2011年8月22日月曜日

2011年夏も終わり、清清しい秋がやって来た。倉本聡先生との思い出

合掌
10月の埼玉武専出張に関して、埼玉武専の担当者と電話連絡し日程について問い合わせた。
10月は私の弟が亡くなり、3回忌になる。私の母を伴い横浜の弟の墓前に参ることにしている。人の死は早いもので、特に身内親族ともなれば尚のことだ。
周りを見渡すと癌の再発やら、彼がもう大分ひどいようだとかの様子があちらこちらから知らされる。

先週の19日の金曜日の砂川クラブの稽古に京都の高津拳士(姉)が参加し夏休みの北海道最後の稽古だった。みんなから又来年もおいでよと誘われていた。最後に竹房拳士と演武を行った。思い出になればいい。

今年の夏の花火は、日本人にとって特別な思いで見たのではないだろうか?
今生きている人が今その瞬間を刹那を見るのが花火。
人の心識が織り成すこころの変化はただそのひとのものであり、座禅の境地に通じるものがあるのかもしれない。
座禅は何のためにもだれのためにもするものではなく、ただ座禅するものである。
ただ自己を生きる、己を生きる、そして命を終える絶対事実を花火の刹那に見出すから心識もひとりひとりのものなのである。

土曜日のテレビに久しぶりに倉本先生を見た
富良野塾の思い出とその塾生の卒業後の変化についてであった。
震災に対する先生の思いやら、怒りを語るものであったように受け止めた。
原発の不要を言いたかったのだろうが、電気製品の不要、物をすぐに捨てる等に関して、北の国の黒板五郎に重ね合わせた内容であった。
田中邦衛の北の国からの演技に今も通じることをメッセージとして伝えてあったのだと言っているようだった。これは再放送があると思われるので、機会があれば見ておいてもいいだろう。

昭和58年12月25日クリスマスの冬の夜、倉本先生が私を訪ねて自宅内敷地にある専有道場に来られた。

北の国からの放映の合間に、別のドラマをつくるのでいろいろな炭鉱町についての取材であった。
私の町は砂川、そして道場のある場所はその炭鉱町の中心にある。
上砂川町、歌志内市(日本で一番人口の少ない市)、赤平市、芦別市、滝川市等の中心が我が砂川道院専有道場、昭和50年に東京の仕事を辞め、現在地に自宅を建てそして道場を建てたのである。

この話は富良野の小玉先生が電話をしてきて、今富良野の倉本さんという人から、何かドラマを炭鉱のまちを舞台にしてつくるので誰か知っているひとがいたら紹介して欲しいというので電話したとのことだった。

「塾生に少林寺拳法を教えて欲しい。」と倉本先生に小玉先生が頼まれたのだが、「塾生はお金が無いので云々。」ということで、確か、当時小玉先生は少林寺拳法の正式な入門手続きが必要と言うことで教えるのを断ったというようなことを言われたように記憶しているが、今となっては定かでない。
小玉先生の門下生に北の国のドラマ作りに関係していることからの話があったようだった。
小玉先生には、倉本先生の取材協力の了解の旨を伝えました。
この電話があった時期だが、夏或いは今頃の季節であったかどうか全く記憶が定かでない。
当時私は、倉本という人がどんな人かも知らない頃であった。

そうしたことを忘れた頃であったか、雪が既に降っていた頃であったと思うが、電話がかかってきた。
「倉本ですが、池上さんを紹介されたのですが25日にお伺いしたいのですがどうでしょうか?」というものだった。
勿論、「どうぞ、いらしてください」返事をした。
当時私は、砂川の市議になったばかりで、この地域を舞台にドラマをつくってもらえるならこんないいことはないだろうと思ったことは鮮明に記憶している。
続きは次回!

最近の砂川クラブの稽古、夏休みも終わり、先週の水曜日は30人以上が集まった。
稽古の終わり頃、参加拳士全員にその日の技術を交えて、6構成の演武を必ずやってもらうことにしているが、最近皆うまい下手は別にして、大分慣れてきたように思われる。

演武は、いざというとき護身に最も有効な方法であることに気付いてもらいたい。
演武構成に双方乱捕りを取り入れることでさらにその効果を大いに発揮する

法形と乱捕りの演武、更には乱捕りだけの演武、こうした手法を大いに研究すべきである。

毎朝の鎮魂行、筋肉強化等自己の人生を生きる自己を大事に育てることは、教育の観点からも大事なこと。
教育は他にするだけではなく自己にすることこそ求められる。
自己に自己することである。

お知らせ
大月拳士が、医学書を書いてまもなく発売されることになったようです。
精神科の医師なのでそうした範疇のものでしょう。是非購入して読んでみましょう。購入した拳士は、記念に大月拳士のサインをもらいましょう。

北大少林寺拳法部のメーリングリストに投稿されたメール 
皆さんお元気ですか?私はこのたび金剛出版から『語る記憶―解離と語りの文化精神医学』を出しました.書店へは9月頃から並ぶように思います.機会があったら見てみてください。
大月康義

本と言えば、読書は人間にしか出来ない特殊な能力、ひとそれぞれですが読まないより読んだ方がいいと思います。
一日一冊!

今週も予定通りの稽古ですが、23日火曜日の学科は建物の塗装工事が終わっていないので中止とします。
水曜日、金曜日は砂川クラブの稽古、土曜日は滝川クラブの稽古。

特に、滝川クラブの稽古には砂川の拳士も参加するようにしてください。
午前中の稽古が身心にとっても良いものです

最後に秋は体力づくりに最適な季節、少林寺拳法の仲間づくりのために是非各拳士ご父兄の方々に一人でも多く少林寺拳法を勧めていただくようにお願いします。

合掌再拝 池上

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2011年8月14日日曜日

2011年8月 宇治岡屋支部から高津姉妹がやって来た。

2011年もいよいよお盆;夏の北海道、短い暑さ。
北海道は本州から来られている人にとっては束の間の過ごしやすい季節でもある。

滝川道院砂川道院は夏も通常通りの稽古です。
以前は、夏休みに合わせて稽古の日程も少なくした時期もありました。
在籍拳士の夏の過ごし方も以前と変化し、割と夏休みの季節に市外に出かけるのが少なくなってきたのも一つの要因です。

また、ここ数年、イギリスのダラム大学との交流などで彼らが滝川・砂川に訪問してくれるようになったその日程にも起因しています。
本山本部での夏合宿の帰りに北海道の姉妹道院の私の所への訪問。
つまり、私たちが滝川砂川を留守にするわけにはいかなくなった。

また、中学生大会或いは北海道大会等のための稽古を疎かにすることができなくなったことも要因に挙げられます。

それ以上に、私自身が一日でも少林寺拳法の指導を夏休み期間も行う楽しさが一番の要因でもあります。
武専の指導で道内外にでかけることが多くなったために、自分の道院また監督をしている二つの大学の指導のために一日でも多く指導日を設定しなければならないことが最も大きな要因であるのではないかとも思います。

兎に角、「一年中稽古稽古で明け暮れている。」わけです。

ここ数年、京都宇治岡屋支部 辻崎先生の所から
小学校4年の高津聖良(こうづ きよら)、
小学校3年の璃良(あきら)の姉妹拳士が夏休み期間中砂川道院の稽古に来るようになりました。
二人とも4級拳士。

数年前、二人が雨竜町の祖父母の家に遊びに来た時に、私の所に電話がありました。
おばあちゃん曰く、京都で孫が少林寺拳法を始めたのですが、夏休み期間中私の道場に来てもいいかというものでした
勿論、快諾
しかし、初めて来たときはまだ小学校に入学して間もない年齢。
そのときの道場の稽古は、全国中学生大会のための稽古の真っ最中。
かなり私の指導の状況が二人にとっては驚愕のものであったと見えて、稽古に参加するどころではなく、泣き出してしまったの今思い出される次第。
昨年は確か姉だけが稽古に来たはず、しかし今年の夏は驚いたことに姉妹揃って来たので、道院の皆も驚いたというより、二人が成長したことに喜びを禁じ得なかった。
継続は力なり!
他人の釜の飯を食べることも成長のためには必要なこと。

鎮魂行にも参禅し、短い夏の思い出にもなれば幸い。
少林寺拳法の絆はこうした交流から生まれる。

気負うことなく、稽古の最初から最後まで遣り通すことが成長のエネルギーになることは間違いない。
暑い京都から毎年、優しい祖父母のまちを訪れ、その時に地元の道院に顔を出す、これぞ誠の教育ではないか。

身体を父母より享けたることを感謝する人間になる」ことは間違いないであろう。

こうした一年の道場の季節感から、我が道院はお盆だけの休みで、後は日々変わらずの稽古修行の日々が秋へと続きます。

お知らせ:砂川の銀座通り砂川道院の外装工事(前面塗装工事)のために、16日の学科の稽古日は休みといたしました。
壁からの雨漏りが激しく建物所有者が塗装工事をお盆休み中に突貫工事で行うこととなった。

2011年8月9日火曜日

2011年8月7日 北海道武専

合掌
北海道の短い夏も真っ盛り。
朝起きて自宅から歌志内方向への散歩も汗ばむ季節。
朝の鎮魂行、歩行禅を兼ねての毎朝の日課となっている。
これが、歩くにも脳の刺激にも良いようだ。

歌志内川にかかる橋の辺り、左側の雪捨て場の原っぱには今年生まれたバンビが飛び回っている姿も時々目にすることができる。
また、川面には今年生まれたマガモの家族二組の姿も互いに住み分けた範囲に見える。
今日確認することができたのだが、11羽の家族と、4羽の家族の餌をとる姿を橋の上から双眼鏡を覗くと、その愛らしい姿を見ることができる。

新しい命を育むことのできる素晴らしい典型的な北海道の環境を有する砂川市が快適環境都市としての指定を受けた面目躍如といったところか。
原発の影響を受けている地域とは比べものにならないアメニテイ環境に暮らせる私の朝は幸せだ。
こうした環境のところに一時でも避難できる政治が望まれるところだ。

さて、7日の午後12時から前砂川道院の副会長勝浦秀雄先生の一周忌が砂川パークホテルで行われた。
先生の義理の息子さんの松本正明さんが私の議員時代の後援会長であり、一方ならぬお世話になった関係、お参りすることは当然のこと。
いつもは8月は武専夏休みということもあり、お参りすることができるはずで出席の返信をしていた。

しかし、武専指導を優先することは、勝浦先生にもご理解いただけるものとして、ご挨拶と仏前にお参りすることでお許しをいただいた。
ホテルのロビーで勝浦先生の娘さんとお会いした途端、その娘さんのお嬢さんに引き合わされた。
というのも、私が少林寺拳法の偉い先生とか何とかという紹介でそのお嬢さんに娘さんが話したようだ。
高校生であるそのお嬢さんが岩見沢東高校の少林寺拳法部に所属しており、つい最近6級に合格したとの事を知らされた。
金子さんが岩見沢東高校の指導者であることを勿論知っていることを伝えたところ、お嬢さんも一瞬怪訝そうな顔をしていたが、私が少林寺拳法の先生であることをすぐに察知したようであった。

お孫さんが少林寺拳法を始めたことをもし存命であったならどんなに喜ばれたことであろうか。
松本さんのお嬢さん二人は子供の頃、私の娘詩帆と少林寺拳法をやっていたことなども影響したのであろう。
こうしたことが少林寺拳法の絆を営々と形成していくことなのであろう。

祭壇にお参りし、松本夫婦に挨拶の後、高速道路を飛ばし、東野幌体育館に12時半頃到着、野坂理事長も理事長会議東京開催から到着していた。

懸念していた本部からの信徒香資等のメール文章の件もどうなったか尋ねたところ、私が事前に本部に提言したとおりに解決した旨を報告を受けた。
田村宗務を通し担当者とその件を話したとの事でまずは一安心。
内容についてはここでは差し控えることとします。

武専は本部派遣教師は小野寺先生
私は研究科1年を担当した。
この日、三名しかいなかったために、当日の予定技術科目と他の科目、乱捕りを入れての三人演武を構成し披露する稽古方法を取った。
当初は戸惑いもあったようだが、数度にわたる披露により、最後には可也習熟度を増したことを三名とも体感したようであった。
「こんな稽古方法もあるのですね。」と自信をつけた様子がありありと伺えた。
本人たちの口から道場でやってみるという言葉からも効果ある稽古であったといえるのではないか。

三人の稽古の合間、武専研究院の学生諸君にも若干のアドバイスをしながらの技術の時間を過ごした。

さて、武専の担当教官であるが、学生の希望では、地元本部教師、地元講師、地元講師補の担当を固定することなく満遍なく振り分けて欲しいとの希望があるようだ。
実際、他の道院の学生から、私に指導して欲しいとの希望を持っているが学生が予科、本科、高等科にもいることを知った。
曲がりなりにも、本部教師という先生にも習いたいのだそうだ。
学生にすれば当然のことなのであろう。
講師を固定することに、不満を持つ学生もいることを初めて知らされた。
運営者は固定している意識はないことも伝えたのだが、学生の中にはまだこの先生には手をとって教えてもらえていないということのようである。
こうした対応に武専の活性化の方法が隠されていることを運営責任者が気をつけるべきなのであろう。

いずれにしても、担当講師が、説明が長すぎ、つまり、指導する自分の世界に入り込み、いつ稽古させてもらえるのかという不満が鬱積しているようだ。受講する学生を長々と立たせていてはいけないことを知るべきだ。

なかなか、こうした不満を学生は感想文に本音としては書けないようだ。
いろいろな先生から、指導を受けたいというのが、固定した講師の指導がいいというのを上回っているというのが大勢であるようだ。

今回の日程の中で初めてといっていい、技術質問の時間が設定された。
他の派遣地域の武専では必ず行われている、派遣教師泣かせの時間であることも事実。
しかし、これとて双方に勉強になる大事な時間。

真剣勝負に似た有意義なものである

質問する側の常識や技術レベルも問われるものであり、また、その回答する本部派遣教師の識見も問われる大事な時間なのである。

回答の不味さは、学生の意欲を低減させるものともなるが、質問者の愚問はその指導者である道院長の識見を疑うことともなり、ある種危険極まりない時間となる。
しかし、この時間は、修行者であるその場を構築する全ての拳士にとっての貴重な時間なのである。

質問のあったことの内容を各道院長はよくそのことを噛み締めると共に、さらに道院における指導研究を怠ることのないように稽古、稽古、自らの稽古に邁進することである。

合掌再拝 池上