私はすぐにその方向に行ったところ、羆の姿を林の暗い中黒い姿を確認したのである。
町の職員、警察官、見に来ていた町民がその行方を見守ったのである。

その羆の行く方向を私も追ったのである。

土曜日の新聞に、その時の様子が載ったようだ。

羆の出没が続いていた中、上砂川中学校から300メートルの山中で、警邏中の警察官と猟友会の会員に雄の羆が発見され駆除されたと。
羆の写真も無くただ短い記事が掲載されただけである。(写真など掲載する必要はないのである。)

これが火曜日砂川道院の稽古日の午前中の羆騒動である。
9月の砂川の羆騒動、9月10月の上砂川の羆騒動はこうして幕を閉じたのだと言いたいところだが、実は砂川の山中では羆が鹿を一頭持ち去ったことが分かっているのでまだ騒動は続く事になる。

10月10日の砂川クラブの稽古の映像です。
酒井克彦拳士(左)に指導を受ける宮本拳士(右 滝川西高等学校1年)

最近の稽古は11月の昇格試験に向けての稽古が主となっている。
勿論、少年部は実戦的動きを主として、後ろ回し蹴りを指導したが、映像は無いのが残念である。

合掌再拝 池上治男




0 件のコメント:

コメントを投稿